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『荘嶽委談』に言う。


古えの教坊には、雑劇はあったが戯文は無かった。有力者の家で宴会が開かれる際には、様々な芸能が供されたが、漢魏六朝時代の様子については、はっきりとはわからない。『楽府雑録』『教坊記』『東京夢華録』『武林旧事』など唐宋の小説には、つぶさに記録されている。唐代の制度では、歌い手の他にとりわけ舞隊を重んじ、歌舞のほかにも、また琵琶羯鼓などの楽器に精通している者がいた。この他、俳優、雑劇があったが、一時の笑いを供するだけのものに過ぎず、思うにその用いられ方は傀儡とさほど異なるものではなく、雅な士大夫が心に留める様なものではなかったのであろう。宋代もまた同じである。南宋になってからは?の演目が見られる様になるが、その用いられ方も似たようなものであった。元朝は、享楽にふけり国を滅ぼした。『西廂記』『琵琶記*1の二つの伝奇が相次いで登場すると、作者の才能が溢れ、リズムにも技巧が凝らされていたので、梨園で習い演ずること天下を二分するほどであり、他にも様々な戯曲はあったが、入り込む余地は無かった。

(山下)

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