『都市芸研』第十六輯/李開先「西野春遊詞序」について

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李開先「西野春遊詞序」について

材木谷 敦

はじめに

中国古典戯曲における本色論について検討する場合、比較的早い時期に「本色」という語を用いて戯曲を論じた言説として、李開先(1502―1568)『李中麓閒居集』巻六「西野春遊詞序」は重要な意味を持つと思われる。その存在も内容も先行研究においてしばしば取り上げられるところであり、本稿もこれを扱ってみたい。とりあえず、議論に必要な範囲で訳出する。*1

戯曲と詩は意趣が同じでもスタイルが異なる。詩は奥深くて余韻があるのがよい。戯曲ははっきりしていてわかりにくくないのがよい。戯曲を詩にすれば、その詩はレベルが低い。詩を戯曲にすれば、その戯曲は戯曲らしくない。〔略〕伝奇と戯曲に南北の違いがあるとしても、また套詞と小令に長さの違いがあるとしても、その深い道理はひとつである。〔表現についての〕悟りへの到達は、ほかでもなく作者の資質と学力にかかっている。しかし、全て金元を基準とするのは、詩について唐を最高とみなすのと同じである。なぜか。戯曲は金に始まり、元に盛んになった。元は境域が安定し、租税の負担が軽く、衣食が足りていた。生活が安定して歌が起こり、心に楽しみを感じ、口に歌声が生まれた。長くすれば套詞となり、短くすれば小令となった。したがって、伝奇や戲曲が多く、模範とするに足るということである。穆玄菴が、異民族支配だからと非難することはできないと言ったのも、多くの人々が同意見である。明初では、劉東生、王子一、李直夫といった名家が、金元の風格を残していた。その後ふたつに分かれ、「本色」によるものは戯曲作家の戯曲となり、そうでなければ文人の戯曲となった。陳大声が正徳丁卯の年に亡くなってからは、王渼陂だけが優れている。陳大声〔の作品〕は元風の戯曲として低い水準であり、王渼陂〔の作品〕は文人の戯曲として高い水準である。同レベルとみなすことができ、優劣を付け難いものがある。全てが揃っているのは、元ということになるだろう。それは詩なら唐を超えるものがないのと同じである。

私と西野氏は戯曲の関係で付き合って四十年になろうとしている。〔略〕西野氏は年を取るにつれて、戯曲創作がますます巧みになり、意見が特に合うようになった。最近「春遊」という作品を書いた。言葉が優れており、俗も雅もあり、あらゆる面で素晴らしい。実に、上林に出向いて踏青をしているような感じがして、美しい春景色が目に浮かぶようである。私はすっかり気に入ってこれを出版することにした。そこで、このように戯曲の源流について触れる序も付すことにした。

(原文)詞與詩。意同而體異。詩宜悠遠而有餘味。詞宜明白而不難知。以詞爲詩。詩斯劣矣。以詩爲詞。詞斯乖矣。〔略〕傳奇戲文。雖分南北。套詞小令。雖有短長。其微妙則一而已。悟入之功。存乎作者之天資學力耳。然俱以金元爲準。猶之詩以唐爲極也。何也。詞肇於金。而盛於元。元不戍邊。賦稅輕而衣食足。衣食足而歌詠作。樂於心而聲於口。長之爲套。短之爲令。傳奇戲文。於是乎侈而可準矣。穆玄菴謂。不可以胡政而少之。亦天下之公言也。國初如劉東生。王子一。李直夫諸名家。尚有金元風格。迺後分而兩之。用本色者爲詞人之詞。否則爲文人之詞矣。自陳大聲正德丁卯年沒後。惟有王渼陂爲最。陳乃元詞之下者。而王乃文詞之高者也。可爲等儕。有未易以軒輊者。若兼而有之。其元哉。其猶詩之唐而不可上者哉。

予與西野先生爲詞友。將四十年矣。〔略〕西野年愈長。詞益工。而論尤合。近作春遊一闋。語俊意長。俗雅俱備。聲中金石。色兼玄黃。真如游上林而踏青郊。淑景春葩。歷歷在目。予愛而刻之。因併序詞之源流如此。*2

1 問題の所在

「西野春遊詞序」においては、「本色」の意味も、その対概念も、直接には示されていない。「本色」と他の概念との関係が充分に整理されていないと見受けられる面もある。結果として、読みにくい部分がある。

この種の読みにくさのためか、「西野春遊詞序」には様々な説明がなされている。例えば、次のような説明はよく理解できる感じがするかもしれない。

彼〔李開先〕は次のように考えている。長套、小令、北曲雑劇と南曲戯文はみな同じで、明初の劉東生などのように、「金元の風格」を持たなければならず、そのようであってこそ「本色による」戯曲作家の戯曲であり、そうでなければ、文飾を重視する詞家〔文人の誤りか〕の戯曲である。李開先における「本色」の意味は、「金元の風格」、すなわち戯曲が極めて盛んだった時代である金元が持っていた本来のありかたと味わいを指しており、具体的には、言葉はわかりやすくなければならず、音調は「心に楽しみを感じ、口に歌声が生まれ」るくらいに自然で滑らかでなければならないということであると理解できる。

(原文)他認為長套、小令、北曲雜劇和南曲戲文都一樣,要像明初劉東生等人一樣,具有「金元風格」,如此才是「用本色的」曲家之曲;否則便是講究藻飾的詞家之曲。可見李開先「本色」之義在指「金元風格」,亦指曲極盛時代金元所具有的原本面貌和韻味,具体的説是造語要明白易懂,聲韻要「樂於心而聲於口」那樣的自然流利。*3

しかし、もとの言説のわかりにくさからすると、そのように理解してよいかどうかわからない部分がある。この説明の対象とされていない部分で、「西野春遊詞序」が「俗」も「雅」もあることをよきこととしている点に注意する必要があるだろう。「本色」が理想としての「金元の風格」、理想としての戯曲らしさのようなものにかかわる概念であるとして、その理想は「俗」も「雅」もある状態であったはずである。したがって、「本色」は、「わかりやすさ」や「自然さ」といった、どちらかと言えば「俗」に関連が深いと考えられる属性を、「雅」と切り分けられた形で含むわけではないはずである。

また例えば、次のような説明は、「雅俗」に関する議論を踏まえているので、より適切に見えるかもしれない。

李開先の考えにおける最高の戯曲の理想は、「俗も雅もあり」、「本色」と文飾の「全てが揃っている」元曲であり、その次が「本色による」「戯曲作家の戯曲」であり、最も下は「文人の戯曲」である。元曲であろうと「戯曲作家の戯曲」であろうと、用語が「はっきりしていてわかりにくくない」ことを特色としている。

(原文)李开先心目中的最高曲词理想,是“俗雅俱备”,「本色」与文饰“兼而有之”的元曲,其次则是“用本色”的“词人之词”,最下者为“文人之词”。无论元曲还是词人之词,都以用语的“明白而不难知”为特色。*4

これにしても、そのように理解してよいかわからない部分がある。この説明の場合、「本色」と補われた概念である「文飾」とが、それぞれ「俗」と「雅」に振り分けられることになる。しかし、「本色」によると認定されているであろう明・陳大声の作品が、「低い水準」とされながらも「元風の戯曲」(原文「元曲」)と評価されていることからすれば、「西野春遊詞序」における「本色」は、「金元の風格」すなわち理想としての戯曲らしさのようなものに、親和的であるようには見えても、対立的であったり完全に別の概念であったりするようには見えない。また、評価の基準は、「俗」も「雅」も含むところの「戯曲らしさ」が、あるかないかではなく、比較的強いか弱いかという程度問題だったのではないか。

「西野春遊詞序」における「本色」とは、どのような概念なのか。ふたつの説明に対する疑問を踏まえつつ、整理を加えてみよう。「本色」は、辞書的には「もとの色」「本職、本業」「本来のありかた」「過度の修飾がない素朴さ自然さ」「田賦の物納」を意味する。単純に考えて、「西野春遊詞序」の「本色」は、「本職」でも「田賦の物納」でもなく、「もとの色」或いはそれが抽象化された「本来性」か「自然さ」でなければ理解できない。*5戯曲というものにはそれを代表する目に見える色彩があるわけではないので、「もとの色」という具体的なレベルの意味ではなく、特に「本来性」や「自然さ」という抽象的なレベルの意味が、適切だろう。さらに言えば、「西野春遊詞序」が戯曲と詩との比較から始まり、金元という特定の時代の戯曲作品の価値を強調する議論を展開している点から考えれば、表現の質としての「自然さ」ではなく、戯曲というものの「本来性」を意味しようとしていると考えるのが、より適切だろう(個々の書き手の持ち味としての「本来性」や「らしさ」ではない)。

この「戯曲というものの本来性」としての「本色」は、「自然さ」や「わかりやすさ」といった属性を含み得るとしても、それらを直接に意味するものではないだろう。より重要なのは、「戯曲というものの本来性」が含み得る属性は、「わかりやすさ」や「自然さ」に限らないと思われることである。もちろん、「わかりやすさ」や「自然さ」は、実際に重要であると認識されていたのだろうし、そのような属性を「本色」に対して補えば補えるだろう。しかし、「西野春遊詞序」では「俗」も「雅」もあることがよきことと見なされている以上、「わかりやすさ」や「自然さ」は想定されている「戯曲というものの本来性」の一部であって全部ではないはずである。補われるべきは、「わかりやすさ」や「自然さ」といった主に「俗」に関係するであろう属性に限らないだろう。

「戯曲というものの本来性」としての「本色」は、あるかないかが問題だったのではなく、程度の問題であったとしよう。しかし、程度の尺度は示されず、「戯曲というものの本来性」の全体、そこに含まれ得る属性のひとつひとつが、具体的に説明されるような議論にはなっていない。李開先は「西野春遊詞序」において「戯曲作品の質のよしあしは私が思う戯曲というものの本来性の程度による」という信念の下で、「戯曲というものの本来性」に含まれる属性を部分的に挙げているのだろう。単純化すれば、李開先は自分が感じた何かに基づいてごく主観的に議論を進めていることになる(もちろん、そのような議論のありかたはかつての言説にあっては珍しいものではない)。わからない感じがする部分は、どうしても残るだろう。

このような整理は、「俗も雅もあり」という部分が「春遊」を賞賛するためにたまたま選ばれたレトリックであって「本色」と無関係であったならば意味をなさないし、「本色」という語がさして深い考えもなく用いられたのならば意味をなさない。そこで、「本来性」としての「本色」が「俗」と「雅」の両方にかかわることの意味も含めて、「西野春遊詞序」における「本色」という語にどのような背景があったのか、検討してみたい。

2 「本色」と「雅俗」

「俗も雅もあり」という部分は、「春遊」を賞賛するために、たまたま選ばれたレトリックであって「本色」と無関係だったのか。まず、「本色」と「雅俗」との関係について考えてみたい。南朝梁・劉勰『文心雕龍』「通変」に言う。

今、才知ある人物は、努力して文を学ぶ上で、たいてい漢代の作品をおろそかに扱い、劉宋の作品を範としている。古今の作品をよく読んでいても、近い時代を重んじ、遠い時代をおろそかにしている。そもそも青は藍から生じ、赤は茜から生じる。〔作られた色は〕「本色」を超えているとしても、それ以上に変化することはない。桓譚は言う、「私は新進の美しい文章を読んだが、美しくても採るべきところがない。劉向や揚雄の作品を読むと、いつも得るところがある」。この言葉からも明らかである。したがって、青や赤を洗練させようとすれば、必ず藍や茜に行き着く。欠点を正して浅薄さを避けるには、経典に学ぶことである。「質」と「文」の関係を斟酌し、「雅」と「俗」の関係を適切に処理してこそ、文章の変化の道理を理解するということについて、ともに議論するに足りる。

(原文)今才穎之士。刻意學文。多略漢篇。師範宋集。雖古今備閱。然近附而遠疏矣。夫青生於藍。絳生於蒨。雖踰本色。不能復化。桓君山云。予見新進麗文。美而無採。及見劉揚言辭。常輒有得。此其驗也。故練青濯絳。必歸藍蒨。矯訛翻淺。還宗經誥。斯斟酌乎質文之間。而櫽括乎雅俗之際。可與言通變矣。*6

ここでは、「本色」が「文質」という対立や「雅俗」という対立に関連付けられ、それぞれの対立について折衷的な方向が示されている。「西野春遊詞序」の問題の部分は、この関連付けと折衷的な方向を踏まえていると考えられるだろう。

ただし、「本色」の意味が問題である。『文心雕龍』における「本色」では――整理しにくい部分もあるものの――「もとの色」という意味から、比喩的に「起源として遡るべき過去の作品」「学習の対象とすべき過去の作品」「重視されるべき過去の作品」といった意味が生じている。これに対して、「西野春遊詞序」における「本色」は、「もとの色」という意味の発端は同じであっても、何らかの「作品」を意味の帰結とするような具体的なレベルでは理解できず、「本来性」のような抽象的なレベルにずらされていたと考えられる。

次に、「俗も雅もあり」という部分が「春遊」を賞賛するためにたまたま選ばれたレトリックであったのかどうかについて、考えてみたい。『李中麓閒居集』巻五「喬夢符小令序」に言う。

私がこれ〔喬夢符の作品〕を論じるなら、奥深く面白みがあり、「奇」でありながら「怪」に堕することなく、言葉を重ねるほどに素晴らしくなるばかりで「繁」にはならず、どの言葉も「俗」によりながら「文」である〔と評価したい〕。

(原文)以予論之。蘊藉包含。風流調笑。種種出奇而不失之怪。多多益善而不失之繁。句句用俗而不失其為文。*7

「俗」は「雅俗」の「俗」であり、「文」は「文質」の「文」である。「俗」と「文」の対立は、「俗」と「雅」の対立としても、「質」と「文」の対立としても、読むことができるだろう。総合すれば、「喬夢符小令序」は「文質」や「雅俗」のバランスを重んじて見せていると考えられる。そう考えるならば、「西野春遊詞序」の「俗も雅もあり」という部分は、「春遊」を賞賛するためにたまたま選ばれたレトリックではなく、李開先の持続的な見解の表現であり、相応の背景を持っていたと考えてよいだろう。

3 暗引的問題

「西野春遊詞序」の先の問題の部分が『文心雕龍』を意識していたとすると、ある種の暗引として「本色」が言及されているに等しいことになる。その意味では、「西野春遊詞序」において「本色」という語がさして深い考えもなく用いられたとは考えにくい。

「西野春遊詞序」においてある種の暗引として「本色」が言及されているに等しいと考えられる部分は、管見では他に2箇所ある。『文心雕龍』の場合も考え合わせれば、「本色」が再三言及されているとみなすことができる。したがって、「西野春遊詞序」の「本色」という語がさして深い考えもなく用いられたとは、より考えにくくなると思われる。

まず「戯曲を詩にすれば、その詩はレベルが低い。詩を戯曲にすれば、その戯曲は戯曲らしくない」という部分について考えてみたい。北宋・陳師道『後山居士詩話』に言う。

韓愈は文で詩を書き、蘇軾は詩で詞を書いた。教坊の雷大使の舞いのようなもので、どんなに上手であっても、結局は「本色」ではない。

(原文)退之以文爲詩。子瞻以詩爲詞。如教坊雷大使之舞。雖極天下之工。要非本色。*8

ここでの「詞」はいわゆる「填詞」を言い、「西野春遊詞序」の「詞」は戯曲を意味する。しかし、詩とそれ以外とを比較する発想は共通している。「西野春遊詞序」は『後山居士詩話』から発想を得たと考えられるだろう。「本色」についても関連性が想定される。やはりある種の暗引として「本色」が言及されているに等しいと言えるだろう。

『後山居士詩話』の場合の「本色」は「本職」のような意味で理解するのが適切であると思われる。*9しかし、「西野春遊詞序」は、『後山居士詩話』の発想によりつつ、その「本色」については「もとの色」から抽象化された「本来性」として理解した上で踏まえていたのだろう(『後山居士詩話』の「本色」を「もとの色」として理解しようとしても無理があり、「本来性」のような抽象的なレベルの意味が生じることは必然的である)。

次に「悟りへの到達は、ほかでもなく作者の資質と学力にかかっている」という部分について考えてみたい。南宋・厳羽『滄浪詩話』「詩弁」に言う。

およそ禅の道はただ悟りにかかっており、詩の道もまた悟りにかかっている。孟浩然の学力が韓愈よりはるかに下であっても、その詩が韓愈よりも上だったのは、ひとえに悟りによる。悟りあってこそ、「当行」であり、「本色」である。しかし、悟りには深浅があり、限界があり、徹底的な悟りもあれば、一知半解の悟りしか得られないこともある。漢魏は理想的であり、悟りを必要としなかった。謝霊運から盛唐の詩人に至るまでは、徹底的な悟りである。他に悟った人物がいても、みな第一義ではない。

(原文)大抵禪道惟在妙悟。詩道亦在妙悟。且孟襄陽學力下韓退之遠甚。而其詩獨出退之之上者。一味妙悟而已。惟悟乃爲當行。乃爲本色。然悟有浅深。有分限。有透徹之悟。有但得一知半解之悟。漢魏尚矣。不假悟也。謝靈運至盛唐諸公。透徹之悟也。他雖有悟者。皆非第一義也。*10

「悟り」を問題にする議論からすれば、「西野春遊詞序」は『滄浪詩話』を踏まえていると考えられるだろう。「本色」についても関連性が想定される。「西野春遊詞序」の問題の部分においても、やはりある種の暗引として「本色」が言及されているに等しいと言えるだろう。

作者の資質をめぐって「悟り」や「学力」を問題とする観点は、『李中麓閒居集』巻五「改定元賢伝奇後序」にも見られる。

今〔本書・『改定元賢伝奇』に〕収める伝奇は、言葉の内容が高尚かつ素朴で、音調が整っていて、人心や風俗を感動によって善導する効果があるものを選んだ。特に、資質が優れていて学力が充分で、悟りが深く作品の風格が全うな作者を、重視した。

(原文)今所選傳奇。取其辭意高古。音調協和。與人心風教。俱有激勸感移之功。尤以天分高而學力到。悟入深而体裁正者。為之本也。*11

これによれば、『滄浪詩話』からの影響は「西野春遊詞序」以外にも及んでいたと考えられるだろう。

『滄浪詩話』の「本色」も、「当行」と近い「本職」のような意味で理解することができる一方(どちらかと言えばそのほうが詩人の資質を問題にする論旨に即していると思われる)、「もとの色」から抽象化された「本来性」という意味で理解することもできる。*12「西野春遊詞序」は、『滄浪詩話』の発想によりつつ、「本色」を「本来性」と理解した上で踏まえていたのだろう。

そもそも『文心雕龍』も『後山居士詩話』も『滄浪詩話』も「本色」という語が現れることから本色論の検討においてはしばしば言及されている。ここでは、「西野春遊詞序」について、「本色」という語のみならず、議論の発想においても、『文心雕龍』『後山居士詩話』『滄浪詩話』との関連性が想定されるということを強調しておきたい。

結び

以上、本稿による「西野春遊詞序」に対する整理にそもそも意味があるかどうかを問題として、「本来性」としての「本色」が「俗」と「雅」の両方にかかわることの意味も含めて、「西野春遊詞序」における「本色」という語にどのような背景があったのかについて検討した。

「西野春遊詞序」の「俗も雅もあり」という部分は、「春遊」を賞賛するためにたまたま選ばれたレトリックではなく、「本色」と無関係だったわけでもなく、また「本色」という語がさして深い考えもなく用いられたわけではないと考えた。したがって、本稿の先の整理について、成り立つ条件がそれなりに存在すると考える。

先の整理も検討の過程も、「西野春遊詞序」の内容や李開先の思考に対するあり得べき理解の型を示したものではある。しかし、本稿の議論もそのように理解してよいのかどうかわからない説明のひとつに過ぎないことは言うまでもない。今後の検討を課題としたい。

*本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「中国古典戯曲の「本色」と「通俗」~明清代における上演向け伝奇の総合的研究」(平成29~33年度、基盤研究(B)、課題番号:17H02327、研究代表者:千田大介)による成果の一部である。


*1 以下、中国語言説は拙訳によって示し、原文を訳文の後に掲げ、出所を註などによって示す。引用部の〔  〕内は引用者による補足などであり、近人の言説を除いて引用部の句読は引用者による。
*2 顧廷龍等編『続修四庫全書』(上海古書籍出版社、1995年)、第1341冊、22-23頁。
*3 曽永義「從明人『当行本色』論説評騭戲曲應有之態度與方法」国立中山大学中国文学系『文與哲』第26期、2015年6月、13-14頁。
*4 祁志祥「明代曲学中的本色論」遼寧省社会科学院《社会科学輯刊》2013年06期、171頁。
*5 ちなみに『李中麓閒居集』巻五「賀吾潭程尹馬政膺奨序」や巻六「足前未尽」では、税制上の「本色」が言及されており、後者ではその場合の対義語である「折色」とともに現れる(註2前掲『続修四庫全書』、第1340冊628頁および第1341冊364頁)。「本色」の語感の背景として興味深い。
*6 厳一萍選輯『百部叢書集成』(芸文印書館、1965年)所収『文心雕龍』巻六、8a-b。
*7 註2前掲『続修四庫全書』、第1340冊、650頁。
*8 註6前掲『百部叢書集成』所収『後山居士詩話』7a-b。
*9 姜栄剛「雷大使之舞何以非“本色”?――兼論宋代“本色”論興起的歴史因縁」蘇州大学学報編輯部『蘇州大学学報(哲学社会科学版)』2016年第1期などによる。
*10 註6前掲『百部叢書集成』所収『滄浪詩話』1b。
*11 註2前掲『続修四庫全書』、第1340冊、667頁。
*12 ちなみに、『李中麓閒居集』巻六「南北插科詞序」では、「当行」が現れ、「本色」は現れない(註2前掲『続修四庫全書』、第1341冊、1頁)。李開先は「当行」と「本色」を別の概念と見ていたと考えられる。