楊継業には八人の男子があったが、遼国との金沙灘の戦いに太宗皇帝を守るため一郎・二郎・三郎は戦死、七郎は通謀者に殺害された。また、五郎は五台山で出家し、四・八郎は敵に捕らえられるが名前を偽り逃れ、さらに武勇を見込まれて公主の婿に選ばれた。
十五年後、遼の蕭天佐は天門陣を構えて北宋に挑戦、宋帝は佘太君、楊延昭、八姐、九妹、楊宗保らを率いて親征に赴いた。知らせを聞いた四郎(木易・楊延輝)は、この機会に老母を訪ねたく思ったが、両国が交戦中のため関所は堅く閉ざされていた。その妻・鉄鏡公主は彼が鬱々としていることを詮索、四郎は終に自らの出身を明かし、公主に蕭太后の令箭(軍事に用いる手形)を盗んで、母との再会を果たさせてくれるように頼む。公主は四郎に誓いを立てさせて、ようやく願いを聞き入れる。(《座宮》)
公主は母の蕭太后に目通りし、子供をあやすと偽って令箭を詐取する。(《盗令》)四郎は漢人の服装に改め、大国舅・二国舅の守る雁門関を越える(《過関》)。北宋の陣営では楊宗保が夜間巡視に当たっていたが、馬の音を聞いて絆馬索を張り、四郎を捕らえる(《巡営》)。
元帥・楊延昭は捕縛された敵の間者を本営に連行させるが、兄であると知っていましめを解き(《見弟》)、母のもとに案内して一族は十五年ぶりの再会を果たす。(《見娘》)四郎は更に旧妻・孟金榜とも再会するが、時は瞬く間に過ぎ四更の刻限になった(《見妻》)。四郎は鉄鏡公主の前で立てた誓いを守って帰ろうとするが、涙のうちに時は過ぎ、五更に至った。四郎は急ぎ雁門関に向かう(《哭堂》)。
ことは既に大国舅・二国舅に見破られており、四郎は雁門関で捕らえられる(《被擒》)。蕭太后は自ら四郎を訊問、楊家将の一人と知り、斬罪を申し渡す。急報に駆けつけた鉄鏡公主は太后に助命を嘆願、憐憫の情を起こした大国舅・二国舅に助けられて、ようやく事なきを得る(《回令》)。
-小説《楊家将》には見えない。斉如山によると、清末の道光・咸豊年間、四喜班(劇団)の《全部雁門関》がヒットしていたが、名優・張二奎が他の劇団で演ずるにあたり、盗作との非難を避けるため、原作の《八郎探母》を《四郎探母》に改めたという。
-中国京劇院演出本では多く《見妻》が省かれる。