『都市芸研』第十七輯/縉雲県「張山寨七七会」演劇上演調査報告

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2017・2018年度浙江省麗水市縉雲県「張山寨七七会」演劇上演調査報告

川 浩二

1.はじめに

浙江省麗水市縉雲県胡源郷の山上に位置する張山寨献山廟は、当地では盛大な「七七廟会」によってよく知られている。この廟に祀られる陳靖姑は陳十四娘娘とも呼ばれ、福建北部から浙江南部を中心として信仰されている。陳靖姑は福建では正月十四日に誕生したとされるが、張山寨では七月七日が誕生日とされ、毎年農暦七月五日から七日にかけて廟会が開かれる。山上の廟会に関わるのは周辺の20数か村で、村々では神駕に神像を乗せて迎え、壇を設けて演劇を奉納する。

2011年、「張山寨七七会」は第三批国家級非物質文化遺産に登録され、その歴史的沿革や現在の廟会全体の運営の状況は比較的容易に知ることができるようになった。それに対して、廟会に伴う演劇の上演についての報告は多くない。

筆者は浙江省中部地域における高腔の調査を行う中で、機会を得て2017年、2018年にこの廟会とそれに伴う演劇の上演を目にすることができた。本稿では調査の概要を記し、今後調査を継続するさいの基礎としたい。

2.現地調査概要

2017年度調査日程概要

  • 8月24日 朝、羽田空港より杭州蕭山空港へ。午後、空港より高速バスで金華へ。金華市内泊。
  • 8月25日 朝、金華より高速鉄道で義烏へ。市内の稠州公園にて義烏市婺劇二団による婺劇『喜鬧花台』『文武八仙』『換子恩仇』の上演を鑑賞。
  • 8月26日 午後、義烏より高速鉄道で金華へ。
  • 8月27日(七月初六) 朝、金華より高速鉄道で縉雲へ。駅よりタクシーに乗り、溶江郷石上村へ。同村にて、武義壷山婺劇団の上演『大八仙』『蔡文徳下山』『皇宮疑案』を鑑賞。村内の陳氏祠堂にて鍾方清団長および団員に聞き取り調査を行う。団員と夕食をともにした後、夜に『天宮八仙』『借雲破曹』『趙五娘』を鑑賞。その後、終演後の舞台袖を借りて未明まで仮眠を取る。
  • 8月28日(七月初七) 午前3時半、石上村の舞台で『三跳』の上演を見学、周辺数か村の楽舞隊が楽舞の上演を短く行った後、神像を載せた娘娘轎、刺繍飾りを配した天蓋とともに山上の献山廟に向かう。楽舞隊に同行して山上の廟まで登り、廟前の広場で数か村の楽舞の奉納を鑑賞し、午前8時半ころ下山する。午後、石上村にて武義壷山婺劇団の上演『三跳』『太師回朝』『王府命案』を鑑賞。同村に宿泊施設がないため、溶江郷を離れ、縉雲県仙都に宿泊。
  • 8月29日 昼、縉雲より高速鉄道で杭州へ。浙江図書館で文献調査。
  • 8月30日 終日、浙江図書館で文献調査。
  • 8月31日 昼、杭州蕭山空港より羽田空港へ。
図1 廟の石段に座って楽舞を見物する人々(2018年撮影)
図2 廟の石段上から見た広場での楽舞の上演(2017年撮影)
図3 早朝に娘娘轎に続いて廟に向かう天蓋(2017年撮影)

2018年度調査日程概要

  • 8月14日 朝、羽田空港より上海虹橋空港へ。午後、上海より高速鉄道で金華へ。金華市内泊。
  • 8月15日(七月初五) 朝、金華より高速鉄道で縉雲へ。駅よりタクシーに乗り、胡源郷胡村へ。昼に到着し、村内の民宿に宿泊先を決める。村内にある陳十四娘娘廟と廟前の戯台を見学する。午後、村内の文化礼堂で縉雲思火婺劇団の上演『大八仙』『虹橋贈珠』『皇宮疑案』を鑑賞。その後、村内の胡氏祠堂と村付近の観音廟を見学。夕食後、縉雲思火婺劇団の上演『王母八仙』『送別出征』『紅顔欽差』を鑑賞。
  • 8月16日(七月初六) 朝、路線バスとタクシーを乗り継ぎ、縉雲県七里郷黄村畈村へ。武義壷山婺劇団の鍾方清団長に聞き取り調査。団員と昼食をともにした後、村内の文化礼堂での上演『三跳』『収秦明』『巡按斬父』を鑑賞。午後、タクシーで胡源郷胡村に戻る。夜9時、当地の人の案内で山上の献山廟に向かう。夜12時ころ、日付が変わると同時に廟に参拝する。その後、他の参拝客らとともに山上にて夜明けを待つ。
  • 8月17日(七月初七) 朝6時ころから各村の楽舞隊による山上での楽舞奉納を鑑賞。午前10時ころに楽舞の上演が終わり、参拝客らとともに下山し、路線バスで胡源郷胡村に戻る。午後、縉雲思火婺劇団の上演『母子恨』を鑑賞。夕刻、胡村より民宿の紹介で車に同乗させてもらい、縉雲西駅に向かう。高速鉄道で金華南駅まで移動し、タクシーで金華市孝順鎮へ向かい、宿泊。
  • 8月18日 朝、鍾方清団長より婺劇『太平春』および婺劇『三請梨花』上演台本を購入する。金華市中心に戻る。金華市内泊。
  • 8月19日 朝、金華市内の将軍廟を見学。午前、金華より高速鉄道で上海へ。上海市内泊。
  • 8月20日 終日、体調不良によりホテルおよび周辺に滞在。
  • 8月21日 上海虹橋空港より羽田空港へ。

3.「張山寨七七会」

張山寨は浙江省麗水市縉雲県胡源郷の山上に位置し、陳十四娘娘(陳靖姑)を祀る。献山廟とも呼ばれる。「張山寨七七会」は、2011年に第三批国家級非物質文化遺産に指定され、それに伴い調査が進み、劉秀峰等編著『張山寨七七会』が2016年に出版された。以下は注記しなければ本書による。

張山寨の陳十四娘娘廟の創建は明の洪武年間(1368-1398)と伝えられる。嘉靖年間(1522-1566)に増築され、万暦二年(1574)に七月初七に廟会が開かれるようになった*1

このときすでに夜を徹して山上に留まる「守夜」と若い男女が歌を交わす対歌の習俗があったという。その後、清代には廟前で廟会のさいの劇団どうしの上演合戦「闘台」が行われるようになった。下って清の咸豊九年(1859)、もともと山上に三つの戯台があったのに加えて一つ戯台を増設した。この状況は清末から民国期まで続いていたが、中華人民共和国成立以降に廟会は一度絶え、1964年、文化大革命期に廟は取り壊され、戯台も破壊されてしまった。1985年に廟は修復されたが、戯台は復活せず現在に至る。

廟会が開かれるのは七月初七と十月十五で、七月初七は陳十四娘娘の誕生日とされる。もともと陳靖姑信仰は福建北部から伝来したもので、多くは一月十四を誕生日として廟会も開かれる。創建の後、七月初七に廟会が開かれ、それを誕生日と呼びならわすようになった時期と理由はともに不明である。

当地では神を迎えることを「迎案」と呼ぶ。周辺の村でも様々な「迎案」が行われているが、『縉雲県志』によれば、赤岩山で九月初十に行われる「三将軍(唐宏・葛雍・周武)」の迎案と県城で十月十五に行われる城隍廟の迎案に並び、献山廟で七月初七に行われる陳十四娘娘の迎案は規模が最も大きいという*2

規模の大きな迎案のさいには、周辺の村をいくつかのグループに分け、その中で神を迎える壇「案壇」を設ける村を持ち回りにする。現在では案壇は、胡村を中心とするもの、雅江を中心とするもの、田洋を中心とするものに分けられ、各村の宗祠には娘娘轎と呼ばれる神輿を用意し、壇には行宮を設けて娘娘宮と称する。

張祝平2013は「以前(民国期)、『迎案』は一般に七月初二から始まり、七月初七までで、案壇を設ける村は一週間連続で芝居を上演し、諸方から来た客を無料で接待して食事を出し、客が多ければ多いほど福運も高まるとされた。家々はみな宴席を設け、老いも若きも新しい着物を着て、年越しよりもにぎやかなほどだった」という当地の人の証言を載せる。「年越しよりもにぎやかだ」というのは2018年の調査中、宿泊した民宿でも耳にした。当地の言い習わしになっているのであろう。

現在では「会案」と呼ばれる、隊列を組んでの楽舞の上演が廟会の出し物の中心になっている。牌や旗が先導し、羅漢隊と呼ばれる武術と組体操を合わせたようなパフォーマンスを行う隊、花笠を持って歌い舞う唱蓮花、子どもが参加することが多く、赤い帯をつまんで舞い歌う扭秧歌、様々な職業に仮装する三十六行、はりぼてをかぶる十八狐狸、獅子舞などがある。これらが七月初七の未明に、村から山上の廟まで娘娘轎とともに行進し、廟の前の広場で楽舞を奉納する。

4.廟会にともなう演劇の上演

劉秀峰等2016には、当地の婺劇の概要が記され、廟会の期間に各村で婺劇が上演されることは書かれ、仮設の劇場の写真は複数載るものの、いずれもどこの村で、いつ撮影された舞台なのかの記録はない。その他の論考にも、廟会において中心とされる各村の楽舞の上演については比較的詳細な記述があるが、各村のどこで、どの劇団が劇を上演したかという記録には乏しい。これは現在の劇の上演の多くが、村民でない外部の専業の劇団によって行われていること、本来は廟会において大きな盛り上がりを見せていたであろう、山上の廟前での上演合戦「闘台」が絶えてしまったことの影響が大きいと考えられる。以下に2度の調査での聞き取りと実見の結果を中心に演劇の上演について記しておく。

劇種

婺劇を上演する。越劇など、他の劇種の劇団が呼ばれることはない*3。周辺地域の松陽高腔など、高腔を専門に上演する劇団が招聘されることもない。婺劇の中での崑腔・高腔の演目の上演については、劇団・団員・村民のいずれからも、「古い演目もしばしば上演される」という程度の証言しか得られなかった。

当地には陳靖姑を主人公とする鼓詞『陳十四夫人』が伝わるはずだが、その他の演目も含めて、現在は廟会に関わる鼓詞の上演は確認できなかった。

劇団

専業の劇団を招聘するさいには、縉雲に本拠を置く劇団が多い。時に金華、衢州、武義、義烏などに本拠を置く劇団が招かれる。付近の村民によって上演が行われる場合もある*4

演目

劇団のレパートリーの中から村が決定する。特定の演目を上演するわけではない。七夕、また陳靖姑に関する演目が行われることもない。周辺には松陽高腔の演目として陳靖姑の物語を演ずる「夫人戯」があるが、類似の演目が演じられたこともないという*5。現在までには二つの劇団の上演を目にすることができただけだが、特定の傾向は無いように思われる。上演のさいには、基本的には後述の「八仙戯」か『三跳』を先に上演し、折子戯、本戯と上演する。これも他の場所や上演文脈での場合と変わらない。

上演期間

七月初七の前後、およそ3日間から7日間までの期間上演する。期間は劇団を招聘する村が決定する*6

上演時間

基本的には昼と夜にそれぞれ上演する。「八仙戯」、折子戯、本戯を上演して3時間程度を要するため、およそ午後1時から午後4時、午後7時から午後10時が目安になる。

上演場所

陳十四娘娘の案壇を設け、その前で上演する。胡村や田洋村など、文化礼堂を持つ村ではそこに舞台と客席を設ける。そうした建物のない石上村などでは、村の広場に仮設の舞台を建てて用いる。祠堂などに古い戯台があっても、現在は専業の劇団がそこで上演することはない。現在の上演は、スピーカーなどの音響設備を用い、LEDパネルによって背景を表示するので、古い戯台では上演しにくいためである*7

図4 胡村の文化礼堂(2018年撮影)
図5 胡村の案壇(2018年撮影)
図6 石上村の仮設舞台(2017年撮影)
図7 石上村の案壇(2017年撮影)

なお、以前は上述の通り張山寨山上の廟に四つの戯台が設けられていたが、文革期に取り壊され、復活していない。山上には二度登り、周辺も見たが、戯台の痕跡は確認できなかった。

劇団の人数

標準的に40名強*8。俳優20数名、楽団8名、団長や背景・音響担当、食事係ふくめその他10名程度。

劇団員の宿泊と食事

村の文化礼堂の舞台裏や村の祠堂など、屋根の付いた広い空間がある場所に小型のテントを複数張って宿泊場所にする。食事は劇団が自分たちでまかなう。

上演料

1場6000元、1日2場12000元*9

5.劇団のレパートリー

婺劇は多声腔劇種であり、高腔・崑腔・乱弾・徽戯・灘簧・時調の六大声腔を持つとされるが、婺劇という名前そのものが新中国成立時に金華を中心に活動していた劇団に対して与えられた総称にすぎない。また高腔・崑腔については、婺劇という名称が決まった時点ではこれらをレパートリーの中心とする劇団が多かったものの、現在では高腔・崑腔の劇の占める割合は少ない。とくに高腔については西安高腔(衢州)・西呉高腔(金華)・侯陽高腔(遂昌)があり、それぞれに演目は残るが、現在では演ずる劇団が一度絶えてしまい、復活が目指されている状況である。また高腔で演じられていた演目が現在の婺劇のレパートリーに腔調を改変して取りこまれているのかどうかについても、判然としないところが多い。

以下は武義壷山婺劇団から入手した「戯単」に記された演目一覧である。とくに「正本」の側には、豫劇や越劇、京劇などの他の板腔体の劇種から移植されたと思しき演目が目立ち、物語は古くとも演目自体は中華人民共和国期以降に編まれたものが多い。そのため、婺劇の概説書にある声腔ごとの代表的な演目とはほとんど重複しない*10。この状況はある程度、他の劇団にも共通するものと考えられる。

正本

荊釵記・白兎記・大宋巾幗・鉄霊関・白鮝娘・謝氷娘・呂布与貂蟬・皇宮疑案・富春令・大宋英豪・趙五娘・王府奇案・痲瘋告狀・啼笑姻緣・相国恨・白羅衫・楊門女将・双合縁・三女搶牌・半夜夫妻(上下)・芝麻官下江南・白桃花・姐妹易嫁・金竜与蜉蝣

加演

文武八仙・天官八仙・皇母八仙・断橋・臨江会・小宴・大破天門陣・虹橋贈珠・金雁橋・青石山・嘉興府・百寿図・牡丹対課・僧尼会・轅門斬子・蔡文徳下山・拷打提牢・渭水訪賢・跌雪・馬超追曹・徐策跑城・借雲破曹・揺銭樹・歌舞小品

6.「八仙戯」について

上記の通り、現在、張山寨七七会で上演される演目の中で伝統的といえる演目は多くはないが、レパートリーの「加演」の最初に並べられた「八仙」のつく演目は、「八仙戯」「跳八仙」「疊八仙」とも呼ばれ、伝統的な婺劇に特徴的なものといえる。八仙というものの、いわゆる鉄拐李らをはじめとする八人の仙人に限らず、さまざまな神明に扮した役者が次々に舞台上に現れる儀礼的な要素の強い演目である。

現地調査の演目にも記したが、現在、婺劇を上演するさいには、基本的には何らかの形で八仙戯を最初に上演する。演目として用意されていない場合でも、それぞれ役者が仮面を着けて演ずる「跳魁星」「跳加官」「跳財神」の『三跳』のみは上演の冒頭に演ずる。今回の調査による限り、七月初七の未明には案壇への奉納のために『三跳』だけが演じられていた。

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八仙戯の声腔は崑曲に基づくというが*11、いずれの上演でも、伴奏には笛や月琴は使われず、嗩吶と打楽器のみの演奏であった*12。現地調査後、『中国戯曲音楽集成・浙江巻』に婺劇の音楽として「嗩吶牌子」があり、崑曲に由来し、曲牌を組み合わせて套曲にするもので、八仙戯に用いられることが確認できた。

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7.おわりに

2年に渡る調査を通じて、張山寨七七会における演劇の上演状況について、その概要はある程度把握することができた。現在のところ上演を目にすることができた演目の中には含まれていないが、婺劇の劇団のレパートリーについては、特に崑曲や高腔に由来する古い層の演目が各劇団の独自の演出によって現在の上演に向いた形に加工されている例もあると考えられる。

今後は、上演場所が確保されている胡村、田洋村を中心に調査を続けるとともに、各村における仮設の舞台による上演状況についての調査を進めたい。また、村の有志によって結成されるという業余の劇団による上演はまだ目にしていないので、これを調査して専業の劇団と比較してみたい。

各地の村鎮における演劇の上演については、現在でも情報を事前につかむことは地元の研究協力者がいなければ難しい面がある。インターネット上で上演の情報を集めることがある程度はできるようになった現在でも、多数の劇団が同時に特定の地域内で上演する機会を知るのは必ずしも易しくはない。

張山寨七七会では、決まった日程で確実に周辺の複数の村が不特定の劇団を招聘して上演するため、調査期間が長くなれば、調査の対象となる劇団と上演演目を拡大していくことができると考えられる。今後も継続的な調査を期したい。

参考文献

  • 劉秀峰・杜新南・蔡銀生編著,2016,張山寨七七会,浙江省非物質文化遺産代表作叢書,浙江撮影出版社。
  • 胡窕一,2015,陳十四神化過程及其信仰的民俗表現——以縉雲献山廟陳十四信仰為例,長江叢刊·理論研究,2015年8月号,湖北省作家協会,pp.92-93。
  • 縉雲県志編纂委員会,1996,縉雲県志,浙江人民出版社。
  • 張祝平,2013,論郷村伝統廟会的現代性重塑———以国家級非遺浙南張山寨廟会為例,広西社会科学,2013年第3期,広西壮族自治区社会科学界聯合会,pp.159-164。
  • 劉秀峰,2012,廟会文化在構建和諧郷村中的意義与作用———基于“張山寨‘七七’廟会”(国家非遺項目)的田野調査,学術交流,2012年第5期,黒竜江省社会科学界聯合会,pp.134-137。
  • 劉秀峰,2013,伝説、廟会与民俗社会的構造—浙江縉雲張山寨“七七”廟会研究,文化遺産,2013年第2期,中国民俗学会,pp.122-127。
  • 洪波・葉晗・洪明駿著,2014,婺劇,浙江省非物質文化遺産代表作叢書,浙江撮影出版社。
  • 松家裕子,2013,婺劇観劇記:2012年2月浙江省遂昌,アジア観光学年報,第14号,追手門学院大学文学部アジア文化学科,pp.100-112。
  • 中国戯曲音楽集成編輯部,1990,中国戯曲音楽集成・浙江巻,文化芸術出版社。

*本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「中国古典戯曲の「本色」と「通俗」~明清代における上演向け伝奇の総合的研究」(平成29~33年度、基盤研究(B)、課題番号:17H02327、研究代表者:千田大介)による成果の一部である。


*1 胡窕一2015 p.92による。
*2 縉雲県志編纂委員会1996 p.596。
*3 2017年に鍾方清団長に聞いたが、劉秀峰2012 p.136の記述と合致する。
*4 2018年に上演を鑑賞する観客から聞いた。今のところ他の文献でこれを証するものは見られない。
*5 2017年、2018年に劇団、観客に聞き取り。今のところ他の文献でこれを証するものは見られない。
*6 劉秀峰2013 p.124が記す民国以前の状況の記述と合致する。
*7 古い戯台での上演がない理由については2017年、武義壷山婺劇団に尋ねた。
*8 人数は2017年、武義壷山婺劇団に尋ねた。
*9 金額は2016年、武義壷山婺劇団に上演料を尋ねたさいのもので、2017年の廟会のさいの上演料についても「ふだんと変わらない」とだけ答えがあった。
*10 洪波等著2014pp.184-187には、民国期までの伝統演目と1950年代から1960年代ころまでの新編演目が挙げられている。とくに「正本」では荊釵記・白兎記を除くとこれとほぼ重ならない。
*11 李秀峰等2016 p.128。
*12 松家裕子2013 p.108にも同様の記述がある。