『都市芸研』第五輯/2006年夏期皮影戯木偶戯現地調査要録

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2006年夏期皮影戯木偶戯現地調査要録

千田 大介・山下 一夫

1.はじめに

2006年度夏期調査の概要を、芸人へのインタビューおよびインフォーマントから提供された資料などに基いて以下に纏めておく。なお、以下の内容には、文史資料・新編地方志などの先行文献資料から得られた情報は加味していないので、注意されたい。

2.陝西省岐山秦腔皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2006年8月26日

b)場所

陝西省岐山馬江郷何家村王雲飛氏宅

c)劇団

王雲飛皮影団

王雲飛皮影団影幕

d)上演演目

  • 『羅通掃北』
  • 『花亭相会』
    『羅通掃北』

(2) インタビュー要録

インフォーマントは王雲飛氏。

a)劇団の由来

劇団は何家村の王氏一族によって代々受け継がれてきた。

第一代:王慶。配偶者は寧氏。康煕元年に創業し、弦板腔皮影戯を行う。

第二代:王忠清。西府灯盞碗碗腔に改め、光緒年間を中心に40年あまり芸人として活動。兄弟に王忠朝・王忠安がいた。

第三代:王振彩。配偶者は李氏。兄弟に王振順およびその配偶者の脱氏・候氏がいた。この頃、劇団は羅勝班という名前だった。

第四代:王静栄。解放後、秦腔に改める。観衆が聞き取りやすいためだという。劇本は碗碗腔のものをもとに歌詞を秦腔に改めた。300あまりの演目を行う。

第五代:王積娃。この頃、劇団は行衣社と称した。文革時期には様板戯を行い、影人のサイズも大きくしたという。『張良帰山』などの演目は「迷信的」とされて禁止されたが、文革後に復活。

第六代:王雲飛。現在は王雲飛皮影団を名乗る。

※第一代の王慶と第二代の王忠清との間にはおそらく数世代の断絶がある。清末に碗碗腔を始めた王忠清が実質的には戯班の第一代だと思われ、その数え方で行くと王飛雲氏は第五代となる。

王雲飛氏

b)上演地域

陝西省西部の岐山県・扶鳳県・眉県・宝鶏県・鳳県・太白県などが中心。甘粛省東部の天水や平涼まで行くこともある。

c)レパートリー

80程の演目を上演可能。父から口伝で習得。唱詞などは秦腔(大戯)の演目と基本的に同じ。

d)王雲飛氏の芸歴

1941年生。雲飛は芸名で、本名は明君。第五代王積娃の次男。8歳で父について皮影戯芸人の修行を始めた。現在、劇団の団長。影人の制作も行っている。すでに5,000場の上演をこなし、1989年には北京で十三ヶ国の大使の前で上演。現在、中国工芸美術学会民間工芸美術委員会会員・南京大学民俗芸術研究室特聘民俗芸術家などの肩書きを持つ。

e)戯価

文革前は300元、現在は1500元。

※文革前の時期の価格としては周辺地域と比べて突出して高いので、少々疑問が残る。

f)祖師爺

なし

g)上演の文脈

慶事や弔事、また無生娘娘廟・諸葛廟・周公廟・馬王廟などの廟会など。慶事の際には『麒麟送子』、馬王廟会なら『馬王巻』、観音廟会なら『大香山』など、その場に合わせた演目を上演する。

h)旧時の習俗

民国時期には岐山県に80ほどの戯班があった。当時、女性の芸人はおらず、これが出現するのは解放後。

i)上演形式

内容は暗記しており、上演時に台本を見ることはない。歌唱者は一人に限定されず、数人で行当に分かれて演唱する。

j)影人

王雲飛氏が作成。素材は牛革。現在は工場でなめしたものを使用。

k)音楽

秦腔を用いる。

l)影幕

影幕、すなわちスクリーンには紗を用いる。陝西東路の碗碗腔・弦板腔等の皮影戯では木綿。

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3.陝西省洛川碗碗腔皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2006年8月26日

b)場所

陝西省洛川民俗博物館(洛川県鳳栖鎮解放路111号)

c)劇団

中国陝西省洛川県民間業余皮影芸術団

※博物館来訪者を対象に上演を行う、いわば博物館付属の劇団。団員は博物館のガイドも兼ねる。博物館内には常設の皮影戯上演用舞台があり、旧時の戯班が使用した影人や戯箱なども展示されている。

  • 操作:楊軍(29)
  • 司鼓:康暁東(32)
  • 大鑼:鄭東侠(30)
  • 釵手:左小華(33)

d)上演演目

  • 『韓家荘』(明代故事)
  • 『収楊柳』(西遊記故事)
    『韓家荘』

(2)インタビュー要録

インフォーマントは上演を行った上記劇団員の師匠にあたる王徳玉氏。インタビューに際しては、陝西省洛川民俗博物館の劉忠民館長にも同席していただいた。

a)劇団の由来

この地域ではかつて弦板腔が行われていたが、のちに同州から伝わった碗碗腔にかわった。民国初期には18の劇団があったが、建国初期には10に減っていた。文化大革命終了後、いくつかの民間劇団が活動。1981年に中仏友好協会のジェローム氏が民間美術の調査で洛川を訪問した際に現地の皮影戯を視察、来仏公演を要請した。それを受けて1985年に王徳玉や李長貴ら芸人たちを集めて組織したのがこの中国陝西省洛川県民間業余皮影芸術団で、フランスで40日以上にわたって公演を行い、碗碗腔『軒轅皇帝』・改変秦腔神話劇『劈山救母』『楊柳瓶』・吉祥戯『天官賜福』『青獅吐八宝』・洛川秧歌劇『閙社火』などの演目を上演した。その後、北京・上海・西安などでも上演を行っている。現在はフランス公演時のメンバーが2001年ごろ養成した団員が中心。なお、洛川には最近までもう一つ皮影劇団があったが、影人を売却して解散し、現在ではもうここしか劇団はない。

洛川民俗博物館

b)レパートリー

現在、劇団は『韓家荘』『収楊柳』のほかは、『閙社火』(光緒17(1891)年に作られた、陝北の社火の情景を演じるもの)と『馬技』(水滸伝故事)のみ可能。

王徳玉氏は現役時代、『観音堂』『万福堂』『罵王殿』『越王殿』『張良帰山』など十数種を上演していた。すべて師匠からの口伝で覚えたという。

c)王徳玉氏の芸歴

王徳玉、69歳。鳳栖鎮王家河村の出身。父は胡弓の芸人。7歳の時に初めて皮影戯の上演を行い、15歳で同州朝邑碗碗腔の芸人であった王道氏に正式に弟子入りして王家河班に参加し、影人の操作を担当。当時劇団では5人程度で上演を行っていた。文革期に一時活動を停止したが、その後復活。1985年に組織された中国陝西省洛川県民間業余皮影芸術団に参加。現在はすでに体を壊し引退。

d)戯価

民国時期および解放後直後は食事一回分。1980年代には25~30元。

e)祖師爺

なし。

f)上演形式

内容は暗記しており、上演時に台本を見ることはない。

g)影人

自分たちでは作らず、同州から購入。

h)音楽

碗碗腔。

4.河南省霊宝道情皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2006年8月27日

b)場所

河南省霊宝市尹荘鎮西車村

c)劇団

中国河南民間皮影芸術団

  • 執簽人、四弦:索午酉(59)
  • 漁鼓:劉起森(73)
  • 笛子:彭来運(43)
  • 碰鐘:李当慈(43)
  • 三叉板:范月英(51)
  • 三弦:何増太(69)
  • 鼓板:程可順(60)
  • 二胡:李榜益(50)
  • 銅器:王喜順(78)
    中国河南民間皮影芸術団

d)上演演目

  • 『通天河』(西遊記故事)
  • 『西山観景』(韓湘子故事)
  • 『大堂教子』(韓湘子故事)
    『通天河』

(2) インタビュー要録

インタビューには上記の劇団員のほか、霊宝皮影戯の研究者である席志明氏も同席。

a)劇団の由来

道情は説唱形式で上演するものが嘉慶年間に陝北から伝わった。民国初期に陝西から皮影が伝わると、道情もこれをとりいれて皮影形式で上演するようになった。これは当時のある秀才の助言によるものだという。民国期には4、5個の戯班が活動した。解放後、1954年に県政府が「霊芸皮影劇団」を組織し、索辛酉氏が団長となった。これが現在の劇団のもとである。文革の際に一時中断したが、その後民間劇団として復活。1988年に中仏友好協会のジェローム氏が劇団を訪問し、その後かれの招きで1996年に三ヶ月間のフランス公演を行う。索辛酉氏は現在74歳で、劇団の活動からは離れ、弟の索午酉氏が団長となっている。現在の劇団の名称は中国河南民間皮影芸術団。

b)上演地域

河南省内の陝県・盧氏県などのほか、陝西・山西・甘粛の各省でも上演を行う。

c)レパートリー

もともとは100以上あったが、現在上演できる演目は30あまり。索辛酉氏の言葉に「裱糊匠離不了漿子,唱道情離不了湘子」(建具師にノリが欠かせないように、道情芸人は韓湘子が欠かせない)とあるように、韓湘子もののレパートリーが多い。

韓湘子

d)上演頻度

解放前は年間100回以上の上演を行ったが、現在は30回ほど。

e)戯価

解放前は食料。1950年代、劇団成立以降は、霊宝県から芸人に給料が支払われた。一月約30元。1980年代は、一人一日2元程度。現在は上演の謝礼を受け取るようになっている。

f)祖師爺

八仙。

g)上演の文脈

廟会、慶事。前者としては農暦の毎月一日と十五日に開かれる観音廟会などが挙げられ、後者は引越祝いなどがある。上演の際は道士の服装である道服を着ることが多い。

h)旧時の習俗

以前は男性だけだったが、1980年代以降女性も加わる。

i)上演形式

内容を暗記しており、上演時に台本を見ることはない。

j)影人

劇団で制作。

k)音楽

唱腔としては、官調と梅調のふたつがある。また地域差としては、川口郷底河を境に、西側が柔婉な河西腔で、東側が素朴な河東腔という分布になっている。また上演方法としては幇腔があり、『大堂訓子』『西山観景』上演の際にはこれが漁鼓と連動しているように見受けられたが、『通天河』上演の際には幇腔はなく、また漁鼓も用いられなかった。

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5.陝西省郃陽線腔木偶戯

(1)上演情報

a)日時

2006年8月29日

b)場所

陝西省郃陽県路井鎮郭家坡村

c)劇団

郃陽県線腔木偶劇団

※郭崔成氏の名刺の記載による。インタビュー中では自らの劇団を陝西省郃陽線腔芸術団と呼んでおり、組み立て式舞台の幕には陝西省郃陽線偶芸術団と記されていた。

  • 司鼓:張貞祥(64)・郭崔成(60)
  • 演奏:郭紅昌(47)・張現中(48)
  • 提線:張福有(73)・郭宝山(72)・張思朝(58)・謝春煥(42)
郃陽県線腔木偶劇団上演風景 舞台は鉄パイプによる組み立て式
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d)上演演目

  • 『八王講情』(楊家将故事。轅門斬子の一折)
  • 『観音堂』
  • 『禿子尿床』
  • 『状元哭祠堂』
    『八王講情』

(2) インタビュー要録

a)劇団の由来

1930年代に郭家坡村で組織された民営劇団・勝利線劇社が前身。解放後県城で県劇団が組織されたが、これとは関わっていない。

b)上演地域

陝西省中部の関中地域を中心とし、東は河南省霊宝まで、西は岐山まで、南は華山まで、北は洛川まで。51年もしくは52年には山西省芮城で上演したこともある。また、以前に甘粛まで行ったこともある。

c)流行地域と劇団

現在の陝西省渭南市北東部で行われ、大茘・朝邑にも劇団があった。1956年陝西省第一届皮影木偶観摩演出大会には提線木偶劇団として大茘芸光線劇団・郃陽の晨光線戯社・朝邑の群光木偶劇社が出演したが、いずれも県営の劇団。

郃陽の北派、朝邑・大茘の南派の区別がある。

d)レパートリー

歴史劇40本、折子戯100本を上演可能。

文革時期には現代劇を演ずる。文革終息後、78年より伝統演目の上演が復活。

e)劇団の構成

楽隊には4人、操作には2人が必要。「七緊八慢九消停」の説あり。司鼓が主唱を兼ねる。その他は幇唱。

張貞祥氏

f)氏の芸歴

郭崔成氏は58年に初めて木偶を上演。11歳。木偶は3人の師匠につく。一人目は大茘の張栄飛、また郃陽に転勤になってからは著名な芸人・六八児(本名王武漢)の息子、県晨光線劇社の団長・魏天才(2005年没)に習う。敲唱(司鼓兼歌唱)を担当。

線腔木偶劇団団長、陝西省戯劇家協会会員、民間文芸家協会会員などをつとめている。

郭崔成氏

g)戯価

1940年代まではトウモロコシ・米などの食料。一回あたり一担米(50kg)。それを十份に分け、上演に参加した芸人はあらかじめ定められた分量を受け取る。1950年代以降、銭納に変わる。1980年代は1百元/1本戯、1990年代には数百元になった。一方、県の公営劇団は1950年代からチケット収入によって経営していた。

h)祖師爺

関羽。このため、旧時は関羽の人形の頭は丁寧に布に包んで戯箱の一番上に収める、関公戯の前には手を洗う、上演開始前には関羽を拝むなどの風習があった。

伝説では、木偶戯は漢の高祖に起源する。

i)上演の文脈

廟会・冠婚葬祭で上演される。廟会は、関帝・閻王・聖母などの廟で演じられる。演目は、それぞれの廟の特色・性格で選択し、例えば関帝廟であれば関公戯を演ずる。廟会での上演は1990年代以降、毎年十数回程度。一度の廟会で三つの演目を上演する。

廟会での上演は、公営劇団の場合は招聘状が必要で手続きが煩瑣なため、民間劇団を使うケースが多い。

j)旧時の習俗

旧時、女性には木偶を唱うことが許されなかった。同劇団に女性が加わったのは1991年が初めて。

k)上演形式

内容は暗記しており、上演時に台本を見ることはない。操作は舞台情報から人形を吊り下げて行う(高線)。

l)人形

かつては県劇団から人形を買っていた。また昔は小さかったが、1980年代以降大きくなったという。現在の人形(頭)は、1982年楊飛氏作。

m)音楽

声腔は、線胡腔と乱弾腔とからなる。主伴奏楽器は線胡。定弦は1・6。

*本稿は、日本学術振興会科学研究費・基盤研究B「近現代華北地域における伝統芸能文化の総合的研究」(2005~2006 年度、課題番号:17320059、研究代表者:氷上正)による成果の一部である。