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唐闕史』に言う。

唐の咸通年間(860~874)、優人李可及という者は、滑稽と諧謔とに抜きんでていた。以前、延慶節*1にあたり、僧侶や道士*2の説法が終わり、役者のお笑いの番になると、可及は儒服に高い冠、ゆったりとした衣に幅広の帯(という儒者のいでたち)で、服の裾を持ち上げながら上座にのぼると、自ら「三教論衡」と称した。下座の者が訊ねて、「三教に広く通ずると言うのであれば、釈迦如来は何人ぞ。」答えて「婦人である。」訊ねた者は驚き、「いったいどうして。」答えて「『金剛経』に『敷座而坐』とある。婦人にあらずして、どうして夫が坐したあとで児を坐せしめようか。」陛下はおかしさに歯をお見せになった。また訊ねていうには「太上老君は何人ぞ。」こたえて「これもまた婦人である。」訊ねた者はますますわけがわからない。そこで言うには「『老子道徳経』にいわく『吾に大患あり、これ吾に身有るなり』、婦人にあらずして、どうして娠あるを悩むことがあろうか。」陛下は大いにお喜びになった。また訊ねて「文宣王は何人ぞ。」答えて言うには「婦人である。」訊ねた者「それはどうして。」答えて「『論語』にいわく『これを沽らんかな、これを沽らんかな、我は價を待つ者なり』、婦人にあらずして、どうして嫁するを待つであろうか。」陛下はとてもお楽しみになり、厚く褒美を賜った。

(千田)

*1 唐の懿宗のとき、天長節を延慶節と称した。
*2 原文「緇黃」。仏僧の着用する緇衣と、道士の着用する黄衣とを指す。

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:35 (1157d)