065

宙載』に言う。

『湖広志』「安陸州」*1に言う。「董仲。漢の董永の息子で、その母は織女であった。董仲が生まれる時に不思議なことがあり、呪符を用いて邪気・鬼神を鎮めた。」近ごろの院本では、董仲舒董永の子としているが、董仲舒は前漢の生まれ、董永は後漢末の人であることが分っていない。時代が遠く離れているばかりではなく、古えの儒者を侮辱することにもなる。あるいは、董永の子の名が仲であるので、董仲舒にあてたのだろうか。

『荘嶽委談』に言う。

今、『董永』という芝居がある。曲辞は極めて卑俗だが、物語は『搜神記』に基いており、まったく根拠がないわけではない。

また言う。

連環記』も元曲に基いている。李賀の詩の「腰の銀印を揺らして白馬に跨り、おしろいをつけた美人が大旗のもとに立っている。」というのを、呂布の妾姫であるとしている者がいるが、「おしろいをつけた」というのは当然のことながら呂布の容貌の描写であり、妾姫ではないということが分っていないのである。

元曲によると、呂布の妾姫は貂蟬で、幼名は紅昌である。

河上楮談』に言う。

民間の戯文・小説に、『斬貂蟬』や『関索鮑三娘』などがあるが、これは広く伝わるにつれて捻じ曲がり、嘘と真が混じりあってしまったものである。だが、蜀に関索嶺*2や鮑家荘*3があるのは、いったいどういうことであろうか。

(辻)

*1 今の湖北省孝感市安陸市。
*2 今の貴州省関嶺布依族苗族自治県。
*3 待考。

リロード   新規 編集 差分 添付 複製 改名   トップ 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2016-08-19 (金) 16:30:34 (1031d)