『都市芸研』第五輯/『宣南零夢録』解題

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『宣南零夢録』解題

藤野 真子

沈太侔『宣南零夢録』は、一九三四年、『清代燕都梨園史料』に収録、刊行されたことにより、初めて広くその存在が知られるようになった演劇史料の一つである。

著者の沈太侔(一八五七、五九または六四~一九二六)は、広東省番禺(広州)の人。

本名は宗畸、太侔は字である。「序」に見える南野という号のほかに、南雅、痩腰生など多数の別名、筆名を持つ。著作には、本書以外に、『便佳簃雑抄』という同治~宣統期の逸話を記した随筆や詩集などがある。

彼は、少年期に入京してから亡くなるまで、その生涯の過半を北京で過ごした。本書の書名に「宣南」の二字を用いていることから伺えるように、沈太侔は、清代に漢族の官僚、知識人が多く居住し独特の文化を形成した宣南(現宣武区)に居を構え、琉璃厰の古書肆や前門外の戯園などに足繁く通っていたものと思われる。『清代燕都梨園史料』冒頭の「著者事略」によると、光緒年間に挙人となり、若い頃は詩文で名をあげたが、辛亥革命以降は売文で生計を立てていたという。

『宣南零夢録』は、『清代燕都梨園史料』所収の著作の中でも短編に属するが(全九条)、劇場の入場料とその変化(01)、役者と観客との交流(09)、譚鑫培をはじめとする名優たちの得意演目や舞台内外でのエピソードなど(02ほか)、清末の北京演劇界の貴重な史実が記録されている。中には、実父の日記と共に遺されていた団拝時の戯単の草稿(03)のような身内にしか知り得ない情報もあり、京劇史研究に欠かせない史料の一つとなっている。本書の執筆時期は記されていないが、本文中に記された年次から推して、民国初年のことと思われる。