中国伝統劇解説/京劇『紅鬃烈馬』 の変更点

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-王宝釧、武家坡、大登殿

唐の丞相王允には三人の娘があり、長女金釧は戸部官員蘇龍に、次女銀釧は兵部侍郎魏虎に嫁いでいた。一人未婚の三女宝釧は、二月二日に彩楼に球を投げて婿を選ぶことになる。雪の日、宝釧は花園の外に行き倒れていた乞食の薛平貴を救い、その常人ならざるを見抜き、彩楼に球を受けに来るよう言いつける(《花園贈金》)。平貴は首尾よく婿に選ばれるが(《彩楼配》)、その貧しさを嫌った王允に追い出される。王允の王孫公子との結婚の勧めを、宝釧は拒絶、三撃掌して父娘の縁を切り、平貴の寒窰に赴く(《三撃掌》)。

困窮した平貴は王允の陳婦人に銀と米を貰うが、王允に見つかりたたき出される。時に紅沙潤に妖魔が害を為していたが、平貴はそれを降して紅鬃烈馬を得、功により後軍都督府に封ぜられる。折しも西涼国の反乱がおこり、王允は蘇龍・魏虎を正副元帥に、平貴を先行官に任じて征伐に赴かせる一方、魏虎に平貴を害するように密命を下す(《投軍降馬》)。平貴は出征に際して寒窰に赴き宝釧に別れを告げる(《平貴別窰》)。そのために軍の点呼に遅れ、魏虎に四十叩きの刑を受ける。平貴は西涼の代戦公主と戦い退けるが、魏虎に酔い潰された上、馬に縛り付けられて敵陣に送られる。しかし、ゆるされて代戦公主と妻合わされ、やがて西涼王となる(《誤卯三打》)。

寒窰の留守を守る宝釧に、王允は度々再婚を迫る。宝釧は頑として拒絶したが、やがて病を得る。それを知った母の陳氏は屋敷に迎えようとするが、それをも拒絶して貞節を貫く。(《探寒窰》)

平貴が西涼王になって十八年たったある日、鴻雁が人語を話し、平貴を無道と罵る。これを射て宝釧の血書を得た平貴は、代戦公主を欺いて三関に向かう。追いついた代戦は訳を知って平貴に金鴒鴿を贈り、三関に屯して不測に備える(《赶三関》)。平貴は武家坡に宝釧と再会するが、宝釧が彼を判じ得ないのに乗じて、宝釧の貞節を試す。寒窰に逃げ戻った宝釧を追って平貴は真実を語り、夫婦は再会を果たす(《武家坡》)。平貴夫婦は王允の誕生日に託つけてその屋敷を訪ね、魏虎に十八年分の軍糧を要求する。互いに争うが決着せず、一同唐王に見える(《算軍糧》)。唐王の崩御に乗じ、王允は簒奪して自ら王となり、逃げた平貴の逮捕を三関の主将高嗣(思)継に命じる。金鴒鴿の知らせに接し、銀空山に狩をしていた代戦公主は長安に向けて進撃を開始、嗣継を撃ち破る。平貴は嗣継を説降し、一同は長安を陥れ王允・魏虎を捕らえる(《銀空山》)。薛平貴は自立して帝となり、金殿に蘇龍を昇級させ、王允を斬ろうとするが宝釧の苦諌に赦す。更に魏虎を斬り、代戦を西宮に、宝釧を正陽宮に、陳氏を養老院に、最後に王允を有職無権の太師に封じる(《大登殿》)。
-旧時には“薛八出”の呼称があったというが、実質は八出にとどまらない。
-物語については、《秦腔劇目初考》は明代起源とするが資料未見。清代中期までには成立している。薛平貴は史上存在しない。モデルは唐の将軍薛仁貴とも、五代の石敬塘とも言われる。尚、高思継は小説《五代残唐》にも見え、李洪春は同一人物と認めている。