北方芸能プロジェクト成果報告/慶應義塾図書館所蔵民国時期北京新聞資料紹介

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慶應義塾図書館所蔵民国時期北京新聞資料紹介

戸部 健

1.はじめに

中国都市芸能研究会では、民国時期北京で発行された新聞『順天時報』に掲載された演劇関連記事の整理を進めている。これによって民国時期の伝統劇およびそれを取り巻く情況について、多くの知見を得られることが期待される。しかし、『順天時報』は1930年で廃刊されており、1930年以降については他の新聞資料を参照する必要がある。そこで同時期の北京で刊行された新聞について演劇関連記事の掲載情況を中心に調査をした。その報告が本稿である。

あまり知られていないが、慶應義塾図書館三田メディアセンター(以下「慶應図書館」と略称)には中華民国時期の「北京で発行されていた新聞」(以下「北京新聞」と略称)のマイクロフィルムがまとまって収蔵されている。そこで本稿ではそれらにおける演劇関連記事の掲載情況を報告するとともに、慶應図書館における北京新聞について具体的に紹介する。

2.慶應図書館所蔵北京新聞概況

慶應図書館には139種類の中国語新聞が所蔵されている。このうち1901年から1949年までの間に北京で発行された新聞は71種類であり(表1)、その大半はマイクロフィルムである。それらは図書館新館3階のマイクロ資料閲覧室で閲覧する。その他少量ながら原版および影印版のものもあり、それらは図書館旧館3階か新館地下4階に所蔵されている*1。北京新聞の請求番号は表1に示したが、他地域の新聞の所在についてはマイクロ資料閲覧室窓口備え付けの「中国語新聞リスト」を参照されたい。

3.調査報告

慶應図書館に所蔵されている北京新聞の全貌は表1を参照していただくことにして、以下では特に演劇関連記事を多く掲載する日刊紙に絞って時期ごとに紹介する。各紙の出版情況・背景については黄河編著『北京報刊史話』(文化芸術出版社、1992年)、王桧林・朱漢国主編『中国報刊辞典(1815-1949)』(書海出版社、1992年)および各マイクロフィルムの冒頭に付された解説を参照した。しかし、それらの資料には相互に矛盾をきたしているものも見られるので今後更なる調査が必要である。各紙の欠号情報についてはマイクロフィルム冒頭の一覧に基づく。なお、本稿では1面欠けた場合でも欠号として扱った。

表1)慶應図書館所蔵民国期北京新聞目録
新聞名所蔵範囲請求番号
順天時報1905.8.22~1930.3.27YN-147
新中国報1913.5.1~1913.9.30YN-103
大陸日報1913.9.9~1913.9.29YN-141
日知報1913.11.28~1936.11.9YN-162
晨鐘1916.8~1918.9合訂本
益世報(北平版)1917.1.28~1948.12.25YN-179
啓明日報1917.6.17~1917.9.29YN-132
北京時報1917.7.9~1917.12.21YN-100
華文日報1918.12.1~1919.3.31YN-107
晨報1918.12~1928.6合訂本
民意日報1919.10.25~1920.12.31YN-130
北京日話報1919.12.5~1938.9.5YN-175
新華日報1920.7.1~1921.8.31YN-119
北京晩報1921.3.23~1924.2.29YN-109
新社会報1921.4.1~1922.1.27YN-102
東南日報1921.10.16~1922.5.31YN-95
晨報副鐫1921.10~1928.5合訂本
穆声報1924.12.26~1926.7.9YN-124
輿論1925.9.1~1925.12.31YN-133
世界晩報1926.5.1~1949.2.5YN-165
燕京大学校刊1928.9.14~1929.6.28YN-115
朝報1928.10.1~1928.10.31YN-140
全民報1928.10.24~1947.11.15YN-164
新中華報(マイクロ版)1928.11.24~1929.5.10YN-104
北平朝報1928.12.1~1929.5.20YN-139
華北医報1929.9.1~1931.8.11YN-108
導報1930.11.11~1937.7.31YN-163
北平晩報1931.6.18~1937.8.11YN-171
新北平1931.11.11~1938.5.31YN-172
平西報1932.1.21~1934.5.27YN-167
曙光報1932.2.15~1932.7.19YN-121
北平民治報1932.7.11~1933.8.6YN-94
北平老百姓日報1932.9.1~1935.8.31YN-97
燕京報1932.9.22~1933.5.26YN-120
軍事日報1932.10.10~1933.3.8YN-112
現代日報1932.11.11~1938.8.31YN-126
北辰報1932.11.24~1935.6YN-167
公安日報1932.12.17~1933.7.2YN-106
東方快報1932.12.21~1937.7.27YN-174
毎日評論1934.5.13~1934.10.28YN-177
新華日報1933.7.6~1933.10.27YN-118
実報1933.9.1~1945.9.21YN-212
燕京新聞1934.9.25~1948.12.6YN-176
正報1934.11.1~1934.11.30YN-131
京報快刊1935.10.1~1937.7.28YN-99
亜州民報1935.12.1~1937.8.7YN-168
大路報1936.1.1~1937.8.13YN-110
潮報1936.12.28~1937.7.2YN-122
大公報 北平晨報1937.7.4~1937.7.14原版製本
警察日刊1938.1.13~1938.2.28YN-127
新北京1938.6.1~1943.12.29YN-173
武徳報1938.9.15~1942.11.21/1943.1.1~1944.7.1YN-105
新中華報(刷新版)1939.2~1941.5刷新版
時事快報1940.2.18~1941.12.8YN-211
民衆報1940.2~1944.4YN-169
華北新報1944.5.1~1945.9.30YN-96
新民声1944.8.1~1945.8.16YN-178
明報1945.8.24~1945.12.11/1948.1.1~1949.2.14YN-111
新平日報1945.8.25~1945.11.2YN-117
正報1945.9.1~1945.12.5YN-143
国光日報1945.9.12~1945.10.12YN-144
時代日報1945.9.25~1945.11.6YN-126
中華民報1945.10.1~1947.11.27YN-98
北平戦闘日報1945.10.10~1945.11.9YN-128
紀事報1945.12.12~1947.12.31YN-113
国民新報晩刊1946.5.18~1946.10.26YN-116
人民日報1946.5~1990.12+YN-60
北平日報1946.8.15~1949.2.23YN-114
遊芸報1946.12.31~1947.1.17YN-123
民語報1947.4.6~1947.9.30YN-145
生生画刊1947.8.7~1948.3.28YN-129

|北平小報|1948.7.2~1948.8.31|YN-128

(1)1901年から1930年まで

この時期に出版された新聞では『順天時報』、『益世報』、『晨報』などが収蔵されており、そのうち演劇関連記事・広告が最も多いのは『順天時報』である。『晨報』は上演広告を掲載するものの、その頻度は高くなく、また、劇評などもほとんどみられない。

①『順天時報』(1905.8.22~1930.3.27)104リール*2

1901年10月に中島真雄によって創刊され、1905年3月以降、外務省の保護下に入る。以後、華北における最も権威のある新聞のひとつになった。主編は中島真雄が、編輯は平山武清、辻武雄、有留重刊、横山八郎などが務めた。そのうち辻武雄(聴花)は京劇通として知られ、1910年代以降、彼が担当した第5面には豊富な演劇関連記事が掲載されていた。

中国国家図書館所蔵のマイクロフィルムを購入したもので、1907年以前では欠号が多いが、それ以降に刊行された分についてはほぼ完全に揃っている。国内では慶應図書館のほかに国会図書館・東洋文庫・東洋大学附属図書館にも原版が所蔵されているがそれぞれ欠号が見られる*3

[欠号]

  • 1901年:10~12月
  • 1902~1904年:1~12月
  • 1905年:1月1日~8月21日、8月24~12月31日
  • 1906年:1月1~10・12~31日、2月1~2・4~13・16~20・22~26・27~28日、3月1~3・5~28・30~31日、4月1~4・6~21・23~30日、5月1~14・16~28・30・31日、6月1~8・10~30日、7月1~5・7~11・14~31日、8月1・3~9・11~31日、9月、10月1日~13・15~31日、11月、12月
  • 1907年:1月、2月1~16、8月9~11・13・14・16~18・20日
  • 1909年:2月3~6日、4月30日、5月1・2日、7月17・18・20・21日
  • 1910年:3月10日、10月1・2日
  • 1912年:10月31日、11月15日、12月9日
  • 1913年:1月5日、2月2・9日、4月14・19・20日、6月6日、7月1・15・18~20日、8月13・18~21日、9月25日、10月24日、12月27日
  • 1914年:2月14日、5月29日、6月2・17日、7月3~5・15日、8月5・14~16日、9月29日、10月11日、12月5・11日
  • 1915年:10月21日、12月31日
  • 1917年:7月13日
  • 1918年:2月10日
  • 1926年:12月26日

②『晨報』(1916.8~1928.6)影印本

1916年8月15日に創刊され、1918年12月まで『晨鐘』という名称で出版された。創刊には梁啓超・湯化龍・蒲殿俊などが関わり、李大釗が主編を務めた時期もあった。各時代による編集方針の変化が激しい。演劇広告はそれほど多くなく、しかも各面と面の合間に掲載されているので、非常に見づらい。

[欠号]

  • 1916年:8月21日、11月22日
  • 1917年:5月8・17日、6月11・23・24日、7月12・20~23日、8月1~5・10・15・16・21・23・28・29日、9月16・24日、10月28日、12月19・28日
  • 1918年:4月9日
  • 1919年:5月24日、6月1~3日
  • 1921年:11月12日
  • 1923年:1月6・19日
  • 1925年:7月21日、8月24日
  • 1926年:10月24日、11月30日
  • 1927年:1月2~5日、7月28日
  • 1928年:3月25日

(2)1930年から1938年まで

慶應図書館が所蔵する北京新聞はこの時期のものが最も多い。演劇関連記事・広告を最も多く掲載するのが『全民報』であるが、欠号が非常に多い。このほか『新北平』、『導報』、『実報』も文化欄に演劇情報を多く掲載している。

①『全民報』(1928.10.24~1938.8.10)45リール

1928年8月10日に張蔭梧の主導で、閻錫山軍閥の機関紙として創刊された。1930年10月以降に閻錫山との関係が切れ、もっぱら蒋介石支持の論調となった。日本軍による北平占領後は北平市政府の機関紙となり、作野秀一が社長に就任した。1938年8月10日以後、『新民報』*4に統合されたが、1947年6月15日に張興周によって復刊を果たした。同時期の新聞としては最も大量の演劇広告を掲載し、また文化面にも演劇関連記事が多く見られる。

[欠号]

  • 1928年:10月25・27~30日、11月1~28・30日、12月1~12・14~18・21~28・30日
  • 1929年:1月1・4~9・11~31日、2月1日~10月3日
  • 1932年:2月16・19日、4月20日、8月12日、9月5・10日
  • 1933年:2月9・13・23日、7月16日、10月10日、12月10日
  • 1934年:3月1~31日、6月30日、7月17日、8月31日、9月1~30日、12月9・19日
  • 1935年:3月18日、5月15日、9月1~30日、10月21日、11月7・24・26日、12月19日
  • 1936年:1月15・19・24・25日、2月10日、3月23日、6月2日、8月1・2・27日、9月2・9日、10月1日、11月2・15・18~20・23・26・29・30日、12月7日
  • 1937年:2月10日、4月10日、5月24日、7月30・31日、12月3・6日
  • 1938年:1月30日、3月25日、6月3日、7月4・8・30日、8月10日(→1938年8月10日~1947年6月14日『新民報』に吸収、その後停刊)
  • 1947年:6月15~26日、7月9・12・18・19日、10月1・19・24・29日、11月12日

②『新北平』(1931.11.1~1938.5.31)7リール

1931年10月10日に創刊。全4面の大衆向けタブロイド紙であるが、抗日の論調であったため北平陥落後に日本の機関に接収され、『新北京』と改名される。演劇広告は1933年10月ごろより第2面(社会面)において見られるようになる。また、第4面(副刊と称する)には演劇に関する記事がほぼ毎日見られる。例えば1936年には「一日一伶」というコラムで毎日様々な俳優を紹介していた。

[欠号]

  • 1931年:12月1・31日
  • 1932年:1月1日~8月8・12~14日、9月9・25日、10月2・16・20・25日
  • 1933年:1月5日、2月8日・24日、3月31日、4月3・11・16・24日、5月2・4・9・21・24・26・27・30日、6月5~7・15・23日、7月3・7・28日、8月16日、9月24~26日、10月9・13・14・23・31日、11月1日~12月31日
  • 1934年:1月1・13~15・23日、2月2・3・17・22・25~27日、3月11・20日、4月11・12日、5月6・14・20・21・25・30・31日、6月1・6日、7月3・24・26・28日、8月11・22日、9月2・24日、10月3・13日、11月4~6・8・10~16・18・23・25日、12月5・7・29日
  • 1935年:1月7・9・11・12・14・15・17・21・22日、2月20日、4月2・23・27日、5月3日、6月9日、7月17日、9月1日、10月5・7・10・16・21・24日、11月3・23日、12月31日
  • 1936年:1月4・17~20・23日、2月20日、3月18・19・21日、5月3・14・21・23日、6月11・24日、7月19日、10月3日、11月4日、12月11・13日
  • 1937年:1月4日、4月26・30日、5月25日、6月28日、7月4・6・10・12・17・23日、8月1日~10月19日、11月16日

③『導報』(1930.11.11~1937.7.31)31リール

『北京報刊史話』や『中国報刊辞典』には未掲載。マイクロ冒頭の解説によると、はじめ北平で創刊されたがまもなく停刊し、1930年5月9日に上海で復刊、その後1930年11月11日より北平に復帰したものである。全8面(1937年7月30日以後4面に縮小)で、演劇広告が豊富である。第5面の「曙光」という文化欄には演劇の記事も多い。

[欠号]

  • 1931年:6月27日、12月24日
  • 1933年:4月18日、5月7日、6月15・29日、7月20日、11月19日
  • 1934年:4月17日
  • 1935年:1月10・11・22・24・31、2月6~7・25日、3月16~17日、4月14~16・19~24日、5月4・7・8・23日
  • 1936年:8月2日、11月28日~12月8日
  • 1937年:2月12~15日、3月29日、4月25日

④『実報』(1933.9.1~1945.9.21)

後述。

(3)1938年から1944年まで

日中戦争が勃発すると、それまで北平で出版されていた新聞の多くが停刊を余儀なくされた。存続できた新聞もほとんどが日本軍の特務機関により買収され、プロパガンダに利用された。慶應図書館所蔵の新聞も1938年以前に比べると大きく減少する。演劇情報の収集に利用できるものは『新北京』、『実報』、『新民声』の3紙である。

①『新北京』(1938.6.1~1943.12.29)11リール

前掲『新北平』が日本の特務機関によって接収されたものである。体裁は『新北平』とほとんど変わらず、演劇広告も相変わらず豊富である。1944年の正月に『新民報』に吸収された。

[欠号]

  • 1940年:11月18日
  • 1941年:1月14日、2月19日、9月28日、12月22日
  • 1942年:1月4日、2月22日、3月29日、5月31日、6月8日

②『実報』(1933.9.1~1945.9.21)19リール(当館所蔵は5~19リール)

1928年10月4日に親日派ジャーナリストの管翼賢によって創刊された。その論調は親日的であり、盧溝橋事件が勃発した際も不抵抗を主張した。そのため、日本軍による北平占領後も論調、出版体制ともに変化はなかった。その後、管翼賢は華北政務委員会情報局局長に就任したため、何庭流が後を継いだ。1944年5月1日に『華北新報』に吸収されたが、日中戦争終結後に復刊された。

マイクロフィルムの第1巻を欠くため、冒頭の解説、欠号情報を見ることができないが、筆者が確認したところ1933年から1936年までの間、および1944年5月1日から1945年8月23日の間に大きな断絶があった。全4面(時に6面)のタブロイド紙で、演劇情報は第4面に掲載されている。

〔欠号〕(1944年)

1944年:1月2・25・26日

③『民衆報』(1940.2~1944.4)10リール

『武徳報』という体育教育新聞を発行していた武徳報社から出版され、『実報』の創刊者である管翼賢などが社長を務めている。1944年5月1日に『華北新報』に吸収された。全4頁のタブロイド紙である。演劇広告は第2面から第3面の間の折り目に当たっており、非常に見づらい。

[欠号]

  • 1940年:7月7~27・29日、8月13・22日、9月3・4・13・16・18・23日、10月3・13・22・26・28日、11月2・3・5・8~10・13・19・23・26日、12月3・13・24日
  • 1941年:1月13日、3月28日、9月13・14日、12月13・29日
  • 1943年:1月6・9・24日、2月1・3・9・20日、3月20・24日、4月16・18日、5月19・25・29日、6月13・15日~10月2・4~6・8~18・20・23~29・31日、11月1~30日
  • 1944年:3月10日~4月9・12・13・15~25日

(4)1944年から1945年まで

1944年5月1日以降、北平の全ての中文日刊新聞は『華北新報』に統合された*5

①『華北新報』(1944.5.1~1945.9.30)3リール

1944年5月1日に北平の『新民報』、『実報』、『民衆報』及び天津の『庸報』、『新天津報』を統合して北平で創刊された新聞である。社長は当時華北政務委員会情報局局長だった管翼賢、副社長は大川幸之助、編輯および発行人は張道本であった。日中戦争終結後もしばらく出版されたが、まもなく停刊した。第2面に演劇広告を載せる。欠号は見られない。

(5)1945年から1949年まで

日中戦争終結とともに多くの新聞が創刊、復刊された。慶應図書館に所蔵されるこの時期の北京新聞は21紙に上るが、その多くは比較的短い期間で停刊している。この時期では『紀事報』、『明報』、『北平日報』が比較的多くの演劇広告を掲載する。

①『紀事報』(1945.12.12~1947.12.31)4リール

②『明報』(1945.8.24~1945.12.11,1948.1.1~1949.2.

14)3リール

『紀事報』は1937年9月24日に天津で国民党による地下新聞として創刊された。1939年8月21日に休刊したが、1945年8月8日に正式な新聞として北平で復刊し、名称を『明報』と改める。社長は孔效儒、主筆は王葆楨、総編輯は顧建平、発行人は高仲明であった。1945年12月12日に名称を『紀事報』に戻したが、1948年1月1日に再び『明報』に変更した。1948年6月19日から9月30日まで休刊。共産党の北平入城後は共産党の発布した法令などを載せるが、1949年2月14日に廃刊となった。全2面から4面のタブロイド紙で、第2面に演劇広告を掲載し、1946年3月以降、その件数が格段に増加する。

[欠号]

  • 1945年:8月26日、9月20・26日、10月20日、11月4・29日、12月1日
  • 1946年:4月5日
  • 1948年:6月18日
  • 1949年:1月1・8・14・17~31日、2月2・10~12日

③『北平日報』(1946.8.15~1949.2.23)3リール

1937年に休刊した『北平晩報』が1946年に復刊されたもの。全4面のタブロイド紙で、演劇広告は非常に簡単なものである。欠号はない。

(6)1949年以降

共産党の北平入城後しばらくすると、多くの新聞は休刊に追い込まれた。慶應図書館に所蔵されている49年以降の新聞は『人民日報』1紙のみである。『人民日報』には1966年10月まで演劇広告が掲載されている。

①『人民日報』(1946.5~)

中共中央晋冀魯豫分局の機関報として1946年5月15日に河北省邯鄲で創刊された。社長は張磐石、総編輯は袁勃であった。1948年6月15日に中共中央晋察冀分局の機関紙である『晋察冀日報』と合併し、中共中央華北局の機関紙となる。1949年3月16日より演劇広告を掲載する。

4.北京史研究に有用な新聞

慶應図書館所蔵の北京新聞は民国期の演劇研究のみならず政治、社会あるいは文芸を研究する上でも当然のことながら有用な資料である。筆者の専門とする歴史学の立場から見ても史料的価値が高いと思われるものが多く存在する。以下、そのような新聞を数点紹介する。なお、欠号、巻数情報は省略する。

①『益世報』(1917.1.28~1948.12.25)

1915年10月1日に天津で天主教会によって創刊される。創刊者は雷鳴遠(Vincent Lebbe)である。その後天津においては『大公報』と並び称されるほどの大新聞に成長し、昆明、重慶、西安、上海、北平などでも発刊される。『益世報』の北平版は慶應図書館が所蔵する北京新聞のなかでは最も長い期間をカバーしている新聞であり、史料的価値も高い。ただし、日本占領時期など長期に亘る休刊も目立つ。

②『東方快報』(1932.12.21~1937.7.27)

1932年に創刊。出版背景については不明。全8面で、国内外記事がともに充実している。北京に関する記事は内容に応じて「本市新聞」、「教育与体育」、「経済新聞」の各欄に分けられ掲載されている。欠号が少なく、印刷も鮮明であるため、利用しやすい。

③『北京白話報』(1919.12.5~1938.9.5)

④『北京晩報』(1921.3.23~1924.2.29)

⑤『世界晩報』(1926.5.1~1949.2.5)

⑥『北平晩報』(1931.6.18~1937.8.11)

⑦『北平老百姓日報』(1932.9.1~1935.8.31)

以上5紙はタブロイド紙であり、記事の量も少ない。しかし、民衆の嗜好に迎合した記事も多く見られ、また、時には大新聞がとても取り上げないような市井の些事も掲載している。こうしたタブロイド紙は庶民に好んで読まれていたため、発行部数は非常に多く、当時の庶民がどのような記事を読んでいたのかを考える上で貴重な史料であると思われる。

5.おわりに

以上のように、20世紀前半北京における演劇関連情報を収集する上で慶應図書館所蔵の北京新聞は非常に有用な資料である。今後、系統的に演劇関連記事・広告の抽出、整理作業を続けていく必要があろう。

近年、中国の新聞・雑誌のマイクロフィルムは購入が比較的容易になっている*6。そして日本の大学や研究機関がそれらを購入する例も増えているが、収蔵情況の把握が困難な情況にある。研究の効率化を図るうえでも、そうした情報の共有化は必要であろう。

 
 

*1 慶應義塾図書館三田メディアセンターは旧館、新館の2つの図書館によって構成されている。
*2 ( )内は慶應図書館の所蔵分を示している。
*3 アジア経済研究所編『中国文雑誌・新聞総合目録』アジア経済研究所、1986年、677頁。
*4 『新民報』は日本の華北統治のために設立された政治組織である新民会の機関紙で、1938年1月1日に『世界日報』と『世界晩報』を改組して創刊された。社長には武田南陽などが就任した。1944年5月に『華北新報』に統合されるまで、北平の多くの新聞を吸収した。
*5 半月刊新聞では『新民報半月刊』を引き継いだ『新民声』が出版されていた。
*6 例えば北京の全国図書館文献縮微複製中心は、1949年以前に中国国内で出版された新聞、雑誌などをマイクロフィルム化し、国内外に向けて販売している。すでに『1861~1949 中文報紙縮微品目録』(1)中国書籍出版社、1993年などの目録がある。