『荘嶽委談』に言う。

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古えの[[教坊]]には、雑劇はあったが戯文は無かった。有力者の家で宴会が開かれる際には、様々な芸能が供されたが、漢魏六朝時代の様子については、はっきりとはわからない。『楽府雑録』『[[教坊記]]』『東京夢華録』『武林旧事』など唐宋の小説には、つぶさに記録されている。唐代の制度では、歌い手の他にとりわけ舞隊を重んじ、歌舞のほかにも、また[[琵琶]]や[[羯鼓]]などの楽器に精通している者がいた。この他、俳優、雑劇があったが、一時の笑いを供するだけのものに過ぎず、思うにその用いられ方は[[傀儡]]とさほど異なるものではなく、雅な士大夫が心に留める様なものではなかったのであろう。宋代もまた同じである。南宋になってからは浄・丑の演目が見られる様になるが、その用いられ方も似たようなものであった。元朝は、享楽にふけり国を滅ぼした。『[[西廂記]]』『[[琵琶記]]』((原文「崔蔡二[[傳奇]]」。崔は崔鶯鶯の登場する『[[西廂記]]』を、蔡は蔡邕の登場する『[[琵琶記]]』を指す。))の二つの伝奇が相次いで登場すると、作者の才能が溢れ、リズムにも技巧が凝らされていたので、梨園で習い演ずること天下を二分するほどであり、他にも様々な戯曲はあったが、入り込む余地は無かった。

RIGHT:(山下)

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