『説岳全伝』/11 の変更点

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*第十一回 [#mc0f8da3]

**周三畏 訓に&ruby(したが){遵};いて宝剣を贈り&br;宗留守 誓を立てて真才を取る [#wfe1198f]


詩に曰く

>三尺の龍泉 一紙の書&br;君に贈る 他日 好く之を為せ&br;英雄 古より遭遇するは難し&br;&ruby(さだ){管};めて功名を取りて四海に知られん

さて、周三畏は是が非にもと岳飛にこの剣のいわれを尋ねた。そのとき岳飛は言った。

「それがし、かつて亡き師がこう言うのを聞いたことがあります。

『およそ剣の鋭利なものは、水では蛟龍を断ち、陸では犀象を切り裂くもの。「龍泉」「太阿」「白虹」「紫電」「莫邪」「干将」「魚腸」「巨闕」などの名品には、いずれもいわれがある』

と。この剣は、鞘から出るや寒気が人を侵してきました。これすなわち、春秋の時、楚王が諸侯に覇をとなえようと、韓の国七里山中に欧陽冶善あり、鋳剣の上手と聞いて、朝廷に召し出しました。欧陽冶善が朝廷に至り、朝見をすますや、楚王が言うには

『余が汝を召し出したのは他でもない、二振りの剣を鋳させるためだ。』

冶善は

『大王様はいかような剣をお求めですか。』

楚王が言うには

『雌雄の二剣、ともに飛び上がって人を殺すことができるものを造ってほしい。造れるかな。』

欧陽冶善は心中考えて

『楚王は強暴な君主、もし承知しなければ、必ずや私をゆるしてはくれまい。』

そこで奏上して

『剣は作れますが、大王様が待ちきれないのではありますまいか。』

楚王は

『なぜだ。』

欧陽冶善が言うには

『もしその剣を造ろうとしたら、三年の時間をかけてこそ、ようやく完成するでしょう。』

楚王

『余はお前に三年の期限をやろう。』

金銀綾錦を賜りました。冶善は恩に謝して朝廷を出ると、家に戻り、妻にこのことを話して金銀を家に残し、自らは山中に行って剣を鋳ました。ところが別にもう一振り、全部で三振り造ったのです。三年後、ついに完成すると家に帰って妻に話しました。

『私はこれから楚の国に剣を献上しに行く。楚王はこの剣を手に入れると、私がまた他人のために造ることを恐れ、必ずや私を殺し後々の憂いを断とうとすることだろう。考えるに、結局は死ぬのであろうから、雄の剣をここに留めて埋めておき、残りの二振りだけを持っていこう。その剣は飛ぶことが出来ないので、必ずや私を殺すことだろう。お前は凶報を聞いても、決して悲しみ嘆いてはいけない。腹の中の子が十月を満たして、女児が生まれたならそれまでのこと、もしも男児が生まれたならば、しっかりと育てて雄剣を与え、父のために仇を討たせてくれ。私はあの世から手助けするであろう。』

言うと別れを告げて、楚の国にやってきました。楚王は冶善が剣を献上に来たと聞き、文武の大臣を率いて練兵場で剣を試しました。果たして飛ぶことは出来ず、三年待ったのが無駄になったので、楚王は大いに怒り、冶善を殺してしまいました。冶善の妻は、家で悲報を聞いても、果たして悲しみ泣こうとはせず、十月の期が満ち一子を生むと、心を込めて育てました。七歳になり塾に勉強をしに行かせましたが、ある日、塾で同級生と喧嘩をして、その同級生に

『ててなし子』

と罵られ、泣きながら家に帰り母に父を求めました。婦人は息子が父を求めているのを見て、思わず痛哭し、いきさつを息子に話しました。無父児は剣を見たいと頼み、母は土を掘って剣を取り出しました。孤児は剣を背負うと、母の撫育の恩に感謝し、楚国に仇討ちに行こうとしました。母は

『お前はまだ幼い、どうして行けましょうか。』

聞かせるのが早すぎて、このようになってしまったことを嘆き、くびれ死んでしまいました。孤児は家を焼いて母を火葬にすると、一人でこの剣を背負い、七里山の麓に行きましたが、道に迷い日夜泣きとおしました。泣くこと三日、目からは血が流れました。すると山の上から一人の道人が歩いてきて、尋ねました。

『坊や、なぜ目から血を流しているのかな。』

孤児が父の仇を討つことを一通り話すと、その道人は言いました。

『お前はこんなに幼いのに、仇を討てようか。楚王は前後を厳重に防備しているのに、近づけるはずがなかろう。お前の代わりに行ってあげよう。ただ、一つ欲しいものがある。』

孤児は言いました。

『たとえ私の首をお望みでも、お願いいたします。』

その道人は言いました。

『まさしくお前の首がほしいのだ。』

孤児はそれを聞くと、跪いて言いました。

『父の仇を討って下さるのなら、差し上げます。』

道人に向かって何度か拝礼すると、立ち上がって自刎しました。道人は首を取ると、剣を帯びて楚国へ向かい、午門((宮城の大手門。))の前で三度大笑いし、三度大泣きしました。下士官が朝廷に伝えると、楚王は役人を遣って問いただしました。道人は言いました。

『三度笑ったのは、世人が私の宝を識らないことを笑い、三度泣いたのは、空しくこの宝を負い、識る者に出会えないことを泣いたのです。私は「長生不老丹」を持って参ったのです。』

下士官は、戻って楚王に奏上しました。楚王は言いました。

『通しなさい。』

道人は朝廷に入り子どもの首を取り出しました。楚王はそれを一目見て言いました。

『これは人の首だ。何が「長生不老丹」だ。』

道人は言いました。

『油の鍋を二つ用意し、首を入れます。油の中を一刻((一刻は一時の四分の一。三十分。))
転げると、唇はますます赤く歯はますます白くなります。揚げること二刻で口も目も動きます。三刻揚げて机の上に供えたなら、朝廷中の文武百官の名を知り、すべて言うことが出来ます。揚げること四刻で、頭の上に蓮の葉が生えて、花を咲かせます。五刻になれば花托ができ、六刻には実を結び、一粒食べれば、齢百二十歳まで生きられます。』

楚王は従者に命じて二つの油鍋を用意させ、道人に執り行わせました。果たして六刻すると、実が結ばれました。朝廷中の文武の官、喝采せぬ者がありません。道人はそこで大王に『長生不老丹』を摘み取るように請い、楚王が御殿から下りてきたところ、道人は剣を抜いて楚王の首を油鍋に斬って落としてしまいました。臣下たちはそれを見て、道人を捕らえに駆け寄りましたが、道人も自ら首を鍋の中に斬って落としました。臣下たちが慌ててすくい上げれば、三つの同じようなしゃれこうべ、どれが楚王のものか分かりません。仕方なく縄を通して縛りあわせて、一緒に棺に葬りました。古より楚には「三頭墓」があると言いますが、すなわちこのことです。この剣は名を「湛盧」と言い、唐朝の薛仁貴がかつてこれを得ました。いまどういうわけで先生のお手元にあるのでしょうか。本当にこの剣でよろしいのでしょうか。」

三畏はこの一席の話を聞くや、思わず愉快になって笑いながら

「岳様は果たして博学でいらっしゃる。少しも違いません。」

そこで立ち上がると卓の上の剣を取って、両手で岳飛に渡して

「この剣は数世の間、埋もれていましたが、今日ようやく主に出会えました。岳様、お納め下さい。いつか必ずや国家の柱石となられることでしょう。また我が祖父の遺言に背かずにすみました。」

岳飛

「他人の宝を私がどうして我がものにすることができましょう。そのような理屈はありません。」

三畏

「これは祖父の命ですので、私どうして背くことができましょうか。」

岳飛は再三辞退したが、やむを得ず収めて腰に帯び、贈与の徳に感謝し、別れを告げて帰った。三畏は門外まで見送って別れを惜しんだ。

岳飛はまた兄弟たちと各所を一回りして、三振りの剣を買った。宿に戻ると、はや日暮れ時であった。宿の主人は夕食を二階に運んできた。岳飛

「主人、我らは三年に一度の望みをかけてきたが、明日は十五日、試験場に行かねばなりません。どうか早めに食事を支度して、食べさせて下さい。」

宿の主人

「旦那様方、ご安心下さい。手前の宿屋には、多くのお客様がいらっしゃいますが、皆明日の早朝、試験場にいらっしゃる方々です。今夜手前どもは夜なべいたします。」

岳飛

「早めでさえあれば、よろしいですよ。」

兄弟たちは夕食を食べると、そろって寝た。

四更の頃合いになると、主人が二階にあがってきて、洗面するように言った。兄弟たちは起きて洗面し食事を済ますと、それぞれ鎧を着けた。湯懐は白袍に銀の鎧で弓矢をさして、張顕は緑袍に金の鎧で剣を帯び鞭を提げている。王貴は紅袍に金の鎧で真っ赤におこった炭のよう、牛皐は鉄の兜に鉄の鎧でひとひらの黒雲のよう。ただ岳飛だけは、武挙を受験したときの古い戦袍だった。ご覧あれ、彼ら兄弟五人、袍や鎧をシャラシャラ鳴らしながらそろって階上から下りてくると、宿の門外でそれぞれ馬に跨った。すると、宿の主人が牛皐の馬の後ろで、なにやらごそごそしている。また、一人の給仕がやってきて、提灯を高々と掲げ試験場まで送りに来た。一同が出発しようとするところ、また一人の給仕が、左手に飴菓子の箱を右手に大きな酒壷を提げてきた。主人

「旦那様方、どうか上馬杯をお召し上がりください。状元に及第してのお帰りをお待ちしております。」

それぞれ大杯を三杯飲むと、馬をたたいて練兵場に向かった。練兵場の門に着くと、提灯を持った給仕は

「皆様方、手前はこちらで失礼します。」

岳飛が一声お礼を言うと、給仕は帰っていった。このことはさておく。

さて兄弟たちがそろって練兵場に入ると、各省の受験生どもが、先に来たもの、後から来るもの、人の山に人の海で、びっしりと混み合っている。岳飛

「ここは人が多いから、もう少し静かな所に行こう。」

そこで演武庁の裏にやってきて、しばらく立っていた。牛皐は、出がけに宿の主人が自分の馬の後ろに何かをくくりつけていたのを思い出し、見てみることにした。馬の後ろのところを見てみれば、鞍の後ろに袋が一つ掛けてあり、手を伸ばして袋の中を探ってみれば、なんと数十個の蒸しパンとたくさんの牛肉が入っていた。これは宿の主人のしきたりで、およそ科挙受験の時は、彼らが早く着きすぎてお腹を空かして待つことにならないように、点心を作ってくれるのである。牛皐

「これはよい。もうすぐ腕比べで、食べる時間などあるものか。今食べてしまって、馬が疲れてつぶれないようにするとしよう。」

そこで取り出すと、きれいさっぱり食べてしまった。

はからずも、しばらくして王貴が言った。

「牛兄弟、俺たちお腹が空いてきたよ。主人がくれた点心を出してみんなで食べよう。」

牛皐

「君は持っていないのか。」

王貴

「まとめて君の馬の後ろに掛けてあるよ。」

牛皐

「それはついてないなあ。俺はみんな持っているのだと思って、この点心と牛肉を一所懸命食べちゃったので、お腹がはち切れそうだよ。みんなが持っていないとは思わなかったよ。」

王貴

「お前は腹一杯だろうが、他の人に腹が減ったのを我慢しろと言うのかい。」

牛皐

「もう食べ終わっちゃったのだから、どうしようもないよ。」

岳飛はそれを聞いて

「王兄弟、もうやめなさい。他人に聞かれたら、みっともないぞ。牛兄弟、君もそんなではいけない。ものを食べるなら、人が持っていようといなかろうと、一声聞かなくては。それを一人で平らげてしまうとは、いいはずがないだろう。」

牛皐

「わかったよ。今度から何かあったら、みんなで一緒に食べればいいだろう。」

そぞろに言い争っていると、ふと人が呼ぶのが聞こえた。

「岳様はどちらに。」

牛皐は聞きつけて

「ここだよ。」

岳飛

「お前はまた、どうして声をかけて間違いを引き起こすのだ。」

牛皐

「人があっちであなたを呼んだので答えたのに、何かあるのかね。」

言いも終わらぬうちに、一人の下士官が先にたち、後に二人が弁当の籠を担いで、訪ねて来た。

「岳様はどうしてこんな所に立っておいでなのですか。手前ども探すのに苦労しましたよ。手前は留守衙門の者、閣下の命を奉じ酒食をお持ちいたしましたので、お召し上がりください。」

一同は一斉に馬からおりて礼を言うと、酒食を食べた。牛皐

「今はみんなに食べさせてあげる。おいらは食べないよ。」

王貴

「いくらお前でも、食べられないだろう。」

一同が酒食を食べ終わると、下士官と従者は弁当の籠を片付けて帰っていった。ようやく空が白んできて、かの九省四郡の好漢たちも、みな勢揃いした。すると、張邦昌・王鐸・張俊の三人の試験官がそろって練兵場に入ってきて、演武庁に坐した。しばらくすると宗沢もやってきた。演武庁にのぼり三人と挨拶を済ませると、席について茶を飲んだ。張邦昌は口を開いて

「宗大人のお弟子さんが、合格掲示に入れてくれるようお願いしたそうですな。」

宗沢

「弟子などおりませんのに、張大人は何をおっしゃる。」

邦昌

「湯陰県の岳飛は、あなたの弟子ではないのですかな。」

方々は知りたいと思われるであろうが、おおよそ人が少しでも私事をしたならば、たとえ布団の中のことであっても、隠しおおせないもの。いわんや、あの日兄弟たちが留守衙門の前にいたことを、誰も知らないはずがあろうか。いわんや留守閣下は、多くの酒食を宿屋に運ばせたのであるから、どうして人々の耳目を欺くことができようか。まして、この三人の試験官は梁王の贈り物を受け取ったのであるから、注意していないはずがあろうか。張邦昌が「岳飛」の二文字を口にすると、宗沢は顔を赤らめ心臓が高鳴り、しばらくこの言葉に言い返す理屈がつかなかった。

「これは国家の大事な儀式ですから、どうしてあなたや私が、私に選ぶことが許されましょうや。今、神に対して誓いを立てて、心の内を明らかにしてこそ、試験ができるというもの。」

そこでそばの者に命じた。

「近こう寄れ。香机を用意せよ。」

立ち上がると、まず天地を拝しそれから跪いて虚空を行き交う神霊に祈った。

「それがし宗沢、浙江金華府義烏県の出身、聖恩を被り武生を試験するにあたり、必ずや誠心誠意公平につとめ、賢才を選抜し、朝廷のために力を尽くします。もしもわずかでも主君を欺き法を売り国を誤り財物を求める考えがあれば、必ずや刀箭の下に死ぬであろう。」

誓いを終えて立ち上がると、張邦昌に誓いを立てるように請うた。邦昌はひそかに考えて、

「このじじいは全くでたらめだ。なんで誓いを立てるのだ。」

ここに至っては断るわけにもいかず、仕方なくやはり跪くと

「それがし張邦昌、湖広黄州の出身。聖恩を被り武生を試験するに当たり、もしも主君を欺き法を売り、賄賂を受け取り賢人を捨てたなら、今生で外国にて豚となり、刀の下に死ぬであろう。」

貴方はこのような誓いは聞いたことがないとお思いだろうが、これは彼が思いついたもの。

「私のような大官は、どうして外国に行くことがあろうか。番邦((北方異民族を「番」と称する。以下、頻出。))
に行ったとしても、どうして豚に変わろうか。歯痛のまじないのようなものじゃ。」

うまい計略だと思った。宗沢は誠実な君子であるから、ただ自らの考えを明らかにしようとしただけ、彼の誓いの軽重に構いはしなかった。

王鐸は張邦昌が誓いを立てたのを見て、やはり跪くと

「それがし王鐸、邦昌と同郷の出身、もしも偽りの心があれば、彼が豚に変わるのならば、それがしは羊に変わり、同じように死ぬであろう。」

誓い終えて立ち上がると、やはり心中ひそかに考えた。

「おまえに悪知恵があれば、わしにもあるのだ。おまえのまねくらいできないはずが無かろう。」

ひそかに笑ってやまなかった。

誰知らん、かの張俊は傍らではっきりと見、はっきりと聞いて、ひそかに考えた。

「この二人はうまく誓いを立ておったが、わしはどうしたらよかろう。」

やはり仕方なく跪いて

「それがし張俊、南直隷順州の出身。もしも主君を欺く心があれば、万人の口に死ぬであろう。」

皆様方、この誓いは奇妙だとお思いであろう。豚に変わる羊に変わるというのはよく言われること、ただ今生だ来世だ外国だ番邦だと舌を弄んだに過ぎないが、誰が万人の口に死ぬというのだろうか。しかし、後に岳武穆王の墓が称え封じられたとき、思いがけなくもこの誓いに応じるのである。これも一つの不思議な事件であるが、ひとまず語らずにおく。

さて、この四人の試験官は誓いを立て終わると、また演武庁にのぼり、拱手して席に着いた。宗沢は心中ひそかに考えた。

「彼ら三人の考えは、この状元は必ずや梁王に合格させようと決まっていよう。奴を呼び出して、先に試験してやるとしよう。」

そこで旗牌に命じた。

「南寧州の挙子((地方の試験に合格し、都で開催される科挙を受験する受験生のこと。))
、柴桂を呼べ。」

旗牌は一声

「はっ。」

と返事をして下りていくと、大声で叫んだ。

「よいか。閣下の命令である。南寧州の挙子、柴桂参れ。」

かの梁王は一声返事をすると、後について演武庁にのぼり、正面に向かってお辞儀をして、一方に立って命令を待った。宗沢

「おまえが柴桂か。」

梁王

「はい。」

宗沢

「受験に来たのであれば、なぜ謁見するにも跪かず、かように威張っておるのだ。古から言うであろう『この官になれば、この礼を行う』とな。おまえは受験しなければ、本来藩王であるから、勿論上座に座っていただくが、今受験に来たからには降って挙子になったのだ。どこに挙子が試験官にまみえて跪かない道理がある。おまえはれっきとした王位に居ようとせず、どの奸臣の言葉にそそのかされたか、逆に自ら大を捨てて小に就き、状元を奪いに来たが、何の利益があるのだ。いわんや、今日は天下のすべての英雄がここに集まっており、中に武芸の腕前がおまえに倍するものがいないはずがあろうか。どうしてそう易々と状元が得られるものか。おまえはその心を捨てて、領地に戻り、名節を全うするのが良かろう。考え直しなさい。」

梁王は宗沢に叱りつけられてどうしようもなく、仕方なしに頭を垂れて跪き、言葉がなかった。

方々、梁王がいったいどういうわけで、一人の下、万人の上である王位を捨ててまで、逆に状元を奪いに来て、このような恥辱を受けることになったかご存じか。梁王が天子の朝賀に来るとき太行山を通り過ぎたが、山の上には一人の大王、一振りの金背砍山刀を使い、やくざものの間で金刀大王とあだ名されるものがいた。この人、姓は王、名は善、万夫不当の勇がある。手下には勇将馬保・何六・何仁等があり、左右の軍師鄧武・田奇は、知謀に優れ、多くの手下を集め、五万余人を擁して太行山を占拠し家々を襲撃したが、官軍は手も足も出なかった。彼は久しく宋の天下を奪おうと謀っていたが、ただ足りないのは内応する者。かの日、梁王が参内すると聞きつけ、軍師と商議して計略を定め、山の麓に陣を構えて梁王が通るのを待ち伏せ、手下に遮り留めさせ、山に上ってもらった。本陣に座って茶を勧めると、田奇

「昔、南唐の時代((南唐は、五代期に江南に栄えた王朝。後に趙匡胤によって併合される。ここでは、南唐を唐王朝の後継と誤認し、さらに後周と混乱しているのであろう。))
、衰微したとはいえ天下は安寧でしたが、趙匡胤が謀略をめぐらし、陳橋の兵変を偽って帝位を簒奪し、天下をかすめ取られ今に至ったのです。殿は逆にただ名前だけの藩王の地位を得ただけで、奴の命令を受けているとは、臣どもは心中まことに不服です。臣どもはただ今、兵は精鋭で兵糧は十分、大王には都に上って奸臣とよしみを通じ、今回の武科挙を利用して武状元を謀奪し、三百六十人の同年の進士と交わりを結び、腹心に収めて内応となさいませ。その時、手紙で山寨に知らせて頂ければ、臣どもは直ちに兵を発してはせ参じ、殿がありし日の天下を回復するのをお手伝いいたしますが、いかがでしょうか。」

この一席の話は、実は王善と軍師が定めた計略なのである。梁王を内応に利用して、宋朝の天下を奪えば、天下は王善のものにならないはずがない。あにはからんや、梁王は彼らに惑わされて大喜び

「卿のかくのごとき忠心、得難いことです。余は都にのぼったら、ただちにこのことをはからいましょう。もしも成功したならば、卿等と富貴をともにしましょう。」

王善はそのとき宴席を設けて歓待し、ひとしきり酒を飲むと、梁王が山を降るのを見送った。一路都に入ると、この幾人かの試験官とよしみを通じた。この三人の奸臣は、賄賂を受け取って武状元を梁王に売り渡そうとしたが、誰知らん、かの宗沢は赤心をもって国のために尽くす者、この三人が賄賂を受けたと明らかに知っているからこそ、梁王を説教して、梁王をへこましたのである。

かの張邦昌はそれを見て、慌てふためいた。

「よかろう。わしも奴の弟子を呼びだして、ひとしきり罵り、鬱憤を晴らしてくれよう。」

そこで旗牌に命じた

「来なさい。」

旗牌は返事をしてやってくると

「閣下、どのようなお言いつけでしょうか。」

張邦昌

「湯陰県の挙子、岳飛を呼んで参れ。」

旗牌は一声返事をしておりてくると、叫んだ。

「湯陰県の岳飛、演武庁にのぼり命令を聞け。」

岳飛はそれを聞くと、慌てて返事をして演武庁にのぼった。柴王が宗沢の前に跪いているのを見て、彼も張邦昌の前に跪いて叩頭した。邦昌

「おまえが岳飛か。」

岳飛

「はい。」

邦昌

「見たところ、おまえは平々凡々で容貌もとりたてて優れぬのに、何の実力があって、状元になりたいというのだ。」

岳飛

「それがし、どうして状元になろうと妄想しましょうか。ただ、いま試験場には何千人の挙子が、みな受験に来ておりますが、状元になりたくないものがおりましょうや。実際には状元はただ一人だけ、かの千余人がどうしてそれぞれ状元を手にすることが出来ましょう。それがしもその例に漏れず応試したまでのこと、どうして妄想などいたしましょうか。」

張邦昌はひとしきり罵ってやろうとしたのだが、はからずも岳飛にこのように言い返されては、どうして罵る言葉が出てこよう。そこで

「まあよかろう。まず、おまえたち二人の実力を試験してから、他のものを試験しよう。おまえはどのような武器を使う。」

岳飛

「槍です。」

邦昌はまた梁王

「どの武器を使う。」

梁王

「刀です。」

邦昌はそこで岳飛に『槍論』を、梁王に『刀論』を書くように命じた。

二人は命を受けて下りてくると、演武庁の両側で机に紙と筆をならべ、それぞれ論文を書いた。柴桂の学問は、本来なかなかのものなのだが、宗沢に癇癪玉を落とされ怒りに頭が朦朧としていたので、筆をおろして「刀」の字を書いたが、思わず頭が出て「力」の字のようになってしまい、心中慌てふためいて何筆か書き加えれば、ますます刀は刀にならず、力も力にならず、仕方なく塗りつぶして、別に何行か書いた。はからずも、岳飛は早くも答案を提出に行ったので、梁王もこれはまずいと、仕方なくのぼっていって答案を提出した。邦昌はまず梁王の答案を見て、袖にしまいこんだ。それから岳飛の文章を読むや、びっくり仰天

「この者の文才は、わしよりも優れている。なるほど宗のじじいの気に入るはずだ。」

そこでわざと叱りつけて

「このような文章で、状元になろうと思ったか。」

答案を下に向けて放り投げ、怒鳴りつけた。

「つまみ出せ。」

側の者がはっと答えて進み出て、手を下そうとするところ、宗沢が一喝した。

「手出しは許さぬ。しばし待て。」

側の下役たち、宗沢が一喝されてだれが逆らえようか。だれもが立ち止まった。

宗沢は言いつけた。

「岳飛の答案を取って参れ。」

側の者どもは、また張太師が癇癪を起こすのを恐れ、顔と顔とを見合わせてだれも拾いに行こうとしない。岳飛はやむなく自分で答案を取って、宗沢に捧げた。宗沢が受け取って机に置き、広げて仔細に見てみれば、果たして一言一言金石のごとく、一字一字宝玉にも似たり、というもの。ひそかに考えるに

「この奸賊、かように才を軽んじ利を重んずるか。」

やはり答案を袖にしまうと

「岳飛、この程度の才能で、どうして功名を手にすることが出来よう。おまえは蘇秦が献上した『万言書』、温庭筠が代作した『南花賦』を知らぬか。」

貴方は、この二言がいかなる典故かご存じか。その昔、蘇秦が秦国に行って『万言書』を奉ったとき、秦の大臣・商鞅は、彼の才を忌み嫌い、後に権柄を奪われるのを恐れて、蘇秦を採用せず、張儀を採用したのである。温庭筠というのは後晋の丞相・桓文の故事である。晋王が桓文を召して御花園に南花をめでたが、その南花とは鉄梗海棠である。その時晋王は桓文に『南花賦』を作ることを命じ、桓文は奏上した。

「臣が明朝の朝議の際に献上することを、お許し下さい。」

晋王は了承した。朝廷を辞して帰ったが、どうして作れよう。そこで家の代筆家の温庭筠に代作してもらったのである。桓文は見るや、大いに驚き、ひそかに考えた。

「もしも晋王が彼にこのような才能があると知ったならば、必ずや重用するだろう。私の権柄は奪われてしまうではないか。」

そこで温庭筠を薬殺し、『南花賦』を書き写して献上したのである。これらはいずれも、才能に嫉妬した故事なのである。

張邦昌はそれを聞くや、覚えず激怒した。この激怒に因らねば、必ずや、一国の藩王、非業の死を遂げ、数万の賊兵、絵に描いた餅になる、といはならないのである。これぞまさしく

>朝中の奸党 権を専らにする日は&br;天下の英雄 失意の時

というもの。

いったいこの先どうなるかは、次回のお楽しみ。