『説岳全伝』/07

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第七回

飛虎を夢みて徐仁 賢を薦め
賄賂を(もと)めて洪先 職を革さる

詩に曰く*1

嘆くに堪えたり 人生の夢中に似るは
名を争い利を奪い (さわが)せること烘烘たり
(たちま)ち聞く 鶏声の驚き暁を報ずるを
笑い来る 万事の一場の空なるを

さて、その人は近づいてくると、手を組んで挨拶して言った。

「手前はこの村の里長でございます。相州の節度都院の劉閣下が、県まで文章を送ってこられて、各地の武挙受験者は、みなあちらに行って試験を受け、合格して初めて都にのぼって受験できるとのことです。そこで、岳様と若様たちにお知らせにあがりました。若様方がこちらで武芸の練習をしておいででしたので、お邪魔をするのがはばかられ、林の中にかくれて見ていた次第。決して怪しい者ではありません。」

岳飛

「わかりました。」

かの里長は別れを告げて立ち去った。

翌日、岳飛は馬に乗って県城に行くと、内黄県衙門にやってきた。門番が内に入って報告すると、知県は一声

「お通ししなさい。」

門番は一声返事をすると、急いで出てきて、岳飛を請じ入れた。岳飛は衙門の中庭に入り、岳父に挨拶すると、言った。

「私は相州に院試に行かねばなりませんので、お別れに参りました。実はもう一人、義を結んだ弟がおり、やはり試験を受けに行きたいのですが、先日受験していませんでしたので、岳父様に名簿に書き加えて試験場に送っていただきたいのですが。」

李知県

「お前の義弟であるならば、何という名前かな。書き加えてあげよう。」

岳飛

「牛皐といいます。」

知県は従者に書き加えるように言いつけ、又

「婿殿が相州に行くのでしたら、手紙を一通書きますので、持っていきなさい。」

一方では衙門で宴会の支度をするように言いつけ、一方で書斎に入って一通の手紙をしたため封をして、出てきて岳飛に渡した。

「私の同期が、相州湯陰県の知県をしていまして、徐仁と言います。人となりは正直で、すこぶる名声があり、都院さまもとても重んじておいでです。婿殿はこの手紙を持っていき彼に見せなさい。そうすれば、この追試験などのことも、手間が省けるでしょう。」

岳飛は手紙を受け取りしっかりとしまうと、お礼の挨拶をして出ていった。家に帰り員外たちに言った。

「わたくし、ただいま県城に行ってきて、牛兄弟の名前を書き加えてもらいました。明日の朝は吉日ですから、出発するのにふさわしいでしょう。」

員外たちは承知した。それぞれ帰って、荷物と馬の支度をした。

翌日になると、みな王員外の屋敷に集まった。五人の兄弟は、それぞれ父母に別れの挨拶をして、屋敷を出て馬に乗り、相州に出立した。道中、夜が明ければ出発し、夜になるれば宿を取り、兄弟たちは話し笑いながら、みな無邪気にふざけていたが、しかし岳飛は心中ひそかに考えた。

「私はもともと湯陰県が先祖代々本籍で、他の所に流れついたのだ。」

覚えず目から涙を流した。

何日もせず、相州に着いた。兄弟たちが南門を入り一里ほども歩かないところ、多くの旅籠があった。岳飛が頭をもたげてみれば、一軒の宿の門の上に看板が掛けてあり、「江振子安寓客商」の七つの大きな字が書いてあった。岳飛が宿の中を見れば、こざっぱりしていたので、五人は馬から下りた。内では江振子がそれと見るや、あわてて出迎え、給仕に五人の客人の荷物を階上に運ばせ、馬を裏の厩につなぎ馬草を与えさせると、自ら五人の若様が座って茶を飲む相手をした。そして、姓名と来歴を聞くと、急いで歓迎の酒食を整えた。岳飛は主人に尋ねた。

「今は何時頃ですか。」

江振子

「お昼です。」

岳飛は考えながら

「これはどうしたものか。明日いくことにしよう。」

江振子

「いったい旦那様は、そのように急いで、どちらにおいでになるのですか。」

岳飛

「手紙があるので、県衙門まで行って来たいのだが。」

江振子

「県衙門でしたら、まだ早いくらいですよ。こちらの知県さまは、ここでもう九年もお務めですが、清廉なお役人で、まことに『両袖には清い風、民を愛することは子どものよう』というものです。何度か昇任の話があったのですが、みな民草に引き留められました。あの知県様がひとたび衙門にご出座なさったら、日が暮れて初めて退座なさいますから、今はまだ早いのですよ。」

岳飛

「ここから県衙門まではどのくらいありますか。」

江振子

「そんなに遠くありません。入り口を出て東に向かい南に曲がって行って、見えた衙門が県衙門です。」

岳飛はそれを聞くと、部屋に行って箱を開け手紙を取ると、部屋を戸締まりし、兄弟たちと宿の入り口を出て県庁へ向かった。

さてかの知県の徐仁は、昨夜、夢を見た。その日公務のために出座すると、両側には下役人と書記たちが居並んだ。知県

「私は昨夜夢を見て、とても驚いたのだが、お前たちに夢判断ができるものはおるか。」

傍らから一人の書記、あだ名を「物知り」と言うのが歩み出て、申し上げた。

「手前、夢判断が得意です。知県閣下はどのような夢をご覧になったのでしょうか。」

知県

「私は昨夜三更のころあい、突然、五頭の五色の虎が庁舎に飛び上がってきて、私にぶつかってくるのを夢見て、思わず驚いて目が覚め、冷や汗をかいてしまった。いったいどのような吉凶の兆しだろうか。」

物知り

「おめでとうございます。昔、周の文王は夜飛熊が帳に入るのを夢に見て、後に太公望を渭水で得られました。」

話も終わらぬところ、かの知県は大いに怒って、机をたたいて怒鳴りつけた。

「この野郎、でたらめぬかすな。わしがどうして、聖賢君王と比べられよう。まったく頭に来るわ。」

かの物知りは、答える言葉もなく、仕方なく傍らに控えた。

すると、門番が申し上げた。

「内黄県の五人の武士が、『李知県の書状がありますのでお目通りを願いたい』と申しております。」

徐仁

「お通しせよ。」

門番は一声返事をすると、出ていって請じ入れた。五人は衙門にやってくると、挨拶して手紙を差し出した。知県は手紙を受け取って読むと、また五人の容貌が軒昂であるのを見て、心中ひそかに考えた。

「昨夜の夢は、もしかしてこの五人に応じているのではなかろうか。」

そこで尋ねた。

「皆様はどこに宿を取っていますか。」

岳飛が答えて

「われらは、南門内、江振子の旅籠に泊まっております。」

徐仁

「それならば、ひとまずお帰りなさい。都院さまの中軍官*2の洪先は私と親しいので、人をやってあなた達の面倒をみてくれるよう頼んでおきましょう。明日、轅門*3に行って試験を受ければよいでしょう。」

岳飛らは知県にお礼して、衙門を出て宿に戻った。

一夜が過ぎ、翌日、五人はそろって中軍に会いに轅門に行った。岳飛は進み出て申し上げた。

「武生*4岳飛等五名、閣下に武芸をご覧にいただきたくまいりました。お取り次ぎをお願いいたします。」

洪先は聞くと、振り向いて、郎党に尋ねた。

「彼らはおきまりの付け届けを送ってきたか。」

郎党は答えて

「送ってきていません。」

岳飛はそれを聞いて、進み出て申し上げた。

「私どもはこちらのきまりを知りませんので、持ってきておりません。家に帰ってから支度させてお送りいたします。」

洪先

「岳飛、お前は知らないであろうが、今日閣下は武芸の試験はならぬ。三日してからまた来なさい。」

岳飛は仕方なく返事をして出て行き、馬に乗って宿に帰った。

途中、兄弟たちと話し合っていると、突然、徐知県が四人担ぎの輿に乗って、下役たちを左右に従えているのが見えた。目の前にさしかかると、五人は一斉にに馬から下り、道ばたに立って控えた。知県は輿の中でそれを見ると、止まるように命じた。

「私はちょうど洪中軍に会って、試験のことをうまく取りはからってくれるように頼みに行くところだが、なんとあなた方がこんなに早く帰ってくるとは、試験はどうでしたか。」

岳飛

「あの中軍は、きまりの付け届けを送っていないとかで、三日してまた来るようにとのことでした。」

徐仁

「でたらめな。まさかあの中軍がいて初めて試験が受けられ、いなければ受けられないとでも言うのか。あなた方、ついてきなさい。」

五人は一声返事をすると、みなそれぞれ馬に乗った。徐知県に従って轅門までやってくると、名刺*5を差し出した。伝宣官*6が出てきて一声、

「湯陰県知県、謁見をゆるす。」

と伝えると、左右の下役が声を上げて威儀をつくるのが聞こえてきた*7。徐仁は脇門を入ると、すみの方を通って進み出、正庁にやってきて跪いた。劉都院

「お立ちください。」

徐仁は立ち上がると、お辞儀をして言った。

「それがし、大人に申し上げます。今、大名府内黄県の武生五名が、大人に武芸の試験をしていただきたいと求めております。」

劉都院は入らせるよう命じた。旗牌官*8が命を受けて五人を入らせれば、壇上に跪いた。

劉公がかの五人の容貌を見れば、一人一人偉丈夫で勇壮、心中大いに喜んだ。すると中軍が正庁に上がってきて

「この五人の武芸は月並みであると私めが既に見届けましたので、彼らに帰って稽古を積んで、次回の科挙にまた来るように言ったのですが、またもやってきて閣下にご無礼をはたらくとは。」

徐仁はまた進み出て

「この中軍は、おきまりのつけ届けがないので、このようなでたらめを言うのです。彼ら武生たちは三年に一度の望みをかけて来たもの、どうか大人、おはからいのほどを。」

洪先はまた

「それがしは今朝、はっきりと彼の武芸が大したことないと見たのに、なぜ逆に私がでたらめを言っていると申すのか。もし信じられぬのであれば、私と試合するか。」

岳飛

「閣下の命令とあらば、試合するのに何の差し障りがありましょう。」

劉都院はそれぞれの言葉を聞くと

「よかろう。お前たち二人に、武芸試合をするよう命ずる。」

二人は命を受けて下がると、煉瓦葺きの通路でそれぞれ自分の位置を定めた。洪先は家人に三つ股の托天叉を取ってこさせると、型をひけらかした。カシャンカシャンと叉の飾り板*9の音が響き、“餓虎擒羊”の型に構えて、叫んだ。

「かかってこい。」

岳飛は、しかし慌てずに、瀝泉槍を取りよせると、さっと型を作り“丹鳳朝天”に構えれば、サーサーと冷たく雪が風に舞うかのよう。一声

「ご無礼つかまつる。」

かの洪先は叉の一撃に岳飛の命を奪わんとばかりに、叉を挙げ、岳飛めがけて真っ向から唐竹割りに打ちかかった。こちら岳飛は頭をそらして叉をやり過ごすと、心中ひそかに考えた。

「私とやつは何の仇があるわけでもないのに、どうして命を奪うことができようか。」

こちら洪先、また叉で一撃、岳飛の真っ向めがけて打ちかかってきた。かたや岳飛は、頭をさげて身を傾けて避けると、歩みを返して槍を引きずって逃げた。洪先は彼が負けたと思いこみ、足早に追いかけ、岳飛の背中めがけて打ちかかった。岳飛は突然身を翻すと、槍を上に構えてふさぎとめ、洪先の叉を片側に受け流すと、勢いに乗じて槍の柄をまわし、洪先の背中を軽く押さえつけた。こちら洪先足がもつれてばっと地面に倒れ、かの叉もあちらに取り落としてしまった。正庁の上下の人々は、こらえきれずに喝采の声を上げた。

「はたして素晴らしい腕前だ。」

かの劉都院は激怒して、洪先に上ってこさせると、叱りつけた。

「お前はその程度の腕で、どうして中軍官がつとまるのだ。」

左右の者に命じて

「轅門から追い出せ。」

左右の者は一声返事をすると、洪先を壇の下に追い出した。洪先は恥ずかしさに、頭を抱えてこそこそと去っていった。

劉都院は徐知県に命じ、五人の武生を連れて行って矢場で弓比べさせた。まず四人が射て、また岳飛の矢を試験すると、四人にも増して素晴らしかった。そこで岳飛に尋ねた。

「お前は先祖代々内黄県にすんでいるのか。」

岳飛

「私はもともとこちら湯陰県孝弟里永和郷の者でしたが、生まれて三日目に洪水の災に遭い、哀れにも家財はすべて流されてしまいました。老母は大かめの中で私を抱き、水面を漂い内黄県に流れ着きました。そこで恩人の王明様が有り難くも養い育ててくださいまして、そこで内黄県に住みついたのです。また亡き義父の周侗を得、我ら兄弟に武芸を仕込んで頂きました。どうか閣下には合格のお墨付きを賜り、都に上らしてくださいませ。もしも功名を得ることができたら、故郷に錦を飾ることができます。」

劉都院はそれを聞くと、大いに喜んだ。

「なんと周侗先生の伝授か。道理で皆このように腕が立つわけだ。みどもは以前からあなたの師は文武に秀で、朝廷は何度も役人を遣わして仕官させようとしたのに、彼はどうしても出仕しようとしないと聞いている。いまや故人となってしまったとは、惜しまずにいられようか。ひとまず貴公は準備に帰られよ。みどもが人をやって都に手紙を送り、貴公が功名を挙げられるようにはからってあげよう。」

また徐仁を呼んで

「この弟子*10は、後に必ずや出世することだろう。知県殿は衙門に戻って、彼のために岳家の以前の財産を調べて頂きたい。調べがついたら、みどもが金を出して家を建て、彼に故郷に帰らせよう。」

徐知県は拝命し、岳飛たちはそろって感謝した。轅門を出ると、徐知県に従って県衙門に戻った。知県は宴席を設けてもてなし、岳飛に

「ここに屋敷を整理してあげるので、家に戻って、母上をお迎えしてお住みなさい。」

岳飛は感謝した。

その日、兄弟たちと宿舎に戻り精算を済ませると、翌日、宿の主人と別れて、まっすぐ内黄県に帰った。岳飛が劉都院と徐知県のことを話して聞かせれば、岳夫人はとても喜び、あわただしく支度をしたことはさておく。

さて兄弟たちはそれぞれ家に帰り、父に岳飛が祖先の地に帰ることを話して聞かせると、員外たちは忍びない気持ちになった。翌日、三人の員外が王員外の屋敷で色々と話をしていると、岳飛がやってきて員外たちに向かって手を組んで挨拶し、祖先の地に帰ることを報告した。王員外は思わず涙をこぼして

「鵬挙、お前がここにいて息子らとつきあってくれるとよいのだが。まして先生は遺命で『鵬挙から離れなければ、功名をたてることが出来るだろう』と息子らに言ったではないですか。今、お前が故郷に帰ろうとしているが、私はどうして手放すことができようか。」

岳飛

「私も劉大人から受けたご恩を、お断りすることはできないのです。叔父上や弟たちと別れるに忍びないのですが、どうしようもありません。」

張員外

「私には、あなた方が一生離れないでいられる、よい考えがありますよ。」

湯懐は慌てて張達に尋ねた。

「どのような考えですか。」

張員外

「私はこの大財産を築き上げましたが、子どもが何人もいるわけではなく、この子しか授かりませんでした。もしこの子が名をあげることができれば、御先祖様にも名誉を添えることができます。私の考えでは、管理人を二家族だけ残してここで田畑を管理させ、その他の金目の財産は、すべてまとめて、岳君とともに湯陰県に移り住むのです。何の不都合もないでしょう。」

人々は声をそろえて

「それはよい考えだ。我々が皆で移り住めばよいのだ。」

岳飛

「そんなわけには参りますまい。叔父上がたはこのような大財産ですし、人もたくさんいます。私のために、みな湯陰県に移り住むとは、簡単なことではないのですから、どうかよくお考え下さい。」

員外たち

「我々の考えは同じ、腹は決まりました。鵬挙はもう言わなくていいです。」

岳飛は仕方なく家に戻ると、母に員外たちが移り住もうとしていることを話して聞かせた。岳夫人

「私が奥様方とお話しして参りましょう。」

牛皐

「関係ないよ。私も兄貴と一緒に行きます。」

夫人

「あなたがた母子はこちらにいるのですから、一緒に行くのがあたりまえですよ。」

翌日、岳飛は母と別れ、馬を仕立てて県城まで岳父に会いに行った。県衙門の前で馬を下りて入ると、門番が慌てて報じ、知県は一声

「お通ししなさい。」

傍らの門番は、慌てて出てくると、岳飛を奥の棟に通した。挨拶を済ませると、李公は座って茶を飲ませ、それから相州に試験を受けに行ったことなどを尋ねた。岳飛は湯陰県に行き、いかに知県に謁見したか、中軍がいかに賄賂を要求したか、いかに試合をしたか、そして

「劉公が徐知県に我が家の昔の財産を調べさせ、お金を出して家を建ててくださり、私に故郷に移り住むようにとのことです。全ては岳父大人のお引き立てのたまもの、今日はお礼に参りました。」

というところまで話した。李知県

「劉公にそのような恩義を受けるとは得難いことです。婿殿が祖先の地に帰られるとは、大事ですな。しかし、私、ちょっと話がありますので、あなたはすぐに戻って、母上にお知らせして下さい。」

岳飛は唯々として命を聴いた。これがために

金屋*11の笙歌 (とも)に鳳を(うらな)*12
洞房(しんしつ)の華燭 喜び龍に乗る

となるのである。

いったい李知県が何を言い出すのかは、次回のお楽しみ。


*1 以下の詩、底本は収録しない。ひとまず家蔵光緒丙午上海書局石印本に拠って補う。
*2 将軍幕下の部将。
*3 軍隊本陣の門。
*4 生とは生員のことで、県・州・府試の合格者を謂う。
*5 原文「手本」。本ぐらいの大きさで二つ折り。
*6 取り次ぎ係の役人。
*7 左右に控えたものたちが、威厳を増すために、低い音で「オォー」と声をのばすこと。
*8 軍中の連絡係りの下士官。
*9 叉の穂先の根本には、小皿のような鉄板が二枚はめてあり、動かすとシンバルのようにぶつかり合って音が鳴る。
*10 科挙合格者は、試験担当官と師弟の関係になる。
*11 漢武帝の“金屋蔵嬌”の故事による。佳人の住む家を称する。
*12 占って良縁を得ること。故事は『左伝』に見える。