2005-01-29

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長安大戯院夜戯
  • 中国京劇院張火丁戯劇工作室
新版京劇『梁祝』
張火丁
祝英台
宋小川
梁山伯
李崇善
祝父
張嵐
祝母
黄文俊
先生
岳恵玲
師母
呂昆山
媒婆

張火丁の新作です。あいかわらず、劇場は爆満でした。

京劇の梁祝といえば『英台抗婚』があるわけですが、今、そちらの台本を見てみたら、やはりそこをベースに大きく手を入れたもの、なのですね。

火丁の唱を聞かせる劇としては、なかなかに聞かせどころがあって、その点は良くできてます。特に、閨房に戻って山伯を待つ場面の慢三眼、その後、抗婚の ところの二六転快板の李崇善との掛け合い、ラストの墓前の場面などは、なかなかによろしかったです。 舞台セットは、背景やライティングには凝っていたけど、まあ許せる範囲かな。 音楽は、中国楽器フルオーケストラ。しかし、各幕の終わりの幇唱は録音流してました。各幕は全て暗転で終わり、というのは、必ずしもいいとは思えませんな。

台本にはかなり不満が。まず、この手の新作ものは、どうしても説明的に場面が多くなってしまうワケですが、これも、特に前半がバタバタしますね。いっそ、 二人のなれそめなんぞは歌詞の中で触れるだけにして、書院から英台が帰るところから始めればいいんですよ。

それと個人的には、父が退婚した後、英台がひそかに山伯と会って別離を告げる場面、あそこがどうしても腑に落ちません。 『英台抗婚』だと、山伯を後花園に連れてこさせて会う設定ですが、コレでは、楼台で会う、ということになってます。 『英台抗婚』もどうかと思うけど、これはもっとおかしい。だって、男女と分かっていて密会するのは儒教道徳に反する、 儒教道徳に反して閨房から抜け出して密会する以上、もはやそれなりの覚悟があるはずで、それなら結婚できなくなったと泣かないで、 そのまま卓文君すればいいでしょう [smile]。この辺、王宝釧のような堅さを見習って、ちゃんと人物像を練り上げないとねえ。 現状では、瓊瑤のコスプレ時代小説や、流行の無考証清代史モノ時代劇を彷彿させて、いけません。

それと、父が金に目がくらんで、という要素を 薄めて、メンツ問題と父自殺の脅しをメインに据えていましたが、コレもねえ。ラストも、墓が割れて英台が入って暗転、そのまま場面転換で蝶々、なのですが、これも周辺の反応を描いてもよかったんじゃないかな。二人の蝶々が 登場する前の、蝶々なお姉さんたちの群舞もイマイチだったし。

思うに、梁祝の京劇台本は、もっと抜本的に作り直すべきなのですよ。梁祝故事の原型では、二人は書院で別れた後二度と会えず、英台は山伯の死も知らない、ところが嫁ぐ途中に舟が風雨に遮られ、舟を降りればソコに山伯の墓、慟哭すると地が裂けて英台が入っていく、あわてて従者が衣を引っ張ると、その破片が蝶々に、ということですね。イヤ、こちらの 方が悲劇としてはずっと良い。たとえば、書院での別れから始まり、まず、対唱で別れの悲しさと秘めた感情を歌いあげる。家に戻った英台の山伯の求婚を待つ場面と抗婚の父との対唱はそのまま。その後は、山伯と会って対唱ではなく、英台が山伯に手紙を送るとかいう設定にして、山伯はアリアを歌いあげて絶命。英台は、『鎖麟嚢』みたいに雨に降られて亭で休み、そこで梅香から墓の存在を聞いて駕籠から駆けだして、慟哭のアリアを十五分くらい歌い上げて、埋壁。梅香が泣きわめき、知らせを聞いて駆けつけた 父母が悲嘆にくれ反省するところ、蝶々が登場してお仕舞い。中国のロミオとジュリエットというのなら(って、梁祝故事の発生の方が遥かに古いんだけど)、 このくらいすべきだと思いますが、さて。

ところで、雲散霧消してしまった旧北京三団の面々、近頃は火丁との共演が多いですねえ。でも、李崇善はさすがに衰えが隠せませんねえ。セリフのとちりも一カ所あったし。北京では貴重な余派老生なんだけど。岳恵玲、15年前は 結構贔屓だったのですが、90年代に肥大化して、すっかりパンパンになってしまいましたねえ。98年くらいに法門寺を見たときは、腕輪を拾いながら尻餅ついて、 あーあだったのですが、今回も、暗転して退場のところ、舞台袖近くのスピーカーに引っかかって、次の場の照明が入ってからようやく退場、というミスが。うーん、 私が見てるときに限ってなぜ?

久々に、茶席最前列で見ました。昔、吉祥最前列の常連だったころは、人民劇場や工人クラブのオケピ付き劇場最前列が舞台から凄く遠く感じたモノですが、 そう、現長安では茶席最前列くらいが吉祥の6列目くらいの距離感なのだなあ、と、改めて思い出しました。そりゃ、後ろのシート席が遠いわけだ。舞台と客席 の一体感の喪失、これも京劇低迷の一つの要因だと思いますねえ。

ま、火丁を見に行く・聴きに行く分には、充分満足できる劇だと思いますよ。