中国伝統劇解説/京劇『遇皇后』 の変更点

Top / 中国伝統劇解説 / 京劇『遇皇后』

北宋の時代、清廉潔白で知られた包拯は、飢饉の対策のため陳州に赴いた帰途、天斉廟で一人の失明した貧しい老婆の訴えを受けた。この老婆こそは、時の仁宗皇帝の実の母・李太后であった。二十年前、李と真宗の寵愛を争った劉妃は、李が産み落とした太子を宦官・郭魁と謀って皮を剥いだ山猫と取り替え、妖怪を産み落としたと誣告、更に閉じ込められた冷宮に火を放った。幸い、李太后はその難を逃れ、この地の趙州橋のたもとに落ち着いていたのである。包拯は老婆が本当の太后であると認め、(以下《打龍袍》)開封に戻り観劇に事寄せて仁宗の親不孝を詰る。仁宗は老宦官・陳琳の証言で真実を知り、自ら母を迎えた。李太后は仁宗を打って罪を糺すように命ずるが、包拯は龍袍をたたくことで刑に代え、その忠義と聡明を賞された。
-この物語の背景になっているのが、所謂《狸猫換太子》故事である。劉妃は交換された太子を宮女・寇珠に命じて捨てさせるが、寇は陳琳に託して八王・趙徳芳(趙匡胤の子)の下に送り届ける。劉妃は後に男子を産むが夭折したため、趙徳芳が太子を養子として送り込み、即位して仁宗となったのである。物語は元雑劇に既に見え、包拯故事の中核を形成している。