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『礼記・楽記』に言う。

新楽は進むにも退くにも体を曲げ、不純な音が入って乱れ、それにひたってやまない。また俳優と侏儒は、女子供にふざけかかり、父子の礼も知らず、曲が終わっても、語るべきことはなく、古楽と比べて論ずることはできない。
その注に言う。
獶とは、獼猴である。舞うものがサルのようで、男女の序列を乱すことを指す。「獶」は、「優」とも書く。
その疏に言う。
『漢書』に、檀長卿は獼猴舞をし、そのさまはサルのようであった、と見える。
『春秋左氏伝』襄公二十八年に言う。
慶氏はその兵士に公宮を取り巻き守らせた。陳氏と鮑氏の馬飼いが「優」をした。慶氏の馬が驚くので、兵士たちはよろいを脱ぎ、馬を繋いで酒を飲み、「優」を見ようとして魚里にでかけた。
『左伝正義』に言う。
優とは戯の名である。史游の『急就篇』は「倡優俳笑」と言う。この「優」と「俳」とは一つのものであり、二つの名がある。今の芝居で、おどけておかしなことを言い、人を笑わせるものがこれである。
『史記・滑稽列伝』に言う。
優孟は、もと楚の芸人であった。孫叔敖の衣と冠をまとい、身振り手振りをして話をした。一年あまりで、孫叔敖にそっくりになり、荘王や左右のものたちも見分けがつかないほどになった。荘王が宴会を催したところに、優孟が進み出て祝うと、荘王は大いに驚き、孫叔敖がよみがえったものと思い、大臣にしようとした。
また言う。
優旃は、秦の芸人で侏儒であった。戯言を得意としていたが、それが正道に一致していた。
ならば、「優」の技芸は、人の様子をうまくまねて、人を笑わせるものだったのであり、それは今と全く変わりがない。


(川)

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:43 (1157d)