006

名義考』に言う。


今の劇の役柄に「」、「」、「浄」、「」の名前がある。かつて、その原義を探ろうとしたが分からなかった。たまたま、『礼記・楽記』の注の「獼猴の如し」という説に思い至り、ようやく分かった。「」は「狌」、猩猩である。『山海経』には、「猩猩は人の顔に似て、豚の声、幼児の泣き声に似る。」とある。「」は「狚」である。「猵狚」である。『荘子』に「猨は、猵狚を雌とする」とある。「浄」は「猙」である。『広韻』に「豹に似て、一本の角、五本の尾」とある。また「狐に似て、翼がある」という。「」は「狃」である。『広韻』に「犬の人に馴れるもの」とある。また「狐や狸などの獣の足跡」ともある。俳優の人となりが、四種の獣のようであることを言う。いわゆる「女こどもにまじってふざける」というものである。「」というのは「末厥」の「」、は「員外」の「」であろう。
『猥談』に言う。
「」、「?」、「」、「」などの名称には、事実と反対に名づけた、という説や、後唐の荘宗のことに仮託した、という説があるが、いずれも誤りである。これは金、元の俗語、いわゆる「鶻伶声嗽」、今いうところの「市語」、まちの言葉に基づいているのである。「」とは男であり、「」は「粧旦色」、「浄」は「浄児」、は「末尼?」、「」は役人である。つまりそれらは方言の音であって、何の意味もない。南戯は、宣和年間以降に現れたもので、宋の南渡のころにはこれを「温州雑劇」といった。のちにしだいに変化して「余姚」、「海塩」、「弋陽」、「崑山」といった諸腔に変わったのである。


『道聴録』に言う。


元人の院本では、演じる者は、一人の「副?」、一人の「副末」、一人の「引戯」、一人の「末泥」、一人の「孤装?」である。いまの梨園に、「」、「」、「」、「」、「浄」、「」、「貼」があるようなものである。これら七字の意味は、一説によれば反義語である。は「熟」であり、は「好」、は「夜」、貼は「幇」、?は「閙」、は「始」、というのは通じるが、を「内」とするのは、牽強付会である。


(川)

リロード   新規 編集 差分 添付 複製 改名   トップ 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:42 (1100d)