北方芸能プロジェクト成果報告/2004年度山西・北京寺廟調査報告

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2004年度山西・北京寺廟調査報告

二階堂 善弘

前言

2004年8月23日~9月4日における中国への調査旅行において、その前半日程については山西省南部の廟宇を、後半においては北京の若干の寺廟を訪れることができた。山西の解州の地は、関帝の郷里とされ、関連の廟が多い。また壁画で有名な永楽宮も近くに位置する。本報告では、これらの廟について若干の報告を行いたい。

1.二つの関帝廟――解州関帝廟・常平関帝廟

関帝は、関聖帝君の略であり、言うまでもなく三国の武将関羽が神格化されたものである。その信仰は現在では儒教の孔子、仏教の観音と比肩するほどであり、中華を代表する神と言えるほど盛んなものである。顧炎武や趙翼などの文人が、中国全土に普遍的な信仰を、やや行き過ぎたものと嘆いているが、現在でもその状況はあまり変わらないと言えよう。現在でも「武廟」「関帝廟」と呼ばれる廟は中国の全土に存在し、シンガポールやマレーシア、はたまた日本の横浜と神戸に見られるがごとく、アジア一帯に広範囲にわたって存在している。

その中でも、解州にある関帝廟は無数に存在する廟の中でも一際異なった、特別な存在である。何故なら解州は関帝の出身地であり、そのためにこの廟こそが「祖廟」と見なされるからである。関帝信仰のそもそもの源流はこの解州の土地にある。関帝信仰を知る上では、洛陽の関林と並んで最も重要な廟であると考えられる。

解州塩池

ところで、解州の関帝廟は実は二箇所ある。一つは祖廟とされ、広大な規模を持つ解州関帝廟、もう一つは関帝の家廟とされる常平関帝廟である。双方の廟の位置はそれほど離れてはいない。さらに解州には、関帝信仰に絡む有名な塩池がある。

そもそも、六朝期から唐代までは関羽を神として重んじた記録がほとんど無い。僅かに隋代の天台智顗に絡んだ説話があるが、これも何時頃からの説話であるのか判然としない。北宋代になってようやく、関羽を神として扱う記録が現れるようになる。その起点となるのが、張天師の命によって塩池に害をなす蚩尤神を退治するというものである。その説話が広まってより、関羽は駆邪の神、すなわち道教における元帥神として知られていく。その後、崇寧真君、義勇武安王と位階を上げ、明末には関聖帝君として祀られることになった。

この解州関帝廟の創建年代は、伝承によれば隋の大業年間のことであるという*1。しかしこの年代はやや早すぎるきらいがある。顔清祥氏の指摘によれば、北宋の哲宗元祐七年に知州の張杲が修建したとの碑文が残されている。恐らく北宋代には存在していたと見なしてよい。しかし、解州の関帝廟がそれなりの規模を擁するようになったのは、金から元にかけて幾度かの重修を経てからのことと思われる*2。また現在見られる建物の多くは清代に改築されたものである。

広大な面積を擁する廟の前には、まず鐘楼と鼓楼が聳える。次に端門があるが、これは明代の遺構とされる。端門の前には、衆と呼ばれる三本の鉄柱が交わったものがある。また傍らには明の万暦年間の造になる鉄の獅子が置かれている。

鐘楼と鉄獅子
鐘楼と鉄獅子

さらに中には、稚門と午門があり、それらを抜けて本殿である崇寧殿に至る。崇寧殿の前には御書楼があり、さらに奥殿として、春秋楼がある。御書楼は康煕帝の御書があるためにそう呼ばれる。康煕四十二年の建になる。崇寧殿は関帝を祀る本殿であり、康煕五十七年に建立された*3。ここには、青龍刀と印を配した刀楼と印楼がある。

牌楼と午門
牌楼と午門

常平関帝廟は、解州関帝廟よりそう遠くないところに位置する。伝承によれば、ここには関羽の故宅があったとされ、そのために家廟と称される。

創建年代はこれも隋代と称するが、廟宇が営まれたのは金代からであろう。但し、現在残る建築物のほとんどは清代のものである。

廟内の建築には、山門・儀門・崇寧殿・娘娘殿・聖祖殿などがある。こちらも同じく関帝を祀る崇寧殿を本殿とする。ただ全体の規模はそれほどのものではない。常平関帝廟では、関帝の眷属などを祀ることが多い。聖祖殿には、関帝の祖とされる関龍逢を祀り、また娘娘殿では関夫人を、さらにその両脇の太子殿には子の関平と関興を祀る。

崇寧殿及び春秋園
崇寧殿及び春秋園
常平関帝廟

なおこの廟の前方に、現在数十メートルにわたる巨大な関帝像を造ろうとする計画があるが、やや俗に過ぎるものになるかもしれない。

関帝の伝説とは別に、解州の塩池には独自に神があった。現在でも塩池を一望できる所に解州池神廟が残っている。すなわち塩池神を祀る。

かなり規模の大きい廟であるが、前方は派出所になっており、また訪れる者も少ない廟であった。しかしその来歴からすれば、関帝廟に劣らず古く、唐代から祭祀されていたものである。その格式も高かったようで、『元史』成宗本紀によれば、媽祖神や伍子胥神と並んで、この解州塩池神が封じられており、「広済」との号が与えられている。

解州池神廟

2.元代壁画――永楽宮

永楽宮は、元の名を純陽万寿宮といい、全真系の道観である。その創建は元の憲宗の時代であるが、その後は信仰が衰え、存在が忘れられていた。1950年代になって、三門峽ダムの建設に伴う調査によってその価値が明らかになり、ダムによる水没を避けて芮県の北に移築されることになった*4

広大な面積を持ち、山門・龍虎殿・三清殿・純陽殿・重陽殿などの建築がある。建築もさることながら、殿宇内に描かれた壁画は、古今無比と言えるほどの価値を有するものである。

特に三清殿の壁面に描かれる道教神のパンテオンは重要である。南極長生大帝・太乙救苦天尊・三十二天帝君・二十八宿・北極紫微大帝・北極四聖などの姿は、宋元代の道教経典の記載と一致するものが多い。

元から明末にかけて、道教の神々はその姿を大きく変えていったが、ここには元代の神体系がそのまま残されている。これは後世と異なるものも多い。例えば、五星のうち金星は、後世では『西遊記』に登場する太白金星のごとく、白髪の老人と想定されることが多い。しかし永楽宮三清殿の五星のうち、水星と金星は女性の姿で描かれる。金星を司る神については、西洋ではイシュタル神やヴィナス神などの女性神とみなすことが多いが、永楽宮に描かれる金星像はむしろそちらに近い。また雷公などの姿もやや異なっている。いずれにせよ、大変貴重なものである。

永楽宮純陽殿

3.北京寺廟散見――火神廟・碧霞元君廟・八大処・白雲観など

北京においては、かつての寺廟がどんどん復興しつつあり、また幾つかの寺廟では拡建が行われている状況にある。

まず火神廟である。かつて北京では花市の火神廟をはじめ、幾つかの火徳真君廟が存在した。北京で多かった火事を防ごうとしての祭祀であったという。そのなかの一つ、地安門外の火徳真君廟は、現在修復が行われている。明万暦と清乾隆年間の重修であり、什刹海を望んで南面して建つ*5

次にこれも修復中であったが、石景山区の八大処に近い所に、碧霞元君廟があった。

碧霞元君廟

往時の北京においては、碧霞元君の信仰は甚だ盛んであり、俗に「五頂」と称された*6。碧霞元君は東嶽大帝の娘と考えられていた女神で、南方の媽祖と拮抗する形で、北方では盛んな信仰があった。現在、北京の碧霞元君の多くは残っていない。この碧霞元君廟は、石景山の中腹において修復されていた。ただ場所自体は工場の敷地内であり、ほとんど訪れる参拝客も無いような状況である。

石景山区にある西山八大処は、現在でも夥しい数の参拝客が訪れる場所となっている。八大処とは、一処長安寺、二処霊光寺、三処三山庵、四処大悲寺、五処龍泉庵、六処香界寺、七処宝珠洞、八処証果寺という、幾つかの寺を総称して呼ぶものである。実際には、それぞれの寺の創建年代や、八大処となった由来はかなり異なっている。

二処霊光寺

このうち、歴史が古く、まだ現在でも信仰の中心となっているのは、二処の霊光寺である。元来は唐代に建てられた龍泉寺がもとで、遼の時代に塔が建てられた*7。しかし義和団の変のさなか、1900年に八国連合軍の手によって破壊された。その後復興されたようで、現在の建物は比較的新しいものが多い。遼の塔は、その基台のみが残されている。

この塔には、800年間の長きにわたって、仏牙と舎利が収められており、清代に修復のおりにそれが発見されることになった*8。伝によれば、スリランカから伝えられた仏舎利は、于を経て南朝の斉に伝えられ、その後隋朝からは長安に伝えられた。五代の兵乱を受けて、仏舎利は遼国に伝えられ、この塔に収められることになったとのことである。むろんこれは、あくまで伝承として考えておくべきであると思われる。その後1964年に新しい塔が建設され、仏牙舎利はそこに安置されている。

北京の白雲観においては、東側の殿宇が2000年以後に重修されている。今回の訪問で、はじめてこれらの殿宇を確認することができた。三星殿・慈航殿・真武殿・雷祖殿などである。

白雲観真武殿

真武殿は真武大帝を、雷祖殿は雷声普化天尊を祀るもので、かつての殿宇が復興されたものである。但し、三星殿は元来は華陀などを祀る華祖殿であり、慈航殿は火徳真君を祀る火祖殿であったはずである*9。いま三星殿は福禄寿三星を、慈航殿は慈航道人、すなわち観音菩薩を祀るものに変えてしまったのは、一般の信仰の変容によるものとはいえ、些か軽率に過ぎる行為ではないだろうか。


*1 『解州関帝廟』山西人民出版社2002年、15頁。
*2 顔清祥『関公全伝』台湾学生書局2002年、260頁及び302頁。
*3 前掲『解州関帝廟』、28頁及び46頁。
*4 舒恩編『永楽宮』山西人民出版社2002年、1~2頁。
*5 『北京名勝古跡辞典』北京燕山出版社1989年、115頁。
*6 敦崇編・小野勝年注『北京年中行事記』岩波書店1941年初版、97~103頁。
*7 黄春和編『西山八大処』華文出版社2002年、27~28頁。
*8 前掲黄春和編『西山八大処』41~43頁。
*9 李養正編『新編白雲観志』宗教文化出版社2003年、85~92頁。