『都市芸研』第六輯/2007年夏期陝西皮影戯現地調査要録 のバックアップ(No.1)


2007年夏期陝西皮影戯現地調査要録

川 浩二・千田 大介・山下 一夫

1.はじめに

2007年度夏期調査の概要を、芸人へのインタビューおよびインフォーマントから提供された資料などに基いて以下に纏めておく。なお、以下の内容は主にインタビューによって得られた知見をまとめたものであり、文史資料・新編地方志その他先行文献資料の記述とのつきあわせは必ずしも行っていないので注意されたい。

2.西安碗碗腔皮影戯(旧徳慶皮影社)

(1)上演情報

a)日時

2007年8月24日

b)場所

西安・天域凱莱大酒店

c)劇団

旧徳慶皮影社

  • 唱・月琴:李世傑(73)
  • 板胡:夏鈞栄(65)
  • 二弦:聶四季
  • 梆子・碗碗:李宏博
旧徳慶皮影社

d)上演演目

《金婉釵・大審》、《王允献連環》、《金婉釵・借水》

(2)インタビュー要録

a)劇団の沿革

1951年、西安市内の北大街に碗碗腔皮影戯の劇団として徳慶皮影社が設立される。劇団の名称は、中心メンバーであった謝徳竜と石隆慶の二人の名前に由来する。ところが石隆慶は程なく喉を壊して離脱。謝徳竜が社長、盧成福が副社長として劇団を運営。社員は多くが渭南碗碗腔皮影戯の出身であった。『沙家浜』などの「現代戯」や、『逼上梁山』など「整理改編」を経たもの等、いずれも党の方針に沿った演目を上演。

1956年には陝西省戯曲研究院が碗碗腔皮影戯の「人戯化」の実験を行おうとしたが、謝徳竜が同意しなかったため実現しなかった。1959年、北京で開催された全国皮影匯演に参加。文化大革命が始まると解散を命じられる。

1985年、謝徳竜逝去。1997年に文化局の主導で徳慶皮影社が「復活」したが、名前は同じでも内容は全く異なっており、旧徳慶皮影社メンバーは自分たちの後継団体であるとは見なしていない。

b)李世杰氏の経歴

1934年生まれ。7歳より陝西省渭南県信義郷上太荘の皮影戯芸人であった父・李映愷(1995年に91歳で逝去)について皮影戯を学び、12歳の時に初めて舞台に立つ。1951年に徳慶皮影社に参加、1954年には“前首”となり、文化大革命による劇団の解散まで担当。1984年、陝西省戯曲研究院の所属となり、碗碗腔を教える。1996年、張芸謀の映画『秋菊の物語』で碗碗腔の演奏を担当。現在、陝西省戯曲研究院に所属(退休)。

インタビュー風景

c)旧時の上演

解放前、渭南には十以上の皮影戯班があり、慶事や廟会で上演を行っていた。廟会は竜王廟・関公廟・観音廟などさまざまな寺廟で行われ、関公廟では関公戯を、観音廟では菩薩の本事を演じた。これら“神戯”や“鬼戯”を行う廟会上演は解放後次第に禁止されていった。また、上演契約に際して“合同”は作成せず、班主が顧客と口頭で行った。

d)上演地域

西安市を中心とした陝西省だが、外地にも赴いた。

e)レパートリー

李十三の“十大本”など。劇本は“口伝心授”による。

f)戯価

徳慶皮影社は党の組織の一部であったため、団員には一定の給与が出ており、戯価という形での交渉は無かった。

g)祖師爺

関公

3.千陽灯盞頭碗碗腔皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2007年8月25日

b)場所

陝西省千陽県南寨鎮宣伝文化活動中心

c)劇団

千陽灯盞頭碗碗腔皮影演出団

  • 唱・平鼓:李貴傑(78)
  • 笛子:張友誠(65)
  • 唱・鐃:成宝玲(65)
  • 板胡:張徳財(60)
  • 灯盞頭:斉存譲(62)
  • 月琴:斉長潤(71)
  • 挑線:謝紅麗(36)

d)上演演目

『香山還願』、『遇良橋・送子選段』

千陽インタビュー風景

(2)インタビュー要録

上演に先立ってインタビューを行った。インフォーマントは李貴傑氏を中心に劇団全員。同席した文化局の係員が代わりに答えるシーンも目立った。また、劇団員各氏は解放後、1950年代以降の状況については知っているが、解放前の状況については詳しくなかった。

なお、灯盞頭碗碗腔皮影戯に関しては、千陽県文化局がまとめた『灯盞頭碗碗腔概述』(以下『概述』)があるので、それに基づいて補足した。

a)起源

千陽県南寨鎮南寨村斉家背後が発祥地。

※『概述』によると、発祥時期は2~300年前、清末から1930年代が最盛期で、鳳翔・宝鶏・隴県、甘肅省の霊台・平涼などに伝播したという。名称からして華県一帯の碗碗腔皮影戯との関連が窺えるが、両者の関係を示す伝承はないようである。

※『概述』によると、文革後に成立した県劇団は、1990年代に一度途絶えている。今回調査した劇団は、2003年に老芸人を集め人材育成して組織したもの。

b)李貴傑氏の芸歴

灯盞頭碗碗腔の著名な芸人であった斉宝魁の弟子。もともと秦腔の役者であったが、1959年から斉について勉強し、二十数歳で初めて皮影戯を演ずる。当時、かれの入った皮影劇班は“斉宝魁班”と呼ばれた。文革が始まってからは演じなくなった。

灯盞頭

c)著名芸人

斉宝魁が最も著名。斉宝魁は主に民国期から文革前にかけて活躍。

※『概述』によると斉宝魁の生没年は1894~1984。斉宝魁の表記は、文献により保魁・保奎など一定しない。『概述』に従う。

当時、皮影戯班は戯箱の名で斉宝魁班などと呼ばれた。

50年代、斉宝魁班の他に、沙奴娃班・柳家鼠班・馮万栄班など十数劇団があった。

d)上演地域

50年代は専ら千陽県内でのみ上演していた。解放前は、鳳翔・宝鶏・隴県・霊台・平涼などにも上演に赴いていた。

e)レパートリー

伝統劇目には『香山還願』・『審壇子』などがある。なお、『双地獄』は劉全進瓜故事を演ずる。

※会場に掲示されていた紹介パネルによると、『万福蓮』・『王宝和番』・『金碗釵』・『玉山聚義』・『剪紅灯』・『五鼠鬧東京』・『哪吒鬧海』・『双親四官』・『状元祭塔』・『双地獄』などがある。

現代劇は上演したことがない。解放後も伝統劇を上演していた。『封神演義』ものは無かった。観音故事には『香山還願』がある。

千陽灯盞頭碗碗腔皮影戯上演風景

f)上演文脈

李氏によれば、廟会での上演は無かった。蓋房子などの際に上演される。

g)台本

暗記する。成宝玲氏は5~6本戯を覚えている。

h)戯価

50年代は20元前後。解放前については分からない。

i)上演時期

農民が業余で演ずるため、農閑期の上演が多い。

j)祖師爺

なし。

k)影人

購入する。千陽県城西の侯家坡に影人を彫刻する農民がいる。

l)人戯化

1959年に灯盞頭碗碗腔の人戯が作られる。県劇団はまだ存続しているが、秦腔劇団に変わっている。

4.商洛白家山村道情皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2007年8月26日

b)場所

商洛白家山村

c)劇団

商洛白家山村皮影楽隊

d)上演演目

《封神榜・三関》

商洛白家山村皮影楽隊上演風景
商洛白家山村皮影楽隊上演風景

(2)インタビュー要録

a)劇団の沿革

白根勝は解放直後に19歳で皮影戯の学習を始めた。学校には通っていないため、文盲。商洛白家山村皮影楽隊はかれの一族で組織している。武聖廟(関公廟)・火神廟・五神廟などの廟会上演や、慶事上演を中心に活動。

b)上演地域

商洛市(地区)が中心。

c)レパートリー

『大鬧天宮』、『香山還願』、封神榜故事、楊家将故事など。※韓湘子故事は行われていない。

d)劇団の構成

  • 唱:白根勝(72)
  • 喇叭:白鉄勝(63)
  • 鐃:白安治(58)
  • 笛子:白喜善(55)
  • 扦子:白安良(42)
  • 板胡:白思慶(60)
  • 板胡:白水牛(52)
  • 水子:白連鋒(33)

e)祖師爺

なし

f)音楽

幇唱を行い、また漁鼓と簡板も用いる。

g)由来

明末に“白米虫”という“流浪漢”がこの地に道情皮影戯をもたらした、とされている。

5.商洛磨溝村道情皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2007年8月26日

b)場所

商洛磨溝村

c)劇団

商洛磨溝村皮影戯隊

d)上演演目

《黒水河》

磨溝廟村皮影戯隊上演風景
磨溝廟村皮影戯隊上演風景

(2)インタビュー要録

a)劇団の沿革

磨溝廟村皮影戯隊は1970年代からある民間劇団(50年代に県人民政府が組織した商県皮影社とは関係がない)。近年、張文強(享年80)、楊啓金(享年86)などの老芸人が相次いで逝去し、危機的状況にある。本来は7~8人で上演するはずが、当日も4人のみで行った(そのため、本来あるはずの漁鼓・簡板も用いなかった)。現在の団長は王建良で、1977年(18歳のとき)、磨溝廟村皮影戯隊の王彦杰に弟子入りした。劇団で用いる影人は自分たちで製作している。1980年代には還願戯の上演が多く、また廟会上演も行う。現在は慶事上演が主。

磨溝廟村皮影戯隊インタビュー風景

b)上演地域

商洛市(地区)が中心。

c)レパートリー

20~30ほど。韓湘子故事、封神榜故事のほか、『山花姑娘』、『一文銭』など。

d)劇団の構成

  • 提門:王建良(47)
  • 板胡:薛明学(74)
  • 板胡:范文哲(53)
  • 管箱:王更深(52)

e)戯価

1970年代は13~15元、1980年代は200~300元、2000年以降は600元を超えた。

f)祖師爺

なし。ただし、現在上演前に観音(生子娘娘)を拝している。

g)音楽

幇唱はあるが、当日は漁鼓と簡板は用いていなかった。

h)由来

昔、名前は忘れたが、ある“流浪漢”が当地に道情皮影戯をもたらしたとされている。

※“白米虫”のことを指すものと思われる。

6.周至県弦板腔皮影戯

(1)上演情報

a)日時

2007年8月27日

b)場所

陝西省周至県王家河村

c)劇団

周至県西秦木偶皮影芸術団

  • 演出・喇叭:朱彦斌(64)
  • 操作:張富堂(65)
  • 二胡・操作:趙巨水(57)
  • 司鼓・打板:馬志超(73)
  • 二胡・釘鑼:朱彦勛(76)
  • 板胡:馬満堂(59)
  • 二胡:王平全(56)
周至県収蔵協会にて。左が韓明徳氏

d)上演演目

『張奎破澠池』(『封神演義』より)

(2)インタビュー要録

インフォーマントは劇団の各氏。

a)劇団の由来

同劇団は実質的には業余芸人で構成されていた「周至県広済鎮西歓楽皮影劇団」が母体となっている。周至県には本来皮影戯・木偶戯それぞれの県劇団があったが、それとの直接の継承関係はない。劇団はいずれも80年代に活動停止、20年来劇団が存在しなかった。2006年に韓明徳氏が出資して芸人を集め、劇団を組織して2006年5月1日に周至県城で上演した。

※韓明徳氏は周市県収蔵協会会長で、文化財取引によって財をなした人物。

b)上演地域

劇団成立以来、西安市・戸県・洛南県などで上演。

※旧時の上演地域は礼泉県弦板腔とほぼ重なる。

c)レパートリー

台本は古い台本から写したもの。伝統演目70、現代劇10ほど。かつて、礼泉県の弦板腔皮影戯と台本の交換をした。このため礼泉県と周至県の弦板腔のレパートリーは全く同じである。

周至県西秦木偶皮影芸術団上演風景
周至県西秦木偶皮影芸術団上演風景

d)芸歴

馬志超

60年代に礼泉県で皮影戯を学ぶ。そのころ周至県周辺には孟家村・西歓楽・朱家査の三つの劇団があったが、西歓楽はすでに活動が半停止状態になっており、馬氏がかつて孟家村の有名芸人であった候三を招いて教えを請い、朱家査の杜智才らとともに上演することになった。候三の没後、その台本を受け継いだ西歓楽は伝統劇70、現代劇10ほどのレパートリーを得るに至るが、文革後には没落、劇団は活動停止におちいっていた。

馬満堂

60年代に周至県馬召鎮から西歓楽に参加し、候三に皮影戯を学ぶ。

周至県西秦木偶皮影芸術団と

e)戯価

60年代には8元から10元。

f)祖師爺

なし。

g)上演地域・文脈

周至県城を中心に周辺各地から要請を受けて上演。

h)旧時の習俗

文革後80年代までは年間数十回上演していた。皮影戯は専ら夜に演じられ、もっとも上演が多かったのは小麦の収穫後の7~9月。廟会でも演じていた。

i)上演形式

台本を見ながら演ずる、「翻書影」形式。4から6人で操作と演奏を行う。当地では「四人忙」と称し、一人が複数の楽器を担当することもままある。

j)影人

県劇団で用いられていたものと他地域から購入したもの。影箱(人形のセットではなく箱そのもの)は県劇団で使われていたもの。

k)音楽

弦板腔。

l)舞台

皮影戯専用ではなく、木偶戯も上演できるもの。鉄パイプの組み立て式で、影幕は地上から1メートル以上の高さになる。