中国伝統劇解説/京劇『戦宛城』

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張繍は宛城で兵馬を訓練し、許昌攻撃を企図していた。そこで、曹操は自ら大軍を率いて討伐の途についた。出陣にあたり、「馬が青苗を踏んで百姓に迷惑かけることのないように、違反するものは斬罪」と命を下した。はからずも、曹操の乗騎が驚いて麦畑に踏み入ってしまった。曹操は偽って自殺しようとするが、諸将にとめられる。そこで曹操は馬を斬らせ、自らの髪を切って刑にかえた。

張繍は曹操襲来の報に接し、謀士・賈詡とともに、防御の策を講ずる。賈詡は城を堅守して曹軍の疲れを待ち、そのうえで攻撃を加える計を献ずる。張繍は従わずに出撃するが曹軍の典夷に破れ、降伏した。曹操は典夷・許褚と一族の子弟をひきつれて入城し、その他の部隊には陣地を守らせた。曹操は張繍麾下の火牌・刀削の二隊が勇猛であると聞いて試させ、褒め称えた。典夷・許褚は不服で、これと手合わせして破り、曹操は二部隊を二人に与えたが、張繍は心中不満を抱いた。

ある日、張繍の部将の張・雷ふたりの妻と、張繍の叔父の未亡人・鄒氏は、庭園の小楼で春をたのしんでいた。そこに子や甥をつれた曹操が通り掛かり、鄒氏の美貌を見て、心動かされた。鄒氏も曹操が亡夫と似ていたため、感ずるところがあった。曹操の甥の曹安民は曹操の意を察し、鄒氏を奪って献上した。張繍は翌日曹操に面会して、ことの次第を知り、報復を決心する。鄒氏は曹操に張繍を殺すように勧めるが曹操は聞かず、ただ万一を防ぐために典夷の陣屋に移った。張繍と賈詡は典夷を酒宴に招いて盛りつぶし送り帰した後に胡車児にその鎧兜と双戟を盗ませ、曹操の陣地を夜襲して典夷を殺した。曹操はあわてて逃げ去り、鄒氏と曹安民は張繍に殺された。

  • 別題《割髪代首》《盗双戟》《典夷》。《立言週報》七十三期《夏月恒与〈戦宛城〉》によると、《戦宛城》ははじめ昆劇より梆子に改編され、京劇俳優の夏月恒がさらに皮黄(京劇の曲調)に改編し、嵩祝班で演じた。夏月恒は夏月潤の兄で武丑。1900年前後の人。
  • 《三国演義》第十六、十八回から。