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真珠船』に言う。

元曲の『中原音韻』、『陽春白雪』、『太平楽府』、『天機余錦』などの選集や、『范張鶏黍』、『王粲登楼』、『三気張飛』、『趙令譲肥』、『単刀会』、『敬徳不服老』、『蘇子瞻貶黄州』などの劇は、おおむね音調は悠揚として、その精神は雄大壮麗である。後世には、それらと比肩しうる作者はほとんどいない。当時、宮廷の重臣、地方の官僚や要職に漢人はほとんどつくことができず、みな下役として押さえつけられ、志を得ることができなかった。たとえば関漢卿は太医院尹であり、馬致遠は行省務官であり、宮大用は釣台山長であり、鄭徳輝は杭州路吏であり、張小山は首領官にすぎなかった。その他、帳簿係に甘んじたり、官途につけずに老いたものは、さらに多かった。そこで、その治国の才を歌の端に託し、悲憤慷慨の思いを述べたのであろう。いわゆる「その平を得ずして鳴く」というものである。
また言う。
古えには、四方全てに音楽があったが、今歌曲はただ南北の二つの音楽だけに統べられている。「伊州」、「涼州」、「甘州」、「渭州」などは、もとは西方の音楽であったが、今はすべて北曲となっている。このことから見るならば、「撃壌」、「衢歌」、「卿雲」、「南風」、「白雲」、「黄沢」の類、『詩経』の詩篇、漢代の楽府から、下っては元の関漢卿、鄭廷玉、白樸、馬致遠の作品に至るまで、その言葉には雅、俗の区別はあるが、いずれも北方の音楽である。南方の音楽はといえば、則ち、儒者の接輿、越人の紫玉、「呉歈」、「楚艶」、さらには今の戯文にいたるまでが、いずれもこれにあたる。しかし、『詩経』には南方の音楽は無く、「周南」、「召南」もみな北方の音楽である。


(川)

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:38 (1099d)