『都市芸研』第五輯/西洋人は「京劇」をどのように観察したか

Top / 『都市芸研』第五輯 / 西洋人は「京劇」をどのように観察したか

西洋人は「京劇」をどのように観察したか 音楽文化学の視点からの考察(1)

仲 万美子

はじめに

清の時代が終焉を迎え、中華民国が近代世界にむけて扉を開いたとき、北京や上海など都市部に行き交った、中国の芸能を見つめる内・外の人々は一体、何を基準にその芸能の魅力を探り出そうとしたのだろうか?そしてどのような手段をもって積極的な文化理解を促進させたのだろうか。

中国の総合芸術を代表する「京劇」を事例にとって考えてみたい。「京劇」は、外向けの文化発信の足跡としては、1919年、24年の日本公演、そして1930年のアメリカ公演、1935年のロシアへの移動公演を行っている。そして、京劇役者の梅蘭芳(MEI Lanfang、1894-1961)らが異文化の人の視線を浴びた。一方で、西洋や日本のパフォーマー達の中国への移動公演あるいは日本や西洋の研究者や評論家達による出版物そして海外へ留学した中国人研究者自身による研究成果を通して、中国の自文化と異文化の文化接触の過程を観察することができる(仲 1997)。

本研究では、このような文化接触の初期の過程で、「京劇」について、訪中経験のある西洋人がどのような理解をしていたかについて、1920年代から30年代にかけて刊行された雑誌、新聞掲載記事(一部単行本を含む)を基に考察を行う。

一 総合芸術をめぐる20世紀初頭の西洋と東洋という異文化関係

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、東アジア、とくに中国や日本の伝統芸術は西洋文化と出会い、なんらかの刺戟をうけ、変貌を遂げたケースもある。近代化をたどる過程は政治的背景もあり、それぞれの時期において双方に影響を受けながらその進展を遂げてきた。一つの方向性としては、西洋の発展史観にもとづいて東アジアの人々は「西洋」に憧れ、西洋近代文化への盲目的な追従の時期が表出した点が挙げられる。

音楽について、日本では西洋のオペラと出会い、とりわけ総合芸術である歌舞伎や能という伝統芸術をベースに、日本にオペラという新しい芸術のジャンルを移植しようとする試みがおこった。日本人スタッフによるオペラ上演の嚆矢とされるのが、明治36(1903)年に東京帝国大学、東京音楽学校(現、東京芸術大学)の教官、学生によるグルックのオペラ《オルフォイス》の公演である。その上演後、加速的に明治末から大正、昭和初期にかけて、日本のテキストによるオペラ創作の模索、そして浅草オペラ、さらにラジオ放送開始にともなう放送歌劇など、西洋との時間差を解消するための道程をたどった(仲1997)。その間、日本の伝統芸術の歌舞伎のロシア公演(1927年)がおこなわれ、また西洋演劇との出会いにより各種の新劇の上演活動が活発に展開された(仲2004)。

世界情勢から見るとこの時期は、日清戦争が終結し、日露、第一次世界大戦から、日中戦争、さらに第二次世界大戦へと戦争が断続的に勃発した時期にあたる。そして、中国側からみればこの時期は、日清戦争後、清朝が幕を下ろし、中華民国が成立し、文化を取り巻く社会環境の大変革の時期にあった。この清末民初の時期には中国から多くの留学生が、一足早く近代化を進展させていた日本を訪れ、積極的に日本文化というフィルターを通して西洋芸術文化を吸収し、中国へ持ち帰り、直接西洋へ留学した人々とともに西洋芸術文化の中国への移入につとめたのである。周知のことであるが、中国の「話劇」の旗揚げ公演は日本で行なわれ、上海、北京へとその活動を展開した。オペラの概念も日本を経由して中国へ持ち込まれたのである(仲1997)。この時期の西洋文化の東方への流入の勢いは非常に力あふれるものであった。

図1は、総合芸術「京劇」をめぐる20世紀初頭の西洋と東洋という異文化関係について表したものである。

図1 20世紀初頭の総合芸術「京劇」を軸にした異文化との関係 (作成:仲万美子2006)

勿論、両文化間の接触が一方からだけの文化移入でなかったことは今では明白なことである。ジャポニズム、シノニズムという文化思潮に後押しされ、絵画や美術工芸の東洋の伝統技法が、西洋の芸術家に好まれ、積極的にとりこまれたことはいうまでもない。例えば、中国の民謡《茉莉花》のメロディはイタリアの作曲家プッチーニによって歌劇《トゥーランドット》の中に引用されたり、《マダムバタフライ》では登場人物に日本の女性が取り上げられたり、日本の古謡などが引用されている。しかし、各文化を区別することなく、それぞれに存在価値を持たせる文化相対主義が登場していない当時においては、「東洋文化の西への流れ」の勢いは、「西から東への流れ」に比べ小さいものだったと見るべきであろう。そして各々が異文化へ導入された際に、本来の文化圏における特質が一時的に希薄化されたものとも考えられる。このような関係をイメージ化したものを、資料図1の西洋文化と東洋文化の色の濃淡で示してある。

さらに、東西という大きな文化の枠組みの中には、東アジア、そして中国/日本という文化があり、また大まかに言って欧州の文化があり、さらに精密な分析をすれば、ロシア文化、アメリカ文化も存在する。もちろん、アメリカ文化にはアフリカ系の黒人文化やネイティブアメリカンの文化、ロシアにモスクワなどの白系ロシア文化だけでなく、様々な民族文化が含まれているが、当時は詳細にわたって深い認識は相互になされていなかったことを前提に、楕円形の囲みで図示化した。

このような異文化関係の位置づけの中で、「京劇」という中国の伝統文化が、訪中した研究者や批評家にどのように認識、理解されたかを具体的な事例を基に考えてみたい。

二 対象とする英文資料および著者の概要

本研究で対象とする英文による資料は、図表1および2に掲載した、1920年代から30年代にかけて刊行された雑誌、新聞掲載記事である。(図表1,2)

以下著者と刊行物について簡単に記しておく。

この時期、中国の総合芸術「京劇」について最も多く言及したと見られる人物が二人いる。一人は、Eduard Adolf ZUCKERである。彼は、北京のUnion Medical Collegeの英語の助教授の経験もあり、1925年当時、Maryland Universityの比較文化の教授であった。彼は、梅蘭芳だけでなく中国における劇場にシェークスピア演劇と比較しながら論及している。例えば、1925年にThe Chinese Theaterを刊行し、前後してAsiaなどに同様の視点で寄稿している。

また、アメリカ育ちで20歳のときに中国に渡り、浙江省の杭州キリスト教大学に在職していたGeorge Kin LEUNGは1920年代後半から1930年代半ばにかけて The China JournalPacific AffairsAsiaなどに20篇の文章を寄稿している。Frederic LIEBAERMAN 編集の中国音楽に関する文献書誌一覧Chinese music(1979)に取り上げられたほかの文献リストの中でもLEUNG の著述は個人の執筆量として群をぬいており、1930年の梅蘭芳のアメリカ公演に前後して積極的に京劇に関する論述を行った人物のうちで中心的な役割を果たしていたと考えられる。

さらに、1930年の梅蘭芳のアメリカ公演に関して、CHANG, P. C.によって編集されたMei Lan-fang in America reviews and criticisms(1935)にニューヨークなどの新聞や演劇雑誌の論述より編集、再録された記事も20世紀初頭の京劇について外国人がどのように理解したかを知る貴重な資料である。

本稿で、1920年代前半に刊行されたZUCKER の論述を、音楽に重点をおいてその概要を紹介する。

三 ZUCKERの論述の概要

図表1(兼参考文献表)にみられるように、彼は、3篇の論述と1冊の著述を執筆している。3編の論述、"China's 'Leading lady' the youthful female Impersonator who is greatest of the "Brethren of the Pear-Orchard'"(1924)、"Peking Playhouses: in which the conservative taste of the capital sets a fashion for China"(1925)、"The changing theaters of Asia"(1926)は、いずれもAsiaに掲載されたものである。

図表1 A.E.ZUCKER他の著述一覧(仲万美子作成、兼参考文献表、網掛けは未入手)
年数著者タイトル掲載誌名 巻、号数
1919WILLIAMS, Frank S."The Chinese theatre: a romantic institution fettering the past and present in China"Asia 18(4):314-322
1922CHU ChiachienThe Chinese TheatreLondon:Bodley Head 36p.
1924ZUCKER Adolf EduardChina's 'Leading Lady' the Youthful Female Impersonator Who Is Greatest of the "Brethren of the Pear-Orchard'"Asia 24(8):600-604, 646-647
1925aZUCKER Adolf EduardThe Chinese TheaterBoston:Little,Brown & Co., xvi+234p.
1925bZUCKER Adolf Eduard"Peking Playhouses: in Which the Conservative Taste of the Capital Sets a Fashion for China"Asia 25(4):306-311, 335-357
1926ZUCKER Adolf Eduard"The changing theaters of Asia"Asia 26(3):202-209, 260-262
1930CARTER, C.Edward"Mei Lan-fang in America"Pacific Affairs 3:827-833
1932CHEN, Karl Chia“New opera in China"China Reconstructs 266:661-663.

"China's 'Leading lady' the youthful female Impersonator who is greatest of the "Brethren of the Pear-Orchard'"は、中国の秀でた旦角役者、いうまでもなく梅蘭芳にスポットを当てた論述である。この若き役者は、中国の舞台のアイドルであり、中国をおとずれる旅行者はすべて、彼の舞台を聴くとし、数年前のアメリカのツアー客は、「imponderable oriental asset」である彼の30分のステージに4,000ドルを支払ったとも述べている。外国人が、このような彼の演技に対して高い評価を行っている様子を冒頭に述べているが、一方で、ZUCKERは、音楽に対しては次のように述べている。

For five years I observed Mei Lan-fang's work, and I believe that he deserves all his fame. I understand, however, how some who have heard him sing in his falsetto voice and have seen him act a “slow” play, or opera, If you will, in the conventionalized Chinese manner, to the accompaniment of a screeching violin and ear-splitting brass cymbals, many feel that they would have been willing to pay a good sum to be excused from the performance. Keenly as I myself am interested in the Chinese drama, especially when interpreted by Mei Lan-fang, I realize that it is not the finished product found in our theater. There are no great Chinese tragedies to place by the side of Shakespeare's ; no profound comedies such as Moliere's; no plays so closely knit as are our good detective plays. As for staging, the Chinese are centuries behind us there.(下線は筆者)(Zucker 1924:600)

上記の文章では、梅の活動を5年にわたり観察し、その演技の卓越した点には評価を与えているものの、「耳障りな京胡(screeching violin)」や「耳をつんざくようなドラ(ear-splitting brass cymbals)」といった表現にみられる様に西洋人の身体にある音楽感覚では音楽的な面での理解を得られるには至っていないことがわかる。そして文章後半に示されているように、シェークスピアの悲劇やモリエールの喜劇に相当する洗練された作品はみられないとしている。

写真1 ZUCKERが撮影した梅蘭芳(出典:ZUCKER 1924:601)

また、この論述では、ZUCKER自身が上海で撮影した時装戯『一縷麻』の林紉芬の扮装した姿の写真や上述の英文を要約した文章と梅と楽器演奏者、そして芝居小屋の中の観客のHerb Rothによるイラストが掲載され、読者をひきつけるものとなっている。

写真2 梅と伴奏者のイラスト(出典:ZUCKER 1924:602)
写真3 観客イラスト(出典:ZUCKER 1924:603)

論述の末尾には、梅の人となりについても以下のように記している。

  All in all, Mei seems more like a youthful scholar than an actor. There is not the slightest touch of Bohemianism about him. His favorite avocations are music and drawing: opium-smoking and other fashionable dissipations do not appeal to him. He has for a close friend and daily companion a learned scholar, with whom he makes researches in ancient works dealing with the drama. With great pride he showed me his extensive library, lingering long over a neatly written text of a play copied by his grandfather, who had been musician to the great actor Tan. Like most other men who achieve distinction, he is in love with his work and devotes himself to it night and day(Zucker 1924:647)

梅が、俳優でありながらも、むしろ「学者」をも思わせるところがあり、音楽やデッサンの趣味をもつ人物であることが紹介されている。学者との交流をはかり、彼の祖父が筆写した台本のコレクションを見せてもらったことや、彼が自分の仕事を愛し、日々没頭していると、賞賛している。

そして、梅が西洋音楽に関心のあること、また華人以外の聴衆を意識した「伴奏音楽」への配慮をした点について、次のように述べている。

  His greatness lies in the fact that he is able to introduce bold reforms into the theater without cutting himself off from tradition. His attitude toward music is a case in point. The old Empress Dowager, showing her usual bad taste, had made fashionable in Peking a Mongolian style of music, intended for open-air theaters on the wind-swept plains and, in a roofed theater, absolutely ear-splitting. Mei Lan-fang is returning to traditional Chinese music, in which the soft notes of the flute prevail. When he plays in Japan or in the European theater in Peking, he removes the ill-clothed orchestra from the stage;but he can not do this in the native theaters, where strong tradition insists that the “noise”(as the musicians were called in Shakespeare's day) must sit on the stage and destroy the illusion, for the foreigners at least. He is very fond of western music and hopes ultimately to win over his audiences to an appreciation of the piano and the violin, which would enable him to enrich his musical repertoire(Zucker 1924:647)

上記の文面からは、野外で行われていた伴奏音楽を劇場内にもちこむことで、少なくとも西洋人にとっては、耳障りな「雑音」とも思える音楽であり、日本や北京の西洋スタイルの劇場では排除したと述べている。ただし具体的には表現されていない。そして梅自身が西洋音楽も愛好していることにも触れている。

華人にとっては不可欠な中国楽器の伴奏音楽も、当時まだ、古典やロマン派音楽の耳に親しみを覚えている西洋人にとっては、「noise」そのものとみなされていた。20世紀中期以降に登場してくる現代音楽やあるいはジョン・ケージなどの雑音をも含みこんだ音楽、そして文化相対主義の流れにそってアジアの音楽もあるがままに理解/聴取するには当然いたっておらず、あくまでも、西洋の音感覚をベースにした尺度での中国音楽の理解がなされていたことの一面が、この論述からもよみとれる。

このZUCKERの論述は1924年にASIAに掲載されたもので、彼自身が撮影した梅の写真(写真1)が掲載されていることや上記の文面からも、梅との直接の交流があったことが伺える。梨園の俳優でもあり、西洋の現代演劇にも音楽にも興味をもっていた梅の姿が描かれており、このことが英文でつづられたことは、当時の西洋人に梅を浸透させていく上でもその手がかりとなる論述といえるであろう。

そして、これに引き続き、ZUCKERは同じくASIAに、"Peking Playhouses: in which the conservative taste of the capital sets a fashion for China"(1925)、"The changing theaters of Asia"(1926)を寄稿している。前者では、写真4にみられるように、当時の北京の舞台の説明も詳しく記されている。そして、冒頭では「Is this the Theater?」というフレーズで書き始めている。これは彼が初めて中国の「芝居小屋」へ友人に連れられていったとき、中国の芝居小屋で看取したものが、西洋の劇場やそこで奏でられる音楽、観劇スタイルとの大きな違いに、ことごとく驚きをかくせなったことをリアルに描きだしている。まさに異文化と接触したときのその瞬間の実感を見事に描きとったものとなっている。

写真4 北京の劇場(出典:ZUCKER 1925b:311)

また、"The changing theaters of Asia"(1926) では、中国だけでなく、日本の古典劇そして現代演劇などの写真も掲載されたもので、比較文化研究者として、アジアの当時の演劇界の変化の様子を描いている。

そしてこの3編の雑誌寄稿論文が刊行されるなか、1925年に、Chinese Theaterをボストンで出版している。

この単行本は9章からなっており、1) Early History, 2) Formal Development――Yuan Dynasty,1206-1364A.D., 3) The Ming Dynasty,1368-1644A.D. The Pi-Pa-Chi, 4) The Drama under the Manchus and the Republic—1644 to the Present Day, 5) Modern Tendencies, 6) External Aspects of the Chinese Theater, 7) The Conventions, 8) Mei Lan-fang –China's Greatest Actor, 9) Analogies Between East and West の章立てである。

前半は、中国演劇の中華民国期までの流れが記されている。そして、後半では、彼自身が中国滞在中に観劇した劇場や上演、そして梅の演技やシェークスピアと比較した論述がされている。

6)External Aspects of the Chinese Theater では、北京での観劇の様子を次のように述べている。

One evening I was the guest of Mr.Chang Ziang-ling, the present Chinese Consul-General in New York, at a performance by Mei Lan-fang in the so-called First Theater, a large playhouse built in European Style. The usher took us two good seats near the stage occupied by two ragamuffins, and asked the latter to give up their seats to us. Mr. Chang then paid him two dollars for two seventy-cent seats and explained that it is a little graft on the part of the ushers to place vagabonds in good seats until people who they know will tip them come to the theater. (Zucker 1925a:142)

劇場でよい席へ案内してもらった様子と案内役へのチップについて触れている。

また、京劇の音楽スタイルについて述べたあと、イラストを交えて(写真5、6)、以下に引用しているように伴奏楽器についても詳しく紹介されている。

写真5 伴奏楽器1(出典:ZUCKER 1925a:146)
写真6 伴奏楽器2(出典:ZUCKER 1925a:148)

On the whole the instruments are practically the same for all kinds of music. They are shown in the accompanying illustrations drawn for me by Chinese artist. The hsien-tzu is a sort of three-stringed banjo, the sounding box, of which is covered with a snake skin. The yüeh–chi'in (moon guitar) has four strings and a wooden sounding-box. Other wind instruments in addition to the ti-tzu (flute) are the shou, resembling somewhat a bagpipe, and the la-pa, a brass horn used to announce the entry of great military personages. Instruments of percussion outnumber those of the other varieties. The Ch'iao-pan are two flat boards tied together with string, used by the leader of the orchestra to indicate the time. The t'ang-ku is a brass plate beaten furiously in battle scenes, as are also the lo and the ch'a (cymbals). The peng-ku is a drum made of a solid block of wood which gives piercing, high notes when beaten in a whirlwind tattoo by means of two thin sticks. The ku has a leather drumhead and resembles somewhat our kettledrum. It should be noted that the size of the orchestra and the kind of instruments employed vary a great deal. However, the above may serve to give an approximate conception of the Chinese theater music. Just as in much of our own earlier drama, emotional or poetic passages are sung by the actors on the Peking stage. (Zucker 1925a:148-149)

西洋人にとって「耳ざわりな音楽」ではあるが、奏でる楽器についてコンパクトに説明されており、イラストをつけていることで、まだ楽器に関する英文の資料の少なかった当時の読者には役立つ記述であろう。

これに続いて役柄についても述べられている。また、『順天時報』紙上での役者の人気投票などにも言及している。

また、 8)Mei Lan-fang – China's Greatest Actorでは、名優梅蘭芳について詳述している。この項目のベースは、前述のASIAに掲載された論述である。新たに、梅の背広姿および舞台写真3点が付加されている(写真7)。

写真7 梅蘭芳(出典:ZUCKER 1925a:177)

そして9)Analogies Between East and West では、「I have often met with people who ask: "do the Chinese have the division of plays into tragedies and comedies?" and when they learn that there is no such division they feel this to be a great defect in the Chinese theater」 という書き出しで、比較文化研究者の視点で、ギリシャ悲劇、そしてシェークスピアらを事例に、また、劇場の装置などについて、比較論を展開している。

音楽の方面では、演奏スタイルについて次のように述べている。

The stage direction "alarums" for the entry of a king or other important personage, which may never have bee associated by the reader with anything definite at all, will be full of meaning to any Westerner who has heard the Chinese orchestra sound the Leitmotiv for the entry of a famous general. The Chinese orchestra sits on the stage in full view of the audiences, while in Shakespeare's day the upper stage was the normal place for the "noise". The use in the Elizabethan days of the word “noise” for both music and orchestra establishes another great similarity between the two theaters. In Shakespeare's day the music seems to have been confined chiefly to the intermissions between the acts and to occasional songs, while in the Chinese drama almost every emotional part is punctuated by song. It approaches close to opera in many cases in the number of lines sung by the actors. One division of Chinese plays is that into civil and military, and in the latter the fighting is always accompanied by a terrible din of brass, drum and string music. This frantic noise stimulates in the audience the excitement which the desperate contest in arms is supposed to arouse. As a fact, these military plays are very popular with the masses, and they take up fully half the program. (Zucker 1925a:203-204)

以上、ZUCKER の単行本の著述から、音楽に関連する部分を中心に概要をまとめてみたが、Asiaで紹介していた論調と同じく、演劇研究者でありながらも、京劇の上演空間で実際に鳴り響く音を聞いた実体験をしているがゆえに、丁寧に音楽に関する事項が描写されている。

音楽の形式、様式、そしてそのサウンドの違いは、当時の人にとってはカルチャーショックを起こすものであろうし、その表現は率直なものとなっている。

むすびにかえて

本稿では、中国に5年間滞在経験のあるZUCKER の論述について、音楽に関する記述を中心にその概要を整理した。

彼のChinese Theaterでは、末尾に、BIBLIOGRAPHYが付されている。そこには、19世紀に刊行されたフランス語、英語の文献9件、そして20世紀に刊行されたドイツ語によるものも含めて13件の文献について、解題を併記したものとなっている。当時の研究者にとっても、また現代の我々にとっても有効なものと思われるので、収集と考察が必要と考えられる。その文献表の末尾に記載されているJournal of the North Branch of the Royal Asiatic Societyには、次稿で言及するLEUNGも寄稿している。

次稿では、本稿2で触れたLEUNG の論述について、彼が梅の最大のブレインである斉如山との共同作業を行ったもの、そしてアメリカ公演において果たした役割についても、整理、考察を行う予定である。

*本稿は、日本学術振興会科学研究費・基盤研究B「近現代華北地域における伝統芸能文化の総合的研究」(2005~2006 年度、課題番号:17320059、研究代表者:氷上正)による成果の一部である。

(英文資料以外の参考文献)

  • 仲万美子
    • 1995 「1930年代初頭の文化触変期における中国劇学の諸相を雑誌類から探る試み――『劇学月刊』と王泊生中心に」『表演』3:24-44.
    • 1997 「日本・中国・西洋音楽文化の重層的対話」(博士(文学)学位取得論文、大阪大学)。
    • 2001 「京劇への異文化からの視線とその意義」『民族藝術』17:132-137.
    • 2004 「東アジアの総合芸術に対する異文化理解の意味――20世紀初頭の京劇、歌舞伎の海外公演を事例として」日本音楽学会創立50周年記念国際大会プロシーディングス『音楽学とグローバリゼーション』110-113