『都市芸研』第二輯/2002年度山西・江蘇・湖北等寺廟調査報告

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2002年度山西・江蘇・湖北等寺廟調査報告

二階堂 善弘

1.調査地域及び日程

筆者は2002年度において、夏季(2002年8月18日から8月26日まで)に山西省及び北京市、また冬季(2003年2月22日から3月7日まで)に江蘇省・湖北省及び上海市において、幾つかの寺廟の調査を行った。ただ、冬季調査は茨城大学の短期留学引率の仕事が中心であり、また交通や天候事情の影響もあって、不十分なものとならざるを得なかった。しかし限られた時間の中で、可能なかぎり各寺廟の信仰事情や神像の祭祀の状況について調査することに努めた。なお、訪れることのできた寺廟は以下の通りである。

  • 夏季
    • 純陽宮(山西省太原市内)
    • 双塔寺(山西省太原市内)
    • 晋祠(山西省太原付近)
    • 五台山諸寺(山西省五台山)
    • 清虚観(山西省平遥)
    • 平遥城隍廟(山西省平遥)
    • 北京白雲観(北京市内)
  • 冬季
    • 上海白雲観(上海市内)
    • 上海城隍廟(上海市内)
    • 玄妙観(江蘇省蘇州市内)
    • 寒山寺(江蘇省蘇州市内)
    • 武当山諸宮観(湖北省武当山)
    • 長春観(湖北省武漢市内)

このうち、五台山と武当山には十数箇所以上の寺廟が含まれている。調査できたのはそのうち主要な幾つかの寺廟のみにとどまった。

また多くの寺院や道観において、僧侶や道士による宗教儀礼を目睹することができた。これは庶民層において、宗教的な祭祀を行うことが復活しており、それがすでに日常化していることを示すものと思われる。さらに五台山や武当山などの大規模な寺廟群では観光地化が進み、宗教施設とは異なった性格が非常に強くなっている。

2.各廟の概観

ここでは、今回訪ねた幾つかの寺廟のうち、五台山や武当山などの山間部に位置するものは除き、特に都市部または都市近郊に存在するものを採りあげ、その歴史的経緯や特色について探ってみたい。

a)純陽宮と晋祠

ともに山西の太原付近にある古廟である。

純陽宮はその名の通り、呂純陽(呂洞賓)を祀った道観である。太原市の中心部に位置する。もっとも、現在ここは山西省博物館になっており、宗教施設としての性格は薄くなっている。道教関連の文物も陳列してはいるが、収蔵品の多くは青銅器や陶磁器や仏像などであり、やや建物にそぐわない印象がある。

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純陽宮前の牌楼
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純陽宮後部の楼閣

さて、山西はそもそも呂洞賓の出身地とされており、その祠廟も数多く存在する。この純陽宮の正確な創建年代は不明であるが、元代には丘処機の弟子である宋徳芳がこの道観を主持したという。現在の建築物の多くは、明から清にかけてのものであり、記録によれば、明の万暦二十五(1579)年に、この地の藩王であった朱新揚と朱邦祚が建てたものが、いま見られる純陽宮の基になっているとされる。その後、清の乾隆年間にも大きく改築された*1

面積は広くないものの、呂洞賓を主尊に祀る呂祖殿などは宏壮な趣きがある。また後殿の楼閣建築の複雑な構造に見どころがある。門の前部の小高い亭には、関帝が赤兎馬に跨り、刀を手にした像が置かれている。

晋祠は太原からは二十五キロほど離れたところにある。ここには古来、「晋王祠」という唐叔虞を祀った廟があった。後に道教の廟や仏教寺院が併置され、いわば儒道仏が融合した宗教施設となっていった*2

晋祠で最も著名であるのは、北宋の天聖年間に作られたという聖母殿である。ここには唐叔虞の母である邑姜を祀る。修復されているものの、柱や塑像を中心としてかなり北宋のものを残しており、貴重な古建築である。

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聖母殿

この他、晋祠の北部には、文昌宮(文昌帝君)・東嶽祠(東嶽大帝)・関帝廟・三清祠(元始天尊・霊宝天尊・太上老君)・唐叔祠(唐叔虞)や呂祖閣(呂洞賓)などがある。また聖母殿の後面には魯班を祀る殿がある。これらの殿宇の設立年代は様々であるが、塑像の中には明代のものが多く見られた。

b)清虚観と平遥城隍廟

平遥は城壁に囲まれた街全体が明清期の遺構を残すものであり、至る所に古建築を存する。寺廟では清虚観と城隍廟が有名である。

清虚観も現在は平遥県博物館となっており、宗教施設としての役割はほとんど無い。その淵源は、唐の高宗の頃の建になる太平観であるという。山門より入り、龍虎殿・三清殿・純陽宮と連なっている。龍虎殿の巨大な青龍・白虎像が有名である。

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清虚観

平遥城隍廟は城隍神を祀る。その淵源は北宋年間にあるとされるが、明の嘉靖三十三(1554)年及び清の咸豊九(1859)年に大火に遭い、大規模な修復を経ているという*3

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城隍廟本殿

建物は正殿の他、六曹府・鍾馗殿・土地府・竈神廟・財神廟などがある。冥界神たる城隍の性格を反映し、地獄の判官である六曹や鍾馗なども祀るのが特徴的である。ここではまた地獄の恐ろしい裁判の様子を描いた像が幾つも存在する。さらに土地府には、平遥付近を管轄する土地神を集めており、四十体ほどの像が祭祀されている。財神廟には比干や関帝や趙公明などの財神を祀る。城隍廟には古い戯台を有することでも有名である。

c)玄妙観

蘇州の繁華街の中心に位置し、広大な面積を持つ道観である。その淵源は東晋時の「真慶道院」とされる。唐代には「開元宮」、宋代には「天慶観」として、幾多の改建を経ている。元の成宗の時に「玄妙観」と改称されたものの、明の洪武年間にはさらに「正一叢林」とされ、明の嘉靖十六年(1537)に再び重修されて名称も玄妙観に戻る。ほとんどの廟宇は明清期に度重なる改築を蒙っており、兵乱や災害のために荒廃していた時期もあった。1980年代に大規模な改築が行われ、現在の姿となっている*4

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玄妙観前殿
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玄妙観三清殿

殿宇は、三清殿・雷祖殿・財神殿・文昌殿などの各殿がある。このうち中心となる建物は三清殿である。三清殿には元始天尊・霊宝天尊・太上老君の三清を中心に祀り、玉皇上帝や皇土地祇などを併祀する。三清の脇には、鄧・辛・張・陶・龐・劉・苟・畢・岳・温・殷・朱の十二天君の像が置かれ、後部には六十太歳の像が置かれている。また三清殿の脇にある無字碑は著名なものである。

雷祖殿は、本来は九天雷声普化天尊を祀る殿である。ただ現在は前方に椅子を並べ、儀礼を行う祭祀の道場として使用しているようであった。財神殿には趙公明などの財神を祀る。

d)長春観

長春観は武昌の東門に位置し、全真教の十方叢林として著名な道観である。その創建は元代であるとされる。西側には有名な黄鶴楼がある。現在の建物は清の同治三(1864)年に再建されたもので、これもかなり改築を経ている。建築は、正面から王霊官を祀る霊官殿、太上老君を祀る太清殿、全真七子を祀る七真殿が並んでいる。また呂祖殿には呂洞賓を祭祀し、後ろには三皇殿があり、伏羲・神農・軒轅の三皇を祭る*5

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長春観太清殿

3.元帥神像について

今回の調査で特に注意したのは、各廟に祭祀される「元帥神」の像についてであった。元帥神は宋から明代に信仰が盛んになった神格である。北宋において雷法が興起し、それとともに元帥神が道教信仰において重要な地位を占めるに至った。元帥はまた「天君」とも称され、その多くは武勇の神である。

現在関帝として祭られる関羽も、元来は関元帥として、四大元帥の一角を占めるものであった。また財神として有名な趙公明も、趙元帥として元帥神の一つとして著名であった。また王霊官は、現在全真教系の道観において霊官殿に必ずといってよいほど祭祀される神であるが、これも元帥神の一種である。

このように、元帥神のうち幾つかは、後世それぞれ別の性格を持つ神として発展を遂げ、単一に祀られることが増えていった。一方でそれ以外の元帥神については、現在でも儀礼面では重視されることがあるものの、一般的な廟宇では祭祀されなくなったものが多い。特に諸元帥を数体から十数体をまとめて祭祀することが行われにくくなっている。むろん、現在新しく造られている香港や台湾の廟において四大元帥像を祭祀することもよく見られるが、その大半は伝統的な元帥の形象とは異なったものとなっている。

明代の元帥神像、或いはその伝統的な形象を引き継いだ元帥神の像は現在ではかなり少なくなっており、元明期の神信仰の研究において非常に重要なものである。ここでは今回の調査において目睹しえた像について些か言及してみたい。

蘇州玄妙観の三清殿にある元帥神像は、十二天君像と呼ばれ、おそらく再建されたものと思われるが、よく伝統的な形象を残している。祭祀されているのは、鄧・辛・張・陶・龐・劉・苟・畢・岳・温・殷・朱の十二元帥である。鄧天君や辛天君など、ここでは特に雷部に属する元帥を全面的に意識した配置となっていると考えられる。

平遥城隍廟においても、後殿の真武殿に真武大帝と四大元帥が祀られている。四大元帥の人員は時代や廟によって異なるが、元明における一般的な配置は温元帥(温瓊)・関元帥(関羽)・馬元帥(馬勝)・趙元帥(趙公明)の四神であった。武当山の諸宮観ではこの組み合わせがしばしば行われる。しかし平遥城隍廟では、温・馬・趙元帥の三元帥については一致するものの、関元帥が抜けて代わりに岳元帥が入っている。これは関元帥が関帝として独立して祭祀されるようになったため、それに伴って起こった現象であると考えられる。現在台湾の廟などでは、関元帥の代わりに康元帥を入れることが多い。

岳元帥は岳飛であるとされるが、その由来については不明な点も多い。忠義で有名な神であることから、関元帥との入れ替えは容易であったと考えられる。先に見たように、玄妙観にも岳元帥像を蔵する。

上海白雲観に蔵する元帥神像は、明代の塑像であると伝えられる。蔵されているのは、趙元帥・殷元帥・馬元帥・王霊官・岳元帥・温元帥の像である。上海白雲観は、現在は全真系の道観となっており、このような元帥神像を祭祀することには若干の違和感を覚える。実はこれらの神像は南京の朝天宮に蔵されていたものであり、幾つかの経緯を経て、上海白雲観に配されることになったものである。その形象は、明代の元帥の形象をよく保存しているとみられ、貴重なものである。

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殷元帥
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馬元帥
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王霊官
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趙元帥
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岳元帥
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温元帥

この中で殷元帥像は、手に鐘を持ち、首に髑髏を掛けている。これは殷元帥が太歳神という疫病神であることからきている。蘇州玄妙観の殷元帥像も全く同じ形象であった。この鐘を持ち、髑髏を掛けるというのが伝統的な殷元帥の特色である。

馬元帥はまた華光大帝とも称される神である。手に金磚という投擲用の武器を持つのが普通であるが、何故かこの上海白雲観の像は明らかに書物を手にしている。

王霊官と趙元帥は鞭を持つことで有名であるが、この像も鞭を手にしている。また趙元帥は黒虎に跨ることで知られているが、この像もそうなっている。ただ、王霊官と趙元帥については、後世独立した神格として祭祀されることも多く、その形象については大きな変化はない。

温元帥は狼牙棒と輪を持っている。『三教捜神大全』の図などを見ると、確かに温元帥は輪を持っている*6。また一般的には温元帥に固有の武器は狼牙棒であるとされる。岳元帥は、普通の槍を持つ。

この上海白雲観の元帥像は、温・馬・趙・岳元帥を四大元帥として祭祀し、それに殷元帥と王霊官を加えたものなのか、或いは他の元帥神像がさらにあったのかは不明である。関元帥がおらず、岳元帥が入っているのは平遥の城隍廟と同じである。こういった元帥神像の形象や組み合わせの差異と問題点については興味深いものがあるが、これについては今後の検討課題としたい。

本報告は、日本学術振興会科学研究費・基盤研究B「近代北方中国の芸能に関する総合的研究―京劇と皮影戯をめぐって―」(2002~2003年度・課題番号14310204)による成果の一部である。


*1 ここでは山西省博物館編『純陽宮』(山西省博物館)を参照した。
*2 太原市晋祠博物館編『晋祠諸神』(山西人民出版社・2001年)参照。
*3 董培良『平遙城隍廟』(山西経済出版社・2001年)1頁。
*4 趙亮等『蘇州道教史略』(華文出版社・1994年)125~133頁。
*5 張九賦『長春観』(武漢出版社・2001年)2~5頁。
*6 『絵図三教源流捜神大全』(上海古籍出版社・1990年)222頁。