『都市芸研』第十二輯/近現代中国の地域社会と芸能

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科学研究費補助金・基盤研究(B)「近現代中国における伝統芸能の変容と地域社会」(代表:氷上正)研究成果報告会近現代中国の地域社会と芸能―皮影戯・京劇・説唱―
参加報告

川 浩二

2013年12月1日(日)に慶應義塾大学日吉キャンパスにおいて、研究成果報告会「近現代中国の地域社会と芸能―皮影戯・京劇・説唱―」が開催された。本報告会は2010年度に始まる、科学研究費補助金・基盤研究(B)「近現代中国における伝統芸能の変容と地域社会」(代表:氷上正)の期間終了にあたり、中国都市芸能研究会の共催のもとで開かれたものである。また中国都市芸能研究会叢書3『近現代中国の芸能と社会 皮影戯・京劇・説唱』(以下『論集』と称する)を披露する機会ともなった。

当日は研究代表者氷上正の前言から始まり、以下の4組が登壇し、各組が発表30分の後、フロアとの討論をそれぞれ20分行った。

  • 影絵人形劇の台本と即興性―皖南大影の事例から 千田大介(慶應義塾大学)
  • 近代江南における村落社会と芸能―宣巻と堂名を中心に 佐藤仁史(一橋大学)
  • 檔案資料から見た1950年代中国の影絵人形劇―河北省における登記工作を中心に 戸部健(静岡大学)・山下一夫(慶應義塾大学)
  • 古装新戯の誕生―『嫦娥奔月』初演の文脈と古装の由来 平林宣和(早稲田大学)
    (当日の発表順)

最初の千田発表は、『論集』所載の論文と同じく、湖南省宣城に伝わる影絵人形劇について発表したが、論点をとくに皖南大影の台本と上演の部分にしぼった。

千田の発表が基づく現地調査は、本報告会が基礎とする研究プロジェクトの実施期間である2009年から2013年に渡って、多くのメンバーが参加して行われたものである。また現地調査の対象となる地域についても、従来行ってきた中国北方地域での調査・研究を江南地域にまで広げたものであり、今次の研究プロジェクトの中心の一つを担うものといえよう。

冒頭では安徽省宣城の歴史的、地理的な概要が説明されるとともに、影絵人形劇の上演実態が図像資料を用いつつ解説された。

皖南大影は人形や音楽よりも、その台本のあり方と利用法に、他の地方と異なる特徴が見られる。皖南大影の台本は物語の梗概を記したものにすぎず、これを当地では「紀字頭」と呼ぶ。芸人は「紀字頭」によって演ずるため、歌詞は役柄や場面に応じてある程度決まったものを即興的に組み合わせていく形式となっており、セリフと歌詞がそろった台本を見ながら演ずるものとも、台本の内容を完全に暗記して上演時には見ないというものとも異なる。

このシステムを用いれば、小説を読んだ芸人がそれを直接影絵人形劇に改編することができ、観客の新たなニーズに応えることが容易である。類型の組み合わせの即興であるため、歌詞の芸術性を問うことは難しいが、小説の物語を非識字者層に伝えるためのメディアとして考えれば、すぐれた機能を有しているといえる。

古典的な文学を基礎とした演劇・戯曲の研究では、まま対象に美学的価値を求めがちになるのに対して、とくに影絵人形劇は農村での上演が基本となる以上、農村における社会的な機能を評価するべきであるとの提言で発表がしめくくられた。

続く佐藤発表は、従来の中国演劇史研究によって得られた、中国の農村と都市における地方演劇とその社会的役割の歴史的変遷のモデルを、江南農村社会史研究の成果をふまえ、江蘇呉江の村落社会を事例として検証するものであった。

まずクリークに沿った村落の地理的な広がりと、村落が「段」と呼ばれる地縁集団に分かれていることが紹介されたうえで、当地の語り物芸能である宣巻と堂名を例に、村落と祭祀と芸能の関係について見取り図が示された。

宣巻は依頼者がおもに個人であり、宗教儀礼にともなって行われることが多く、堂名は「段」にもとづく村民の共同の依頼によって行うことが多いという対比と、宣巻と堂名がともに市鎮の茶館にいる「牌話」と呼ばれる仲介者をはさんで芸人や劇団に依頼されるという共通性が解説された。

芸能や演劇の種類が依頼者やシチュエーションによって選択されること、それらが祭祀を媒介として統合される当地の村落において、村落の下部にある地縁集団のつながりと関わっていることが明快に提示された。今回の事例をひとつのモデルとして、より普遍的な議論へと発展させていく見通しをもって発表を終えた。

3番目の戸部・山下発表は、前半では戸部が河北省檔案館での資料調査を通して得られた影絵人形劇に関する公文書について、調査の経緯と資料の概要を説明し、後半では山下が従来の影絵人形劇の研究に対して、公文書がどのような役割を果たすかについて述べる形で行われた。

1950年代に、影絵人形劇の劇団が各地で国営劇団化していったことは、各地の影絵人形劇の調査によって共通して得られていた事実であり、老芸人たちのインタビューでもたびたび言及されてきていた。本発表によって示されたのは、1950年代における芸能団体の公的な登録を進める「登記工作」が、国営劇団の設立と表裏一体の関係にあるということであった。さらに「登記工作」に関係する公文書が、登録されなかった半農半芸の劇団の状況を知るためにも有用であることが説明された。

従来では個人の回想録やインタビューなどから個別の劇団や個人の経歴をたどることが中心であったが、公文書を利用することで、それらを位置づけ直すことができる。本発表は公文書を演劇・芸能研究に積極的に利用することにより、従来と異なる角度での研究を行える可能性を示したものであった。

最後の平林発表では、梅蘭芳が1915年に初演した古装新戯『嫦娥奔月』が、どのような状況のもとで作られたのか、また「古装」と呼ばれる、従来の京劇の衣装にはない、伝統的な意匠とモダンなスタイルを持った衣装が採用された理由はなぜだったのか、について論じられた。

梅蘭芳とそのブレーン斉如山は多くの回想録を残しており、資料は豊富に残っているかに見えるが、いっぽうそれらは当時から長い時間を隔てているために話者の記憶が不確かであったり、インタビュアーの書き起こしのさいに誤りが生まれたりという問題点もある。それらを補完するために、今回の研究では当時の新聞広告を客観的な証拠となる上演記録として用いたことが述べられた。

『嫦娥奔月』の初演が1915年であったことは間違いないが、創作の理由、初演の正確な日時については各種の回想録の内容が錯綜していた。当時の新聞広告の調査を通じて、『嫦娥奔月』が旧暦8月15日の中秋節に合わせて上演されていたことが検証された。同時にライヴァル王瑤卿が第一舞台で『天香慶節』を上演していたことも確認でき、対抗する意味で上演されたという文脈も読み取ることができる、と説明された。

さらに『嫦娥奔月』の特徴である「古装」が、上海の文明戯における紅楼夢を題材とした演目において試みられていたことが新聞広告からも確認できることから、その新機軸を梅蘭芳らが参照し、外国人に受けやすい歌舞劇の一つの要素として取り入れた、という文脈が導かれた。

当日の参加者は、発表者もふくめて15名程度と大きな規模ではなかったが、そのぶん活発な意見交換が行われ、4時間以上に渡る開催時間も短く感じられたほどであった。

今回の4つの発表は対象となる地域も時代もある程度異なるものであったが、4つともに従来のそれぞれの分野の研究が用いてきた研究方法と資料の調査範囲を見直す形で進められていることが印象的であった。それはごく簡単にいえば、既存の、もしくは新たに行ったインタビューによって得られた言説を文献調査によって補正することと、それとは逆に、文献の記述や先行研究で示されたモデルの当否を現地での聞き取り調査によって検証することである。

共同研究に参加したメンバーが相互に研究対象と方法論、資料の調査範囲を共有・交換しながら研究プロジェクトを完了させたことを十分に示す内容となっていたといえよう。さらに当日はフロアには中国の近現代史を専門とする参加者も多く、研究対象と方法の交換・共有がさらに進展することを期待させた。筆者も中国都市芸能研究会の会員の一人として、その進展にいささかなりと寄与できるよう、強く期するものがあった。

なお当日のそれぞれの発表内容は、基本的には前掲の『論集』に掲載された論文に拠っている。詳しくはそちらをご覧いただきたい。