057

『聞見近録』に次のように見える。

南京*1応天府の汴河*2を去ること五里の川べり*3を、「河市」という。およそ郡城で宴席を設けるときには、必ず河市の楽人を招いた。今に至るまで役者を「河市の楽人」と呼ぶのは、このためである。

(千田)

*1 宋の南京応天府は、現在の河南省商丘市にあたる。
*2 黄河から開封府、応天府を経て泗州で淮河に接する大運河のこと。
*3 原文「河次」。「次」は接尾語で場所を示す。『大宋宣和遺事』元集に「宋江…在路上撞著杜千、張岑兩個,是舊時知識,在河次捕魚為生(宋江は道中、杜千、張岑の二人と出会った。彼らは昔なじみで、川べりで漁師をなりわいとしていた。)」と見える。

リロード   新規 編集 差分 添付 複製 改名   トップ 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:35 (1094d)