『説岳全伝』/08

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第八回

岳飛 姻を完うして故土に帰り
洪先 盗を(あわ)せて行装を(おびや)かす

詩に曰く

華燭 還郷 得意の時
忽ち驚く 宵小(ぬすっと)の潢池を弄ぶに*1
蟷螂 奮を()げて車力に当たり
空しく冤仇を結ぶは 総て是れ痴なり

さて、李知県は岳飛に言った。

「それがし、つれあいをなくしてからは再婚しておらず、娘は世話する人もいないので、あなたの母君にお仕えするのにちょうどよいです。私はひとまずあなたを引き留めません。早く戻って母君にお伝えください。『明日はまさしく黄道吉日ですから、私自ら娘を嫁にお届けいたします』とな。一緒に故郷にお帰りなさい。」

岳飛は申し上げた。

「岳父殿、私の家は貧しく、何もありませんので、嫁を迎える儀礼などは、突然のことで間に合うはずがありません。どうかもう少し待って、私が都にのぼって帰って来てから、お迎えに上がればよろしいでしょう。」

李知県

「そんなことはありません。あなたは今遠く離れ、私はまた年老いて息子もいませんから、あなたが引っ越してしまってからでは、道行きに手間がかかってしまいます。やはりこの帰郷の期に婚儀をすませておいた方がよいし、私の心配事もなくなるというもの。もう何も言わずに、早くお帰りなさい。私も娘の支度をしてやり、明日約束通りお送りいたしますから。」

岳飛は岳父の決意が固いのを見て、仕方なく別れを告げて県庁を出、馬に乗って麒麟村に帰ってきた。折しも員外たちは母屋の前で出立のことを話し合っていたが、岳飛が帰ってきたのを見ると、尋ねた。

「岳父殿への別れのご挨拶はすみましたか。」

岳飛

「岳父は私が帰郷すると聞くと、母にお仕えする人がいないだろうから、明日お嬢さまをご自身で送ってみえると言うのです。これはいったいどうしたものでしょう。」

員外たち

「それはとてもめでたいことではありませんか。」

岳飛はまた

「叔父上方、私の家がどんなに貧しいかご存じでしょう。まして突然のこと、どうしてこのことをできるでしょうか。」

王員外

「甥ご、安心しなさい。我々のところに出来合いのものが無いことはありませんぞ。あなたのところでは、家がせまいことを心配しているのかもしれないが、私の方には空き部屋がたくさんある。まして塀を隔てるだけ、夜通し人に穴をあけさせ、あなたの母君に二部屋選んでもらい、新婚の住まいにしてあげましょう。」

岳飛はお礼を言うと、帰って母に報告した。岳夫人が喜んだことは言うまでもない。

こちら王家荘では、宴席を準備したり、様々に飾り付けをしたり、婚礼の付添人や楽隊を集めたりと、賑やかに、ひたすら明日の良い時を待ちわびた。翌日になると、李知県はまず従者や使用人に、長持ちや大小さまざまな嫁入り道具を届けて、王家荘の大広間の両側に並べさせた。後から二台の大きな輿で、李知県が新婦を送ってきた。員外たちは中の広間に迎え入れ、それぞれ挨拶をすませた。楽隊が演奏を始め、二人の介添の下女が手助けしてお嬢様をかごから下ろすと、岳飛とともに天地を拝み、婚礼の式を挙げ、そして寝室に入った。それから、また出てきて岳父にお礼をし、員外たちにも挨拶すると、李知県に宴席についてもらった。知県は三杯飲むと、立ち上がって言った。

「婿殿も娘もまだ若いので、皆様方のお引き立てをよろしくお願いいたします。私は県の方で仕事がございますので、婿殿が帰郷するのをお見送りすることができません。これにて失礼いたします。」

員外たちは再三引き留めたがとどめきれず、しかたなく正門まで見送った。李知県が帰っていったことはさておく。

人々は、中の広間に戻ると、喜び杯を交わし、酔いつぶれるまで飲んだ。翌日、岳飛は婚礼の挨拶に、兄弟たちとともに県城に行った。岳父に会って挨拶をすませれば、兄弟たちも進み出て挨拶した。李知県は宴席を整えさせてもてなした。兄弟たちは三杯飲むと、すぐに別れを告げた。知県は言った。

「婿殿と兄弟の方々がそろって都にのぼった暁には、私こちらで、吉報をお待ちしております。」

兄弟たちはお礼を述べ別れの挨拶をして帰った。それぞれの家では、車馬を仕立て旅支度を整えていた。婚礼から三日すぎると、五つの名字の男女、あわせて百余人と、金品を載せた車百余輌、ロバに人夫が王家荘に勢揃いして、麒麟村を離れ、騒々しく湯陰県めざしてうち立った。

二日もせず、野猫村という一面の荒れ野、人家の全くないところにやってきて、日がそろそろ暮れてきた。岳飛は兄弟たちに言った。

「私たちは先を急いだばかりに、宿場をやり過ごしてしまった。ここから三四十里行って、ようやく宿がありますが、車は重く、どうして間に合うでしょうか。ご覧なさい、この辺りの道筋は、広々とした荒れ野原に、気味の悪い林ばかりで、休むことはできません。湯兄弟、張兄弟とともに先に行って、近くに村や人家がないか探してください。休む場所を探さなければなりません。」

二人は返事をして、馬に一鞭くれると、ぱっと駆け去っていった。

こちらでは岳飛が前に、王貴・牛皐は後ろになり、家族や車を守りながら、ゆっくりと進んでいった。しばらく行くと、湯・張の二人が馬を駆けさせて戻ってきた。

「兄上、我ら二人はまっすぐ十里ばかり先まで行ってみましたが、村も人家も全くありません。ただここから西に三・四里行ったところの山の麓に、土地神廟があります。荒れていますが、本殿や回廊は休憩するのに十分です。しかし、ひどく崩れていて、廟主もいないので、晩飯を作るところがありません。」

王貴

「構わないさ。我々はここに食料や鍋釜を持っているのだから、柴を拾ってきさえすれば、食事をなんとか間に合わせられる。一晩過ぎてからまた何とかしよう。」

牛皐が口を継いで

「それがいい、それがいい。急ごう、腹が減ったよ。」

岳飛は一群の車両や馬匹に湯懐の道案内に着いていかせ、まっすぐ禿げ山の麓にやってきた。

廟に着くとそろって車を廟の中に入れ、両側の回廊に落ち着けた。夫人たちと李お嬢様、下女たちは、みな本殿で休んだ。本殿の裏にも、三・四間の部屋があり、幾つか古い棺桶が置いてあったが、窓枠は朽ち果て屋根瓦も無かった。脇にはもともと厨房があったが、竃の上の鍋は一つも無くなっていたが、壁の角には枯れ草が積んであった。そこで牛皐・王貴は、連れてきた下男を率い、歩き回って水を探して来ると、小作たちに火を起こして食事を作らせた。もうすぐ黄昏時、員外たちと若様たちは、それぞれ食事をとったが、ただ牛皐だけは一人で大椀を手に、しきりに酒を飲んでいた。岳飛

「飲むのはやめろ。古人が言っているだろう、「澄んだ酒は人の顔を赤くする、金品は人の心を動かす」とな。ここは辺鄙なところだから、もしも間違いがあったら、どうするんだ。ひとまず湯陰に着くのを待ち、それから好きなだけ飲めばいいだろう。」

牛皐

「兄貴は胆が小さいね。それならば、飲むのはやめるよ。」

飯を持ってきて、一気に二・三十杯平らげて、ようやく口を休めた。人々は食べ終わると、みな片づけに行った。員外たちも本殿の左側で休み、小作らはみな車両・馬匹とともに両側の回廊で休んだ。

岳飛は湯懐・張顕に言った。

「賢弟たちは、今夜はすぐに寝てはいけないぞ。衣服をしっかりと着込んで、本殿の裏の廃屋で見張りなさい。もし裏側で間違いがあっても、私の責任ではないぞ。」

二人は答えた。

「了解。」

岳飛は王貴に

「王兄弟、ご覧なさい左の塀が崩れかかっているだろう、そこを見張ってくれ。もし左側で間違いがあったら、君の責任だぞ。」

王貴

「了解した。」

また

「牛皐兄弟は。」

牛皐

「ここだよ。どんな言いつけですか。」

岳飛

「右側の塀も今にも崩れそうだから、君は右側を見張ってくれ。」

牛皐

「兄貴はご苦労だから、眠りなよ。何を大騒ぎして、何かが起こるとでもいうのかい。もし間違いがあったら、全部この牛皐が一人で請け負うよ。」

岳飛は微笑んで

「兄弟は知らないかもしれないが、昔から『注意深ければどこでも行ける』と言う。私と君と二人には、何の大荷物もないだろう。しかし、員外たちはこんなにたくさんの荷物があるのだ。もし、いささかでも間違いがあれば、人に笑われてしまうではないか。だから、兄弟たちを煩わせて四方を守ってもらい、愚兄が正門を管轄する。これで千軍万馬であれ、怖くはない。何事も無ければよいのだが、そうしたら明日は早く起きて出発し、早めに宿を探そう。一路何事もなく相州城につけたらよいのだが。」

牛皐

「いいでしょう。兄貴がそう言うのなら、右側は私に預けてください。」

言いながら、腹の中で考えた。

「この太平な時代に、どんな山賊がいるというのだ。まして我ら兄弟がいるのだ、何を恐れるというのだ。兄貴はくどくど言ってばかり、こんなにも肝が小さいとは。」

そして自分の烏騅馬を回廊の柱に繋ぎ、二本の鐧を鞍に掛けると、身を曲げて欄干にもたれ居眠りした。

さて岳飛は正門の戸をしっかりと閉めると、本殿の前のきざはしの下に、石の香炉があるのを見つけた。手で揺すってみれば、台座ごと彫り上げてあった。岳飛は神威を奮い、両手で一抱えに持ち上げると、廟の門にぴったりと立て掛けた。そして瀝泉槍を近くに置き、自らは戦袍を着て敷居の上に座り、仰向けに天をながめた。ときはあたかも二十三・四日、真っ暗ですこしの月光もなく、ただいささかの星の光だけ。間もなく二更になろうというころ、遠くからざわめきが聞こえてきた。間もなく、一面の火の光が廟に近づいてくれば、聞こえるのは人の叫び声や馬の嘶き、廟の前までやってくると、大声で叫んで、

「物わかりがよければ、さっさと門を開けろ。金銀財宝をすべてさし出したら、命だけは助けてやる。」

また一人が

「岳飛を逃がすな。」

また何人かは門を押したが、開かなかった。岳飛の驚きは小さからず、ひそかに考えた。

「私は年もまだ若いのに、どんな仇人がいるというのだ。あの盗賊は私を知っているようだ。」

かの廟の門はもともと破れていたので、その裂け目からのぞいてみると、なんと余人にあらず、相州節度使劉光世配下の中軍官・洪先だった。彼はもともと山賊の出身であったのを、劉閣下が腕力を見込んで中軍官に抜擢したのであるが、はからずも賄賂をむさぼって才能を妬み、岳飛との試合ですってんころりん、職を奪われた。そこで昔の仲間たちを呼び集め、二人の息子、洪文・洪武を従えて、仇討ちにやってきたのである。岳飛は考えた。

「『仇は解くがよろしい、結ばぬが好い』と言う。私がこの正門を守っていれば、四方は弟たちが守っているから、まずは入ってこれまい。夜が明ければ、自然と行ってしまうだろう。」

そこで、馬の上の鞍を整え帯を締め直すと、瀝泉槍を引っ提げ、すっくと立って備えた。

さて右側の牛皐は、居眠りをしているところ、突然鬨の声が聞こえてきたため、ふと目を覚ました。外を見てみると、門の外から火の光が射し込むのが見え、一面の叫び声。目をこすると

「ほう、面白そうだ。本当に兄貴は見識がある。本当に山賊が来たぞ。我々は都に上って状元を奪おうとしているのに、自分の腕前の良し悪しがわからない。今はひとまず彼には構わず、強盗で鐧を試してみよう。」

そこで二本の鐧を手に提げると、ぼろぼろの壁の割れ目を広げ、馬によじ登って突っ込むと、大声で叫んだ。

「山賊ども、鐧を試しに来い。」

サッと一撃に一人の脳味噌が吹き出し、また一撃に、一人を真っ二つに打ち割いた。というのは、打たれて首がへし折れて転がり落ちた、つまり真っ二つではないか。王貴は左側で聞きつけて

「しまった、しまった。これ以上遅れたら、全部彼らに討ち取られてしまうぞ。」

金背大砍刀を挙げると、左側のぼろぼろの塀を切り開き、単騎突進した。手があがるや刀が落ち、首が転がった。

このときは提灯や松明に照らされ、真昼のよう。洪先は単騎先頭に立ち、三股托天叉を引っ提げて牛皐を遮りとどめ、洪文・洪武は二本の方天画戟で、そろって王貴に突っかかった。牛皐は罵って

「くそ山賊、俺様を怒らせに来たのか。」

二本の鋲鉄鐧を、飛ぶように舞わせて打ちかかった。

王貴は叫んだ。

「二人一度に来ようと怖くはないぞ。一人でも討ち漏らしたら、俺様ではないわ。」

岳飛はそれを聞いて

「しまった。この二人が出ていったら、必ず何かしでかすだろう。私が出ていって彼らをなだめて、逃がしてやろう。怨みが深くならないように。」

そこで石の香炉をひっくり返すと、廟の門を開いて馬に跨った。進み出ようとしたところ、裏の湯懐・張顕の二人が、急ぎ本殿に駆けつけて言った。

「父上、母上、慌てないでください。山賊は我ら兄弟が防ぎ止めて、門には一歩も入れません。我ら二人もうさをはらしてきます。」

二人はそろって馬に跨り、一人は爛銀槍、一人は鈎連槍、廟の門から討って出た。賊の手下どもは、逢ったものは死に、ぶつかったものは命を落とした。

かの洪武は父が牛皐にかなわないとみて、横合いから戟を挙げて洪先の助太刀に来た。洪文は一人で王貴と戦ったが、王貴の一太刀に馬の下に斬り捨てられた。洪武が驚いたところ、牛皐の鐧の一撃に、頭蓋骨の半分を削られてしまった。洪先は大声で叫んだ。

「よくも二人の息子を殺したな、許さんぞ。」

馬を駆けさせ叉を揺らし、まっすぐ牛皐に打ちかかった。岳飛が叫んだ。

「洪先、控えろ。岳飛がここにいるぞ。」

洪先は牛皐に勝てないでいるところに、岳飛自身が来たと聞き、泡を食った。馬を返そうとしたところ、不意に張顕がやってきて、鈎連槍で馬から引きずりおろした。湯懐が進み出て、槍の一突きに命を奪った。これぞまさしく、

君に勧む 冤仇を結ぶを(もと)むる莫かれ
冤仇を結び得ること 海の深きに似たり
試みに看よ 洪先の三父子を
今朝 一旦に命は陰に帰す

というもの。

かの手下どもは、大王*2が死んだのを見て、命からがら四方に逃げ散った。王貴・牛皐はまた追いかけて、心ゆくまで殺しまくった。岳飛

「兄弟、逃がしてやれ。殺すことはない。」

二人はどうして従おう、やはり追いかけて行った。岳飛は彼らをだまして

「弟よ、後ろからまた山賊が来た。早く廟に戻ってこい。」

二人は真に受けて、馬の手綱を絞って廟の門に引き返してきた。

「どこだ。」

岳飛

「やつらはもう逃げたのだから、もうよかろう。このうえどうして追いかける必要があろう。我々はこんなにたくさんの人を殺してしまったのだから、明日には当地の役人を煩わせてしまうに違いない。ひとまず本殿に行って、良策を話し合わねば。」

そこで兄弟たちは一斉に馬を下り、本殿にやってきた。すると小作たちは、あること無いこと何やら騒ぎ立てている。員外・夫人たちと李お嬢様、下女どもは、皆驚いて土で作った神像のよう、息を殺して、ただ震えてばかり。岳飛と四人の兄弟がそろってやってくるのを見て、ようやくみな喜び立ち上がり、あなたが質問すれば、私が尋ねるといった様子。山賊を殺したと知ると、みな安心して、天地に感謝してやまなかった。岳飛

「お前たち騒ぐんじゃない。ごらんなさい、もうすぐ夜が明けるが、もしも人に知られたら、山賊を殺したので命の償いをする必要はないとはいえ、裁判沙汰は免れ得ない。どう処置したものか。」

王貴

「我らあん畜生を逃がしたが、役所で我々が殺したと知って、捕まえに来ることはあるまい。」

岳飛

「いやまずい。現に、ここには死体がこんなにたくさん転がっているのだから、当地の役人どもが真相を追求しないわけはない。結局、ただでは済むまい。」

牛皐は口を継いで

「おいらに良い考えがある。死体を廟の中に積み上げて、枯れ草や木の枝を探してきて、火を放ち、あん畜生どもをきれいさっぱり焼いてしまうのさ。そうしたら、幽霊に俺を尋ねてこさせるというのかい。」

岳飛は笑って

「牛兄弟の言う通りだ。君の言うとおりにしよう。」

張顕・湯懐はそろって手をたたき

「素晴らしい。なるほど、牛兄弟は以前、乱草岡で追い剥ぎをしていたからな、殺人・放火はお手の物というわけだ。」

人々はそれを聞いて、みな大笑いした。

そのとき、兄弟たちは肝のすわった小作を集めて、死体を担いで、全て本殿に積み上げさせた。車両や馬匹を全て整えると、廟の門の外に勢揃いさせ、家族には車に乗って出発してもらった。牛皐は火種を探しに行き、かの朽ち果てた窓枠を本殿に積み上げると、火を放った。強風に火は燃え上がり、瞬く間に山神廟は、きれいさっぱり焼けて空き地になってしまった。岳飛は兄弟たちと、馬に跨り槍を引っ提げ、車を追いかけると、ともども相州目指して出立した。

話があれば長くなるが、話がなければ短いもの。道中一日ならず、ようやく相州に到着すると、城外で大きな宿屋を尋ねて、家族と多くの荷物や馬匹を落ち着けた。一晩過ぎて、兄弟五人は先に県城に入り、湯陰県衙門の前で馬を下りて門番に知らせた。門番は入って知県に知らせると、でてきて

「皆様、どうかお入りになってお目通り下さい。」

岳飛は兄弟たちとともに、県衙門の中庭に進み、徐知県に挨拶した。徐仁が座らせると、左右の者が茶をすすめる。岳飛は李知県が娘を送ってきてくれて結婚し、員外たちが一緒に引っ越してきたことを、子細に話した。徐知県

「それは得難いことです。しかし、私はみなさんがおいでとは知らなかったので、屋敷が少々狭いですけれど、どうしますか。」

皆は答えた。

「大人にはご心配いただきありがとうございます。すぐに我々で増築しようと思います。」

徐知県

「それならば、今はお引き留めすまい。私はまずあなた方とご家族を落ち着かせてから、一緒に都院大人へのお礼に伺い、それから歓迎の席を設けましょう。」

皆は続けざまに

「そんな、そんな。」

徐知県はすぐに馬を支度させると、岳飛らと一ともに衙門を出て、城外の宿屋にやってきた。岳飛が先に行って員外たちに知らせて迎え入れ、挨拶をすませると、先に岳飛とともに孝弟里永和郷へと向かった。徐知県は馬上で指さしながら岳飛に言った。

「私は土地台帳から、この一帯が岳家の資産であったと調べ出し、都院大人がお金を出して買い戻し、あなたが住むようにとこの屋敷を建ててくださいました。どうぞ、引っ越しなさい。」

岳飛は再三お礼を言った。知県はそこで役所に戻ったことは、さておく。

岳飛はその日宿屋に戻ると、小作に新居を片づけさせ、各家の家族に入ってもらった。姚氏夫人は昔の資産が豊富で美しかったこと思い出し、また目の前に岳和員外が見えないので、思わず涙があふれ、悲しみ悼んだ。嫁とご夫人方は、慰めてやまなかった。岳飛

「母上、悲しまないで下さい。目下、家は狭いですが、ひとまず落ち着いて下さい。しばらくすれば何部屋か建て増しするのも、簡単ですから。」

そして酒宴を支度させ、一家をあげて祝った。

翌日、岳飛は兄弟たちと県城に入り、徐知県に拝謝した。徐知県はそこで五人兄弟をともなって、劉節度使の衙門に向かった。伝宣官がただちに入って行き

「ただ今、湯陰知県が、岳飛等をともない、謁見を求めております。」

劉公は言いつけた。

「通せ。」

伝宣官は出てくると

「閣下が謁見せよとのことです。」

一同、一声返事をした。岳飛は振り返って兄弟たちに

「用心深くな。」

伝宣官が一同を本庁に案内すると、みな跪いた。徐知県が先ず参見し、兄弟が一緒に転居してきたことを一通り話し、それから岳飛が平伏してお礼を述べた。

「閣下の天のように高く地のように厚いご恩に、門生ども、いかにご恩返しすればよいのやら。」

劉公

「あなたたちが別れるに忍びず、転居してきてともに暮らすとは、まことに得難いことだ。知県殿は先に県庁にお戻り下され。あなた方はもう少しここでゆっくりしていきなさい。」

徐知県はお辞儀して別れを告げると、衙門に戻った。

こちらでは劉公が言いつけて

「閉門。」

両側のものどもは一声

「はっ。」

と答えた。劉公はまた尋ねた。

「あなた方は、いつ試験を受けに東京に立ちますか。」

岳飛

「大恩にお礼をしましたら、戻って支度をしまして、明日出発いたします。」

劉公は少し考えて、岳飛を近くに呼び寄せると、こっそりと言った。

「私は前に手紙を書いて、宗留守に送り、あなた方の試験のことをお願いしておきましたが、朝廷の公務が忙しく、放っておかれているかも知れません。私は今、もう一通書きますので、持っていって、自分でお渡ししなさい。お目にかかれれば、かならずや良いことがあろう。」

ただちに文房四宝を取り寄せて、一通の手紙をしたためた。また、側近に命じて白銀五十両を持ってこさせ、岳飛に与えて

「この銀はあなたが収めて、ひとまず路用にしなさい。」

岳飛は再三お礼を述べて、手紙と銀子を受け取ると、兄弟たちとともに別れを告げた。轅門を出て馬に乗って県衙門に戻り、知県にお礼と別れの挨拶をした。知県

「私は貧乏役人で、何もお贈りするものがありませんが、あなた方の家のことは全て引き受けますので、みなさんご安心下さい。」

岳飛ら五人は、拝謝して衙門を出て家に戻ると、員外たちに受験に行くことを話した。員外

「いつ出発しますか。」

岳飛

「明日は吉日ですので、出発しようと思います。」

員外たちはそこで

「幾人かの気の利いた小作を選んで、一緒に付けて行かせましょう。」

兄弟たちは

「いらない、いらない。我々が自分で行きます。彼を行かせてそうするのです。」

その日はだれもが大忙し、それぞれ路銀や荷物を整え馬にくくりつけ、員外や夫人たちに別れを告げた。岳飛は李お嬢様に別れを告げ、幾言か言いつけた。人々は正門まで見送り、五人が馬に乗り次第に遠ざかるのを見送った。

岳飛・湯懐・張顕・王貴・牛皐、あわせて五騎は、汴京目指して出立した。道中、夜明けに旅立ち夜には泊まり、渇いては飲み飢えては食らうのは免れ得なかった。

数日すると、早くも都城が望み見えた。岳飛は言った。

「賢弟たち、我ら城に入ったら、昔のような短気は押さえなくてはならない。ここは都であって、家にいるのとはわけが違います。」

牛皐

「まさか都の人が、みな人を食べるわけではないだろう。」

岳飛

「お前にどうして分かろう。この京城の中は、寒村や小県の比ではない。かの九卿・四相・公子・親王などが、行き交う人がとても多い。もし粗忽にふるまって、事件を引き起こしたら、誰が助けてくれるというのだ。」

王貴

「それはかまわない。我々城に入ったら、余り口を開かず、口をつぐんでいればいいだろう。」

湯懐

「そういうことではないだろう。兄上がよいことを言っているのに。我々万事人に譲ればいいんだ。」

五人は馬上で話し合いながら、覚えず早くも南薫門を入った。半里も行かないところ、突然一人に人が息を切らして後ろから追ってくると、岳飛の馬の手綱を取って引き留め、叫んだ。

「岳様、あなたは私をひどい目にあわせたというのに、どうしてご贔屓にして下さらない。」

岳飛は振り返って見るや、叫んだ。

「あれ、あなたはどうしてこちらに。」

また叫んだ。

「兄弟たち、話があるから戻ってきなさい。」

岳飛がこの人に会わなければ、二言三言に生死の知己の契りを結び、百年千年も国恩に報いた忠良の名を伝える、というわけにはいかない。これぞまさしく

玉 璞中に在らば人は識らず
()け出でて(まさ)に知る 世上の(たから)

というもの。

いったい岳飛が出会ったのが誰なのかは、次回のお楽しみ。


*1 反乱を起こすこと。
*2 山賊の首領を指す。~~大王と称する者が多いため。