北京プロジェクトⅠ成果報告/影巻に見る武侠小説 のバックアップ(No.1)


影巻に見る武侠小説~資料紹介

岡崎由美

近代中国武侠小説は、1923年から上海の『紅雑誌』に連載された平江不肖生の『江湖奇侠伝』を本格的長編武侠の嚆矢として、30年代、40年代の時局の悪化の中でも創作が続いた。その後、新中国が成立すると、武侠小説は発禁の対象となり、1980年代、梁羽生や金庸といった香港産の新派武侠小説が解禁になるまで、ほぼ30年間大陸においては武侠小説の空白時期があった。しかし、一部の伝統芸能が文革中も公の目を盗んで上演されつづけていたように、武侠小説も刊行こそ禁止されたものの、やはりこうした伝統芸能に依拠して、細々と伝えられていたのである。ここでは、機会があって目睹した皮影戯の脚本の中から、禁書時期における武侠小説の流伝状況の一例をノートしておきたい。

一. 『鷹爪王』 線装抄本 全31本

第5本封面に「六三年四月廿四日抄峻」の書写。第17本封面裏に「癸卯五月」。第20本封面に「癸卯年五月一日抄」。第26本封面に「一九六三年四月一日」。また、第17本と第22本封面に「孫耀卿編」と書写している。

『鷹爪王』は、元来、鄭證因(1900-1960)が1941年から北平の『369画報』に連載した全73回の小説で、旧派武侠小説の代表格の一つとされている。ストーリーは、清の嘉慶年間、捻軍の戦乱が激しかった頃、鷹爪王と異名をとる淮陽派の掌門王道隆が武林の達人を率いて、猖獗をきわめる鳳尾幇と対決し、その本拠地十二連環塢を瓦解させる経緯を描く。

本皮影戯脚本は、鄭證因の『鷹爪王』を前提にしたものであることは間違いないが、物語自体は、原作の事件から約40年後、鷹爪三侠と呼ばれる鷹爪王の三人の弟子と女侠雲秀英、唐賽花らが、捲土重来を期す鳳尾幇と対決するというもので、いわゆる外伝を作ったといっていいだろう。原作で五十代であった鷹爪王はすでに齢九十を超す老人である。鷹爪王の弟弟子万柳堂など原作の登場人物も顔を出すが、鳳尾幇は龍頭鳳尾幇となっており、峨眉派の掌門九子鬼母が雲南の苗疆で復興したとの設定になっている。この九子鬼母の人物設定は、旧派武侠作家朱貞木の『蛮窟風雲』(1948年刊)に登場する、雲南苗寨に一派を率いる九子鬼母を借りたものとおぼしい。

【冒頭】
出白髯二童后站 当年大破连环坞 战败对头武维扬。 老父鹰爪王王道隆幼受名人传艺,练得一身鹰爪力个样惊人武功。当年大破龙头凤尾帮,战败天南逸叟武维扬之后,多年隐居,现今年过九旬,一生教了三个徒儿,大弟子名叫邺天章,绰号钻云神吼,二弟子沙天龙,绰号碧眼金蝉,三弟子云天彪,人称赤胆侠闪电飞虹。他三人俱有绝艺武功,特有三弟子云天彪,有拳剑钉三绝艺,闪电飞虹行提纵术各种惊人武功,当此可算压倒南七北六,天生侠肝义胆,视恶如敌,因他弟兄作出多少杀恶济世惊人之事。人称鹰爪三义。前者我听了一个飞信以竟传出叫他三人前来。 上邺沙白红三尖鸡尾巾 师父在上弟子拜揖。」坐了。」徒儿告坐。」天章天龙你二人来的正好,为师正在愁闷。唱 为师我 正思量 因你三弟 天彪子扬 生来性刚烈 最恨恶豺狼 杀些赃官污吏 斩些恶霸豪强 我恐怕终久受了恶人害 (我想着叫他少)作些一庄。」沙天龙」邺天章」口尊恩师 细吁衷肠 只因我三弟 天彪云子扬 见恶如同仇恨 济贫义胆侠肠 (若叫他少作除)暴安良事 只怕难拦这一桩」镇南侠 武彦章 前者见他说其详 如今那一个 龙头凤尾帮 现在云南之地 苗汉集居地方 为首之人有两个 一男一女武功为强 有飞声 来此方 我咱师徒 见个弱强 还有天彪妹 云秀英姑娘 他们结交官府 作事恨如豺狼 师父这龙头凤尾帮为首男女二人是谁 (谢容翘绰号叫)作(九子鬼母)峨嵋派是他掌门墙 岳鸣宵 总舵帮 武林人称 镇海魔王 二人俱有那 绝艺武功强 那个九子鬼母 是个恶淫婆娘 不但身有惊人艺 阴谋鬼诈人难防 师徒三人正讲话。 上黑净罗帽柳堂被双剑 外面进来云子扬。 白 师父在上,弟子云天彪拜揖。」免。」大哥二哥可好。小弟拜揖。」三弟由何而来?」由寨而来。 髯 子扬来的正好。为师与你两个兄长正议论与你。」恩师传出叫弟子前来。不知与我二位兄长议论弟子什么?」前者镇南侠武彦章向为师说,云南峨嵋派龙头凤尾帮的魁首九子鬼母谢容翘与镇海魔王岳鸣宵以及那些牙爪想要到北方,看来与咱们作对。」师父峨嵋派龙头凤尾帮乃是害人恶魔,想要来到北六省,与咱们作对却要怎样?」他们多半杀你,要你从今以后少露些面目。」少献些身手。」却因何故?」因为那九子鬼母与岳鸣宵都有惊人武功,还有一群牙爪,那淫妇九子鬼母不但有绝艺武学,更有难测鬼诈奸谋在勾结官府,恐你受他们的暗算。」师父些言差矣。唱 (云天彪闻听师)父这些话 连说差矣把话说 恩师原谅弟子我 恕徒儿的幼(无知言语 狂) 子扬有话说来 若看恩师这样讲 弟子就得隐田桑 奈何徒儿生就得 自负敢言性烈刚 身在绿林只几载 经过多少血战场 (弟子我一生并无别的)望想 志在杀恶而安良 怜老惜贫(扶危济困) (专杀那土豪劣)绅与镖行 赃官污吏若赶上 一定叫他狗命亡 世上只要有我这 闪电飞虹云子扬 那怕粉身与碎骨 (我也要杀尽害)人恶豺狼 说什么那些峨嵋派 说什么龙头凤尾帮 (你老说什么岳)鸣宵的武功好 (说什么九子鬼)母阴谋手段强 他就设下天罗网 难挡我这义胆侠肠 (全凭我这一对重石)棉沙掌 (背后的两口紫)电剑鸳鸯 子午梅花钉九口 五祖点穴法儿强 闪电飞行提纵术 (定与那害民匪)徒闹一场 非是徒儿(不听教训) 非是徒儿仗艺逞强 今要听了恩师的话 (赤胆侠三个大)字徒儿怎应当 (我兄弟怎么算)得鹰爪三义 望乞恩师细思量。」咳!口打叹声说罢了 白 老夫也知道劝不了你 徒儿还有一事」二人 三弟请便。」髯 事事多加小心去吧。」弟子遵命。」二人 师父莫非咱师徒不是那九子鬼母的对手么?」若论武功却无所惧,只是那九子鬼母的阴谋手段实在是厉害。」只要他不来,却也无人是我三弟的对手,他那拳钉三绝艺可算压倒武林。师父放心。」等那九子鬼母与岳鸣宵来时,还要拘束他一番。」师父言之有理。唱 师徒三人谈以往。」下。

二. 『燕飛女侠』 線装抄本 全80本

一部封面に、「喀左 勝利影社」の書写と共に、「喀喇沁左翼蒙古族自治県 勝利影社」の朱印あり。同県は遼寧省にあり、『中国戯曲劇種大辞典』(1995、上海辞書出版社)によれば、遼寧省の中では皮影戯が盛んであった土地の一つである。また、『中国戯曲志・遼寧巻』(1994年)によれば、ここは、冀東皮影戯の影響を受けた凌源影調戯が流行した地域で、1960年凌源影調戯実験劇団が正式に成立して以後、旧作の改編や新作劇が続々と送り出されたとのことから、本影巻がこの時期の編による可能性は高いと思われる。

ストーリーは、武昌に武道場を開く侠客燕長江と娘の燕飛が、大道で武芸を披露しながら江湖を渡り歩き、強きをくじき弱きを助く武勇譚で、外国製の洋装をした人物が登場するなど、清末の時代風俗が盛り込まれている。

【冒頭】
摆场七小英雄站 拳打南山虎 脚踢北海蛟 卖艺江湖走 全凭练拖刀」俺小太宝文凌银」玉面童子艾文龙」探曩取物杨九青」银锤张新」闭目仙李成」贾寿」孟永涛」今有老师付设坐大家在此伺候 老髯燕长江坐侠肝义胆壮千秋 扶危济困遍九州 卖艺为题除恶霸 赃官污吏刀削头 老夫神石太宝燕长江,乃福建建宁府人氏。兄长燕长海,他的武艺练到剑客之身份。老夫无儿,只有一女,名叫燕飞,随他伯父练成惊人之艺,人称女侠。时下皇王无道富豪,官府欺压良民,百姓饿得不能生存,黎民俱遭涂炭。老夫在武昌之地设立武场,有穷家子弟学几招拳脚,挣几文金银,以便度日。倘遇赃官污吏不法之徒,暗中杀之,与众除害,因有侠客之称。此乃三月之时,春暖河开,街上人烟稠密,正是科场之期。今来在四川春阳镇万福店居住。众家徒弟们。」有」行李放在店中随我卖艺走走 唱欠身离坐往外走 代领徒弟一大帮 走出店外留神看 (大街上忙忙碌)碌七十二行 看见了(贫苦之人推车)担担 汗流满面受饥荒 多少穷人挨门讨 君王无道民遭殃 官宦之家骑马坐轿 前有恶奴把名扬 他的富贵由那里得 抽民之血他欢畅 (看起来世上真)乃不平等 潮流黑幕人不安康 全怪君王行无道 只使黎民受灾殃 (且不言长江卖)艺奔闹市。」下。 来了二人走的慢 二丑藏峰峪中当头目 因为探盘出山岗 四川九沟十八峪 传遍南北具声扬 眼前就是春阳镇 咱们就去沽酒一场 不言二贼进镇去。」下。 又来众位卖艺行 上众人分站师徒八人唱然时来在十字口 两边分开站当阳 长江弓身开言道 口尊众位听其详 白众位爷台站稳金身。我们是卖艺之人,因受饥荒所迫,不能度日,离家走闯江湖,代领几名青年学了几招粗笨拳脚,练上几套,使大家开心。有钱的帮个钱元,无钱的帮个人元,赏多了不嫌多,赏少了不嫌少。但不知那位师傅在此,难以登门叩拜,武行之人看去,请于指教。徒弟们。」有。」下场来。」在下文凌银。」艾文龙。合 武艺不高,请众原谅。文唱 文凌银身一弓 (抽出双刀一纵)身形 忙把架拉好 双刀午出风 前进串跳代蹦 一片白光相同 前进后退招招(有势) 只听嗖嗖起金风 众 好哇!俩边人 鼓掌声 连连喝彩 足踢(登脚) 文龙入了场 二人比雌雄 单刀入了空内 来回四十有零 二人演罢一傍立 面不改色气不涌。」下。 又来了 杨九青 手搿单刀对众一弓 银锤小张新 照样把礼行 兵刃一摆动手」(九青)用刀来对 二人走了三十趟 站在一傍脸不红。」下。 (好哇!)俩边人 千余名 连声夸好海潮(相同) 武艺真正好 大家把钱扔 咱们捧这一场 就算周济贫穷。」长江弓身忙道谢 多谢众位厚待情。」闪出来 小李成 英雄气概 红面金睛 擎刀当场立 弓身把话说 在下新学乍练 (武功)不甚精通 言罢提刀走几趟 介面不改色 气不涌。」下。