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『碧鶏漫志』にいう。

世にみえる「伊州」は七商、すなわち大石調高大石調、双調、小石調歇指調林鍾商越調の曲である。「六幺」で世に行われているものは、以下の四つ(の調)である。黄鍾羽すなわち般渉調、夾鍾羽すなわち中呂調林鍾羽すなわち高平調夷則羽すなわち仙呂調である。

元稹「法曲詩」にいう。「唐の玄宗は趣向をこらして曲をつくり、しだいしだいに落ち着いた様子が変わっていった。『赤白桃李花』は花の名を取り、『霓裳羽衣』は天楽を号した。」また白居易は(「法曲詩」に)いう。「法曲法曲、霓裳を歌う。」

考えるに、唐の玄宗は「婆羅門」を「霓裳羽衣」に改めた。これは黄鍾商、すなわち今の越調に属する。宮伎が七宝の瓔珞*1を身に着けてこの曲を舞うと、曲が終わったあと(辺りに散らばった)玉や翡翠を掃き清めなければならない程であった。

欧陽修はいう。「人の世に瀛府と献仙音の二つの曲がある。」瀛府は黄鍾宮に属する。(『鉄囲山叢談』にいう。「唐の開元年間に、『望瀛』、『法曲』というものがあり、今に伝わっているが、これは実は黄鍾宮である。」)

『嘉祐雑志』にいう。「(『霓裳羽衣』は)同州*2の楽人が河中*3の黄幡綽の『霓裳譜』を編曲し、また宮中の楽人の程士守も別に法曲に基づいて作曲した。教坊の伶人の花日新がこれを読んで、その後ろに書き付けた。『「法曲」はよくできているとはいえ、「望瀛」に及ぶべくもない。』」

以上のことから、『武林旧事』、『輟耕録』にいう「六幺」、「瀛府」、「法曲」、「伊州」の類は、みな曲調によって分けたものであり、現在の「崑腔」、「弋腔」さらには「安慶」、「湖広」、「秦腔」、「京腔」などに相当することが分かる。「六幺」の中には「孤奪旦六幺」、「法曲」の中には「孤和法曲」などというものがあるので、そうであるならば優伶や役がらはそれぞれの声腔がみな備えていたということになる。

(山下)

*1 珠玉を綴って作ったショール。
*2 今の陝西省渭南市大荔県。
*3 今の山西省運城市永済市。

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:36 (1157d)