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閒燕常談』に言う。

政和年間(1111~1118)、何執中は宰相になると、手広く理財につとめ、その不動産*1の多さは都で一番であった。

ある時、昔刊行された吉観国が科挙を受験をした時の「為君難」*2の小論文を先帝の御製だと称するものがいて、人々は競って伝えそらんじた。

ちょうど大きな宴会があり、伶官が「優戯」を行った。語り合うには、「陛下はお仕事のない時には何をなさっておられるのだろう。」「宴会をしているばかりでございましょう。」「さにあらず。科挙の受験生と同じように小論文をお作りになられるのだ。」尋ねるには「どうしてわかるのだ」そこで、「為君難」の小論文をひとわたりそらんじると、手を額に当て、北面して賛嘆し、言った。「陛下は下々をご覧になられては在野の士と同じく経学に御心をお留めになられるばかりでなく、仰ぎ見られては、たゆまずご政道に御心をお砕きになり、守成の君たるに安居なさらないという深い考えをお持ちなのだ。これは真に天下の幸せ。」また尋ねるには、「宰相さまは朝廷からお下がりになった後には何をなさるのだろう。」「やはり論文をお作りになられるのだ。」問うには「どのような題でございましょう。」「『為臣不易』*3の論でございます。」すると、頬をはたいて言った。「日に百二十貫も家賃を掠め取りながら、まだ自ら『不易』というか。」おそらく、俗語で貧しくみすぼらしいことを「不易」と言ったのであろう。

(池田)

*1 原文では「邸店」。店舗経営・不動産などの総称。
*2 論語』「子路篇」の「君為ること難し、臣為ることも易からず(為君難為臣不易)。」のこと。
*3 皇帝に対して臣下が「為臣」と称することとかけたもの。

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Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:34 (1094d)