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『知新録』にいう。

合生」とは、院本雜劇のことである。『唐書』「武平一伝」にいう。「中宗が宮廷で宴を催し、胡人の襪子何懿が『合生』を唱ったが、歌辞は浅薄で低俗であった。武平一が上書して言った。『近頃、怪しげな役者、胡人、悪童、ゴロツキの類が、妃や姫の容貌について言ったり、皇帝や大臣の名賢ぶりを並べ立て、それを歌い踊るものを合生と称している。皇帝や大臣の間から始まり、その後市井でも行われるようになっている。』」以上のことから、唐の玄宗が梨園で行った芸能も、またここに起源することがわかる。

また『懐鉛録』にいう。

昔、梨園で化粧を施すものを参軍と言い、また靘とも言った。靘は、『広韻』に「装い飾ること」とある。いま化粧を施すものを「浄」というが、これは「靘」が転化したものであろう。婦人に扮するものを「狚」と言い、また「獺」とも通用する。『荘子』に「猨は猏狚を雌とする」とあり、また束皙は(『発蒙記』で)「猨は獺を婦とする」と言っているので、これはおそらく婦人を例えたものであり、後に省略して「」に作る。蒼鶻を「」と言うのは、『周礼』に「四夷の楽に韎がある。」とあり、また『東都賦』に「僸・佅・兜・離の四夷の楽が、みな演奏される。」とあるので、優人が外国の装束を付けたものであろう。蒼鶻をまた一説に「末泥」と言うのは、恐らく花柳界や梨園の隠語であって、「爆炭*1」や「崖公*2」の類と同じであり、省略して「」に作る。

またいう。

(『都城紀勝』にいう。)「末泥の役が主張し、引戯が言いつけ、副末の役が滑稽なことをする。」また『都城紀勝』にいう。「雑扮は、またの名を『雑旺』といい、さらに『鈕元子』ともいい、また『拔和』ともいう。これは雑劇の一段であり、多くは山東や河北の村人に扮して装束を借りて笑いを取るものである。いまの『打和鼓』、『撚梢子』、『散耍』などは、みなそうである。」ここから、今の角は「鈕元子」を省略した呼称であることがわかる。『古杭夢遊録』では「雑班」、「扭元子」、「拔和」に作る。

またいう。

演劇を演ずるものを「班」と称するのは、宋の雲韶班に始まる。宋では教坊の外に、また「鈞容直」と「雲韶班」という二つの楽団があった。宋の太祖が嶺表*3(の南漢)を平定した際、南漢の後主・劉鋹の宦官の優秀な者八十人を得た。これを教坊で学ばせ、初めは「簫韶部」という名前を賜ったが、後に「雲韶班」と改めた。「鈞容直」は軍楽である。軍の中で音楽をよくする者たちを、初め「引竜直」と名づけて、天子の行幸に備えたが、淳化年間に「鈞容直」と改めた。後世、いずれも「班」と称された。

(山下)

*1 唐代に女衒を指す隠語。
*2 唐代の散楽で皇帝を指す隠語。
*3 嶺南。今の広東省・広西壮族自治区一帯を指す。

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:35 (1100d)