[[058]]

『[[唐闕史]]』に言う。

>唐の咸通年間(860~874)、[[優人]]の[[李可及]]という者は、滑稽と諧謔とに抜きんでていた。以前、延慶節((唐の懿宗のとき、天長節を延慶節と称した。))にあたり、僧侶や道士((原文「緇黃」。仏僧の着用する緇衣と、道士の着用する黄衣とを指す。))の説法が終わり、役者のお笑いの番になると、可及は儒服に高い冠、ゆったりとした衣に幅広の帯(という儒者のいでたち)で、服の裾を持ち上げながら上座にのぼると、自ら「三教論衡」と称した。下座の者が訊ねて、「三教に広く通ずると言うのであれば、釈迦如来は何人ぞ。」答えて「婦人である。」訊ねた者は驚き、「いったいどうして。」答えて「『金剛経』に『敷座而坐』とある。婦人にあらずして、どうして夫が坐したあとで児を坐せしめようか。」陛下はおかしさに歯をお見せになった。また訊ねていうには「太上老君は何人ぞ。」こたえて「これもまた婦人である。」訊ねた者はますますわけがわからない。そこで言うには「『老子道徳経』にいわく『吾に大患あり、これ吾に身有るなり』、婦人にあらずして、どうして娠あるを悩むことがあろうか。」陛下は大いにお喜びになった。また訊ねて「[[文宣王]]は何人ぞ。」答えて言うには「婦人である。」訊ねた者「それはどうして。」答えて「『[[論語]]』にいわく『これを沽らんかな、これを沽らんかな、我は價を待つ者なり』、婦人にあらずして、どうして嫁するを待つであろうか。」陛下はとてもお楽しみになり、厚く褒美を賜った。

RIGHT:(千田)

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