『都市芸研』第十二輯/河北省檔案館所蔵影絵人形劇関係檔案について

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河北省檔案館所蔵影絵人形劇関係檔案について

戸部 健

1.はじめに

中国の各省・市・自治区・県などには、地域で作成された檔案(公文書)を収集・所蔵するための檔案館が設置されている。そこに保存されている檔案は、政治・経済・社会・文化など様々な分野にわたり、その量も膨大である。そのため、歴史学研究においては、これら檔案を利用した成果が、特に2000年代以降急速に増えている。

檔案には、芸能に関係するものも多い。その多くは各地の文化局(庁)によって作成されたもので、地域で展開されていた多様な芸能活動の情況やそれらと政府との関わりなどについて詳しく伝える。とはいえ、芸能研究においてこうした檔案が注目されることはこれまでほとんどなかった。ゆえに、それらを検討することで、近現代中国における各種芸能の従来知られていなかった新たな側面が見えてくるものと、筆者は考えている。

以上のような問題意識のもと、筆者は2010年9月から2012年9月まで河北省石家荘市にある河北省檔案館で資料調査を行い、影絵人形劇関係の檔案資料32件の写しを入手した(表1)*1。それらはすべて河北省文化庁関係の資料群(全宗号1030、同省文化庁は1980年代前半まで文化局と呼ばれていた)である。時代的には1950年代から70年代にわたり、とりわけ50年代後半、60年代前半、70年代中盤のものが多数を占める。以下では、各檔案を時代ごとに3つに分類し、それをさらにテーマごとに区切った上で、それぞれについて簡単な説明を加える(本文中に登場する(1)(2)などの数字は、表1の「No.」欄のものに対応している)。

なお、本稿で紹介する檔案資料の一部を利用した研究の成果として、戸部健・山下一夫「檔案資料から見た1950 年代中国の影絵人形劇―河北省における登記工作を中心に―」(氷上正ほか編『近現代中国の芸能と社会』好文出版、2013年)がある*2。本稿と合わせて参照していただければ幸いである。

2.檔案の紹介

Ⅰ.1950年代

影絵人形劇団に対する登記認可)工作
(1)「1953年専区(市)県重点戯改劇団調査表」(1951年)

B4版3枚。昌黎県の大衆影社(51年3月6日作成)、豊潤県の新長城影戯社(同2月1日作成)、唐山専区の唐山専区大衆影社総社(作成年月日不明、51年か?)の情況について調査したもの。フォーマットはすべて同様のもの(「専区(市)県鎮重点戯改劇団調査表」)を使用している。劇団の規模・組織形態・常演演目・来歴などについて知ることができる。そこに記された各劇団の常演演目については戸部・山下前掲論文、141~143頁を参照のこと。なお、1951年に作成されたにもかかわらず、文書の件名が「1953年~」となっている理由については不明である。

(2)「“我が省の影絵人形劇芸術の情況と唐山専区に重点的影絵人形劇団(二社)が派遣され省都を訪問し上演を行う情況の調査についての文化部への報告”を転送することについての報告」(1955年11月24日)

B5版1枚(カバーレター)、B4版2枚(本文)。河北省文化局より中央文化部に送られた文書の写しを、河北省委員会宣伝部と同省文教辦公室に転送したもの。1955年以前の唐山地域における影絵人形劇の情況について詳細に報告している。また、重点劇団(うち1つは唐山専区実験皮影社、もう1つは不明)の省都での上演およびその後の座談会のありようについても伝える。

(3)「我が省における影絵人形劇芸術の概況について」(1955年)

B4版5枚。(2)の下書きである思われる。

(7)「影絵人形劇団の建設を請う問題についての回答」(1956年4月19日)

B5版7枚。半職業劇団の国営化について、河北省政府文化局と天津専区宝坻県人民委員会文化科とのやりとりを記した往復文書。県内の半職業劇団の国営化を要求する宝坻県人民委員会文化科からの文書(56年3月21日)と、それに対応するために発せられた河北省政府文化局の文書(同4月19日)、およびその下書き原稿とで構成されている。なお、最終的に省政府文化局は宝坻県からの申し出を却下している。

(8)「民間の専業の曲芸・雑技・木偶・影絵人形劇などの芸術上演団体・班・露店について登記を行い管理を強化する指示」(1956年12月28日)

B5版5枚。文化部から各省・自治区・直轄市文化局(庁)に配信された文書。曲芸・雑技・木偶・影絵人形劇などを宣伝教育のためのメディアと位置づけ、その指導・管理のために登記工作を行うことを指示している。その一方で、一部芸術上演団体などが差別的な待遇を受けている現状についても触れ、登記された団体の合法的な権利についてしっかり保護するよう、関係各所に要請している。ただし、登記管理の具体的な方法については各地の裁量にまかせるとしており、後に混乱をきたす原因にもなった。

(10)「唐山専区影戯社による特定のテーマに関する報告」(1957年7月10日)

B5版10枚。1957年に開催された劇団工作会議大会における、唐山専区皮影社の李雲亭による発言の原稿。「一、影絵人形劇、劇目に過去存在した問題」*3で唐山周辺における影絵人形劇の上演情況などについて述べ、「二、今後の影絵人形劇演目の発掘・整理に対する幾つかの意見」*4で現状の問題を打開し、影絵人形劇の芸術性を高めるための方策を提起している。当時の影絵人形劇の問題点として武俠演目の多さや影絵人形劇団に対する差別的な待遇を挙げ、その改善を訴えている点などが特に注目される。

(12)「河北省の影絵人形劇芸術の情況についての総括報告」(1958年1月10日)

B4版12枚、B5版34枚。1957年以前の河北省、特に唐山専区の影絵人形劇の情況について報告したもの。劇団や芸人の数、芸人たちの収入状況、演目改革や後進養成のありよう、上演の形態など当時の影絵人形劇に関わる基本的な事柄についてかなり詳しく述べられている。また、劇団の登記工作についての具体的な記述も随所に見られる。13枚目以降は下書き原稿と思われる。

全国規模の工作会議・座談会・コンクール・研究上演会への参加
(11)「分散している曲芸・雑技・木偶・影絵人形劇芸人の情況を上京して総括報告することについての通知」(1957年12月10日)

B5版2枚。文化部芸術事業管理局から北京市・天津市・河北省・江蘇省の文化局に送付された文書。1958年に開催を予定している曲芸工作会議に先立ち、1月10日から12日までの期間に意見交換を行うことになったので、それに向け事前に情報を提供するよう呼びかけている。その際特に重視するものとして、以下を挙げている。「1.団体の整理に関する問題、2.上演活動の困難を解決するという問題、3.上演演目を豊富にするという問題、4.後進を養成するという問題、5.指導者による管理を強化し社会主義教育を推進するという問題」*5

(13)「曲芸・木偶・サーカス・影絵人形劇の工作情況に関する通知」(1958年2月28日)

B5版4枚。河北省文化局より各専区・市の文化(文教)科(局)に通達された文書。1枚目が正式な文書で、2枚目が起案文書(発文稿紙)、3・4枚目が下書き原稿となっている。58年8月に全国曲芸工作会議が中央で開かれることになり、それに向けて河北省としても曲芸・木偶・サーカス・影絵人形劇の情況と、工作での経験を5月までに書面報告しなければならなくなった。そのため、各地域に動向(唐山・承徳専区は特に影絵人形劇の動向)を5月5日までに報告せよと通達している。

(14)「曲芸・サーカス・木偶・影絵人形劇の工作情況の総括に関する通知」(1958年3月18日)

B5版1枚。(13)の1枚目と同じもの。

以下の(15)から(17)までは、「戯曲工作の改善と省直轄演劇事業団体の強化に関する意見等」*6(1030-6-667)という簿冊に収められたものである。

(15)「木偶戯・影絵人形劇工作座談会の開催に関する通知」(1959年4月9日)

B5版5枚。1~3枚目は「木偶戯・影絵人形劇工作小型座談会の開催に関する通知」*7(59年4月9日)で、文化部が北京・上海両市と福建・四川・青海・陝西・湖南・広東・河北・黒竜江各省の文化局に送付した文書。5月18日に北京で開催予定の「木偶戯・影絵人形劇工作小型座談会」についての情報を伝えている。当日は木偶戯と影絵人形劇に関する陳列展示も行われるため、その計画書(「木偶戯・影絵人形劇芸術陳列提綱(初稿)」*8)も添付されている。4枚目は「木偶戯・影絵人形劇小型研究上演会の開催に関する補足通知」*9(12月11日)で、文化部が各省・市・自治区の文化局(庁)に送った文書である。60年1月18日に北京で「木偶戯・影絵人形劇小型研究上演会」を開催するので、12月31日までに演目や人員について報告するよう要請している。5枚目は「木偶・影絵人形劇小型研究上演会は1月20日の開催に変更」*10(12月22日)で、文化部芸術事業管理局から各省・直轄市・自治区文化局(庁)に出されたものである。内容は文書名のとおり。

(16)「全国影絵人形劇コンクールに参加するための準備状況に関する報告」(1959年12月7日)

B5版2枚。唐山市文化局が「木偶・影絵人形劇小型研究上演会」に参加するための準備状況などを河北省文化局に対して報告したもの。唐山専区皮影社の二社と天光影社が合併して代表団を組織し、営業公演を停止して、日夜準備に励んでいることが述べられている。また、上演予定の演目として『自力更生搞四化』・『暴彩文力殺四門』・『牛郎与織女』を挙げている(上演時間は全部で3時間)。

(17)「文化部が木偶戯・影絵人形劇小型研究上演会の開催に関する補足通知を転送したことについての通知」(1959年12月17日)

B5版6枚。1枚目から4枚目までは、(15)の4枚目(「木偶戯・影絵人形劇小型研究上演会の開催に関する補足通知」)の内容を唐山市文化局に通知した文書とその下書き原稿。5枚目は(15)の5枚目(「木偶・影絵人形劇小型研究上演会は1月20日の開催に変更」)の内容についてやはり唐山市文化局に転送したもの。6枚目は中央文化部からの文芸夏字第1141号通知を受けて、河北省文化局が唐山市文化局に対し、研究に力を入れ、積極的に美術・演出・音楽の専門家を組織し、重点演目を練習し、十分に準備するよう求めた文書。文芸夏字第1141号通知の詳しい内容については不明だが、60年1月に開催が予定されていた「木偶・影絵人形劇小型研究上演会」に関するものであることは間違いないだろう。文末の「準備状況を逐次省局に報告せよ」*11という文面から察するに、(16)はこの文書に対する報告である可能性が高い。

河北省への移管に先だって行われた熱河省の影絵人形劇に対する調査

以下の(4)(5)(6)(9)は河北省文化局人事課作成の「本局が熱河省事業団体を接収」(1030-1-633)という簿冊に収められたものである。

(4)「文化部門の接収工作プランに関して」(1956年1月6日)

B4版2枚。熱河省の河北省移管にともなう文化部門移行の手続きなどについて説明している。影絵人形劇に関しては、「評劇団・話劇団・博物館準備組・映写機修理所・省影絵人形劇工作組は河北省に移行する」*12との記述がある。

(5)「芸術科の情況についての総括」(1956年1月9日)*13

B4版21枚。熱河省の文化芸術の情況について報告したもの。手書きのため、一部判読が難しい箇所がある。評劇団と話劇団に関する記述が大部分を占めているが、影絵人形劇に対する言及もあり、1~2枚目に熱河省内の各県における影絵人形劇関連の劇団や芸人の数および当時抱えていた問題点が、9枚目に省影絵人形劇工作組の来歴・任務・組織形態・問題点などが書かれている。

(6)「影絵人形劇工作組現有人員の簡単な情況についての登録リスト」(1956年1月14日)

B4版1枚。熱河省影絵人形劇工作組のメンバー7名(副組長1名、組員6名)についての一覧表。項目のうち「姓名」・「性別」・「年齢」・「籍貫」・「職別」・「級別(行政)」・「家庭出身」・「本人成分」・「文化程度」・「民族」・「いつ入■〔組?〕したか」(何時入■〔組?〕)・「いつ入党したか」(何時入党)・「政治経歴(革命後)」・「備考」の各欄に記載がある。それによると、メンバー全員が漢族の男性で、革命後の1953年に工作組に入っている。年齢は28歳から44歳までで、不明の者が1名いる。籍貫は熱河省建平県の者が2名、寧城県の者が2名、凌源県の者が1名、喀喇沁左旗の者が1名であった。家庭出身では貧農が4名、中農が1名、富農が1名であり、本人成分では農民が5名、貧民芸人が1名、そして文化程度では初級小学程度が1名、高級小学程度が4名、初級中学程度が1名であった。なお、このうち富農出身の1名はその出自により粛清対象とされている。

(9)「(河北区)省評劇団・話劇団・博物館準備組・映写機修理所・影絵人形劇団および市県文化事業編制表」(1956年)

B4版4枚。熱河省の各文化機関についての一覧表。2枚目に55年と56年の各単位の機構数と編制数に関する統計がある。省影絵人形劇工作組(省皮影戯工作組)は両年ともに機構数1、編制数7となっている。編制数というのは機構に所属するメンバーの数を表したものだが、本文書および(5)の記載(9名)と(6)の記載(7名)との間に齟齬がある。

Ⅱ.1960年代

各地の影絵人形劇の情況
(18)「影絵人形劇の技術を革新することで影絵人形劇の花をより鮮やかに開かせる・高栄傑発言」(1960年5月)

B5版3枚。「河北省教育・文化・衛生・体育・新聞方面社会主義建設先進単位和先進工作者代表会議」での唐山市皮影社代表高栄傑の発言を整理したもの。大躍進時期に唐山市皮影社がどのように改良されたのか、またその成果がどうであったかについて報告している。演目・人形・背景などの改良について詳しく述べるとともに、それによる経済的利益の伸張についても言及している。

以下の(19)(20)は「文化局が収集した我が省の曲芸・馬戯・雑技・影絵人形劇の工作状況および関係統計資料」*14(1030-2-273)という簿冊に収められたものである。

(19)「唐山専区の影絵人形劇の状況についての報告材料」(1961年、ただし作成は1959年頃か?)

B5版10枚。59年頃に調査された唐山・承徳両専区の影絵人形劇の情況について報告したもの。1~7枚目までの文書は書かれた字が乱雑で大変読みづらいが、劇団の規模や来歴・収入・後継者の養成・改革の動向・問題点など、当時の状況を知る上で重要なことが多く書かれている。8~10枚目には影絵人形劇の演目が書かれている。使用された便箋(「河北省唐山専区皮影社公用箋」)から判断するに、それらが唐山専区皮影社で上演されていた演目を示したものであることは間違いないだろう。それら上演演目の名称については戸部・山下前掲論文、145~146頁を参照のこと。

(20)「河北省各地区の曲芸・雑技・木偶・影絵人形劇職業的芸術団体と職業芸人に関する統計表」(1961年、ただし作成は1957年と思われる)

B5版22枚。河北省内の曲芸・雑技・サーカス・影絵人形劇・木偶の団体数と芸人数を専区・市・県ごとに集計したもの。河北省檔案館の目録では1961年作成となっているが、7枚目に「1957.1.23日」との記述があり、また統計で用いられている滄県専区が58年に廃止されているため、57年に作成されたものと思われる。そのうち影絵人形劇のデータについては、戸部・山下前掲論文、132~133頁を参照のこと。

(21)「農村のアマチュア影絵人形劇団の活動状況についての調査報告」(1962年1月6日)

B5版4枚。61年12月5日に承徳市の群衆教育館が行った、市郊外の2つの人民公社と3つの生産大隊における皮影戯の公演情況に関する調査報告を、承徳専区専員公署の文化局が河北省文化局へ送付したもの。登記工作によって淘汰されたはずの半職業劇団が活発に活動している様子を伝える。

(22)「1963年全省の一部曲芸・雑技・影絵人形劇・話劇・京劇上演芸術団体の業務人員名簿」(1963年12月)

B5版、枚数不明(コピーを入手したのは、唐山市の京劇団・雑技団・話劇団・皮影劇団・曲芸団のもののみ、計22枚)。項目は、「姓名」・「性別」・「出生年月」・「民族」・「政治的地位」(政治面貌)・「芸歴」(芸齢)・「現任職務」・「専業あるいは特長」・「職務等級あるいは給与額」(級別或工資数)・「現在の学歴」(現有文化程度)・「どのような職業訓練を受けたことがあるか」(受過何種専業訓練)・「健康情況」・「結婚しているか」(婚否)・「備考」(備註)となっている。唐山市皮影劇団の26名について以下にその概要を示す。

性別:女性2名を除いてすべて男性。

出生年月:1907年5月生まれ~1941年2月生まれ。構成は、1900年代生まれが2名、10年代生まれが8名、20年代生まれが9名、30年代生まれが5名、40年代生まれが2名となっている。調査時点の1963年から単純に彼らの生年の数を引き、平均を求めたところ40.1歳であった。

民族:全員漢族。

政治的地位:共産党員が5名、共産党青年団員が2名。

芸歴:3年~38年。構成は、10年未満が9名、10年以上20年未満が4名、20年以上30年未満が3名、30年以上40年未満が9名となっており、経験が乏しい層と豊富な層とに大きく分かれている。芸歴不明の1名を除いた平均は18.6年であった。

現任職務:団長1名、副団長2名、演員14名、演奏員5名、操作3名、編劇1名。

専業あるいは特長:文武丑2名、青衣4名、老生3名、小生3名、花臉3名、四胡2名、三弦1名、二胡1名、鼓板1名、拿線2名、操作2名、舞台灯光1名。

職務等級あるいは給与額:20元~97.50元。職務等級で表記された1名を除いた25名の平均は59.89元である。

現在の学歴:初級小学3年が17名、初級中学1年が4名、初級中学2年が2名、初級中学3年が3名。

どのような職業訓練を受けたことがあるか:記載無し。

健康情況:肝炎4名、気管炎1名、肺結核1名。

結婚しているか:1名を除き、全員が既婚。

備考:記載無し。

唐山市皮影団の北ベトナムへの派遣要請
(23)「唐山市皮影団をベトナムに派遣して上演させることについての相談」(1965年7月10日)

B5版2枚。対外文化連絡委員会と中央文化部が連名で河北省文化局・唐山市文化局に送付した秘密文書。中越文化合作協定にもとづく北ベトナムへの唐山市皮影団の派遣を依頼している。参加人数は、団長・秘書・通訳を含め20名。演目は、伝統演目を1本(『三打白骨精』か『火焰山』)、現代演目を2本(児童が演じる小演目と、ベトナム人民による抗米救国と中国人民による援越抗米を反映した演目)をリクエストしている。ベトナム戦争を戦う北ベトナムを慰問する意味合いがあったものと思われる。

(24)「唐山市皮影団の訪越任務をしばらく免除することについての書函」(1965年10月14日)

B5版1枚。上と同じく対外文化連絡委員会と文化部が連名で河北省文化局・唐山市文化局に送付した機密文書。駐越大使館とベトナム政府とで協議した結果、ベトナムには歌舞団を派遣することになったので、唐山市皮影団のベトナム派遣は延期になったことを伝えている。なお、いつまで延期されるかは未定としている。

Ⅲ.1970年代

全国木偶・影絵人形劇選抜公演

以下(26)を除き、(25)から(32)までのすべては「河北省が参加した全国木偶・影絵人形劇選抜公演のプログラム・演目および会議状況の省文化局辦公室への簡潔な報告と馬済川同志が会場で行った2回の講話」*15(1030-7-187)という簿冊に収められているものである。

(25)「全国木偶・影絵人形劇選抜公演の影絵人形劇プログラム」(1975年3月)

B5版4枚、B4版1枚。75年12月2日から20日まで北京で開催された「全国木偶・影絵人形劇選抜公演」(全国木偶・皮影戯調演)に参加した唐山市皮影劇団の上演プログラム。演目は以下の通りである。『智取威虎山』(第五場「打虎上山」)・『紅雲崗』(第四場「情深意長」・第七場「重返前線」)・『山荘紅医』・『打狼』・『鶴与亀』。出演者リストも掲載されている。また、5枚目の「全国木偶・影絵人形劇選抜公演(第四輪)」の記載から、唐山市皮影劇団による公演は児童劇場で行われ、12月14・15・17・19日の夜7時からと、18日の朝9時からであったことが分かる。

(26)「影絵人形劇舞踏選抜公演の経費の解決を申請することに関する報告」(1975年11月28日)

B5版3枚。河北省革命委員会文化局から同文化局辦公室と省革命委員会に送付された文書の下書きと思われる。上述の全国木偶・影絵人形劇選抜公演に唐山市皮影劇団が参加するための費用15,680元(40人分、30日間)を工面するよう要求している。

(27)「馬済川同志が全国木偶・影絵人形劇選抜公演第二回動員大会で行った講話」(1975年12月2日)

B5版10枚。75年12月2日午後3時に北京の西苑大旅社の講堂で開催された、全国木偶・影絵人形劇選抜公演の全体人員動員大会における、文化部選抜公演辦公室責任者の馬済川による講話の原稿。その場に列席していたのは以下の団体である。北京市木偶劇団、山西省浮山県・孝義県木偶劇団、福建省泉州市木偶劇団、同竜渓地区布袋木偶劇団、江蘇省揚州地区木偶劇団、広西壮族自治区木偶劇団、遼寧省錦州市郊区木偶演出隊、四川省成都市・儀隴県・資中県・綿竹県木偶劇団、河北省唐山市皮影劇団。文芸革命と革命模範劇の発展およびその意義について強調し、当時起こっていた革命模範劇に対する批判に断固反対すべきことを主張している。講演後に文化部から電話があり、それを受けた馬は、1976年に全国で5つの選抜公演(舞踏・曲芸・雑技・もっぱら「農業は大寨に学べ」を題材としたもの・話劇)を挙行することを、毛沢東主席自らが批准したと告げる。なお、この文書に登場する馬済川は、他の文書で馬巨川、馬継川などとも表記されている。現時点ではどれが正しいのか明らかにすることができない。

(28)「全国木偶・影絵人形劇選抜公演への参加に関して河北隊が打電した北京からの電報、選抜公演動員大会について省文化局辦公室と省委員会に対する簡単な報告」(1975年12月3日)

B5版2枚。12月3日午前10時に、河北省革命委員会文化局は、北京に滞在している同辦公室主任の張俊才からの電報を受信した。その中身とは、(27)の内容を簡単に紹介したものであった。本文書は、それについて同辦公室と省委員会に報告するために、省文化局から送付されたものである。

(29)「文化部選抜公演辦公室責任者の馬巨川同志が各省・市・自治区代表団団長会議において行った木偶・影絵人形劇選抜公演問題に関する講話」(1975年12月19日)

B5版10枚。12月19日に西苑(大)旅社で開催された、全国木偶・影絵人形劇選抜公演の各省・市・自治区代表団の団長会議における、文化部選抜公演辦公室責任者の馬巨川による講話の原稿。講演全体の論旨は、(27)のものと大差ない。

(30)「『山荘紅医』影絵人形劇台本」(1975年12月)

B4版10枚。全国木偶・影絵人形劇選抜公演で唐山市皮影劇団が上演した演目の1つである『山荘紅医』(表紙に「河北省邯鄲地区で創作された同名の豫劇を改編したもの*16」との表記がある)の台本。

(31)「全国木偶・影絵人形劇選抜公演に参加した情況に関する報告」(1975年12月)

B5版2枚。河北省革命委員会文化局委員会が文化局辦公室と省委員会に送付した文書。全国木偶・影絵人形劇選抜公演の情況と今後の課題について簡潔に述べている。また、最後の段落で当時の河北省における影絵人形劇の情況について短く触れており、その記述から唐山市皮影劇団・楽亭県皮影劇団・玉山県皮影劇団という3つの職業劇団が存在し、そこに86人が参加していたことが分かる。

(32)「全国木偶・影絵人形劇選抜公演に参加した情況に関する総括報告」(1975年?)

B5版9枚。河北省皮影代表団領導小組による、全国木偶・影絵人形劇選抜公演の情況に関する総括報告の下書き原稿。選抜公演の情況が詳しく述べられているとともに、馬巨川の講話を受けて今後河北省が取り組むべき課題が提起されている。冒頭の記述から、河北省皮影代表団が59名(省文化局の人員2名、唐山地区文化局の人員1名、唐山市文化局の人員2名、玉田県と楽亭県の影絵人形劇団の責任者各1名を含む)で構成され、12月2日に北京に到着し、20日にすべての上演を完了させ、21日に全体のまとめをし、23日に北京を離れたことが判明する。

3.おわりに

以上、河北省檔案館が所蔵する影絵人形劇関係檔案について紹介してきた。紙幅の都合上、1つ1つの檔案に対して深く検討することはできなかったが、それでも檔案を概観するなかで、中華人民共和国成立後から文革期までの河北省における影絵人形劇団の動向、上演された演目、芸人の情況などについて、いくつか興味深い事実を明らかにすることができたと考えている。

行政文書という性格上、檔案の記述には、ときに政府の意向が入り込むことがある。したがって、利用に際しては、他の文献資料や口述記録などと付き合わせることで可能な限りその記載内容を相対化させる必要がある。ただ、そうした点をうまくクリアすることができれば、檔案資料は、芸能研究の発展のために大いに資することとなるだろう。河北省檔案館には影絵人形劇以外の芸能に関する檔案も豊富に所蔵されているし、河北省以外の檔案館にもおそらく相当量の関連資料が保存されている。今後こうした檔案資料を使用した芸能研究が増えていくことを祈念してやまない。

最後に、河北省檔案館での調査においては、張志永氏(河北師範大学法政学院)、霍宏偉氏(河北師範大学法政学院)、王勝氏(河北省社会科学院)、河野正氏(学習院大学東洋文化研究所)より多大なるご支援をいただいた。深く感謝の意を表したい。

*本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中国における伝統芸能の変容と地域社会」(平成22~25年度、基盤研究(B)、課題番号:22320070、研究代表者:氷上正)による成果の一部である。


*1 河北省檔案館の利用方法については、拙稿「河北省檔案館・天津市檔案館利用案内―附:石家荘・天津古書店案内―」『中国都市芸能研究』第九輯、2010年を参照のこと。なお利用申請の際に必要となる紹介状について、同稿では公印が無くても問題無しとしたが、現在では公印が押されていないと認められなくなっている点、付記しておく。
*2 なお、当該論文において、一部檔案の所蔵番号の表記に誤りがあった。お詫びして訂正させていただきたい。
《关于河北省皮影艺术情况汇报》
(誤)1030-6-801-5
(正)1030-6-660-1
《革新皮影技术使皮影之花开得更加鲜艳高荣杰发言》
(誤)1030-5-203
(正)1030-5-203-22

*3 一,皮影戏,剧目过去存在的问题。
*4 二,今后对皮影剧目发掘整理上的几点意见。
*5 1.关于整顿队伍问题;2.解决演出活动困难问题;3.丰富上演节目问题;4.培养二代问题;5.加强领导管理和进行社会主义教育问题。
*6 《关于改进戏曲工作与加强省直戏剧事业单位的意见等》。
*7 《关于举行木偶戏皮影戏工作小型座谈会的通知》。
*8 《木偶戏皮影戏艺术陈列提纲(初稿)》。
*9 《关于举行木偶戏皮影戏小型观摩演出的补充通知》。
*10 《木偶、皮影戏小型观摩演出改为1月20日举行》。
*11 并把准备情况及时报省局。
*12 评剧团、话剧团、博物馆筹备组、电影机修理站、省皮影工作组交河北省。
*13 河北省檔案館の目録では作成年月日が「1956年1月19日」となっているが、本資料1枚目上部に「56.1.9」と記載されていることから、そちらに修正した。
*14 《文化局搜集的我省曲艺马戏杂技皮影工作情况及有关统计资料》。
*15 《河北省参加全国木偶、皮影调演节目单、剧目及会议情况向省文办的简要报告和马济川同志在会上的两次讲话》。
*16 根据河北省邯郸地区创作的同名豫剧改编。