-蘆蕩火種
日中戦争期、蘇南常塾中国共産党県委は、沙家浜陽澄湖のほとりに連絡站を設けていた。連絡員﹒阿慶嫂は茶館を開いてカモフラージュしていた。新四軍はこの地を撤退するとき、傷病員十八名を残したが、県委の命により、阿慶嫂が湖の芦原にかくまった。ゴロツキの武装忠義救国軍は、蒋介石に買収されて、日本軍と結託し、反共﹒叛国した。偽の司令・胡伝葵と偽の参謀長﹒刁徳一は日本の命を受けて沙家浜に進駐し、新四軍の傷病員を捜査した。胡伝葵は日中戦争初期に阿慶嫂に命を救われたことがあり、刁徳一は当地の狡猾な地主である。二人は功を焦って、阿慶嫂に会うと、何度も詭計を用いて問いただした。阿慶嫂は身を虎穴におきながら、機知を用いて勇敢に何度も敵の攻勢を破り、傷病員たちは芦原の中で安全無事であった。後に胡伝葵の結婚の日、阿慶嫂と県委委員は計略をめぐらせ、傷病員に変装させ、祝宴の席に引き入れ、新四軍の主力部隊と呼応して、ゴロツキどもを一網打尽にした。沙家浜一帯には、再び赤旗がひるがえった。
-「浜」とはクリーク地帯の小さな入り江のこと。「濱」の略字体ではない。
-別名《蘆蕩火種》。汪曾祺﹒毓珉﹒肖甲﹒薛恩厚が同名滬劇に基づいて改編。1964年、北京京劇院四団により初演。