[[028]] 『輟耕録』に云う。 > 稗官小説が廃れて伝奇小説が作られるようになり、伝奇小説が作られるようになって戯曲がその後を継いだ。金の終わり、元の初めには、楽曲は依然として宋詞の流れを汲むものであり、(南戯の)伝奇は依然として宋の戯曲が変化したもので、世間では雑劇と呼ばれていた。金の章宗の時、[[董解元]]が編んだ『[[西廂記諸宮調]]』は、時代はさほど遠くはないが、それでも読み解ける人はほとんどいない。まして昨今の雑劇の曲辞が煩瑣であるのを読み解けようか。 RIGHT:(千田)