『説岳全伝』/10

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第十回

大相国寺にて (そぞろ)評話(こうだん)を聴き
校場(れんぺいじょう)にて 私に状元を(うば)

詩に曰く

世事 紛紛として転輪に似たり
秋来たり冬過ぎ又春に逢う
徒然に蝸角の名利を争うも
往昔 今朝 一墳を同じくする

さて、牛皐がかの二人について人混みの中に入り目を挙げて見れば、それは一人の講談師が講釈場を設け、集まった多くの人々が座って講談を聞いていたのだった。講談師は三人が入ってきたのを見て、慌てて立ち上がり

「お三方、どうかお座り下さいませ。」

二人は遠慮もせず、真正面に座った。牛皐も肩を並べて座り講談を聞いた。語るは『北宋金槍倒馬伝』の故事。まさしく話が、

「太宗皇帝は、親しく五台山を参詣なさり、潘仁美に誘われるまま透霊牌をご覧になりました。映し出されたのは、塞北は幽州、天慶梁王が蕭太后娘々の梳粧楼、見れば楼の上には五色の光が輝いております。太宗が仰せになるには

『朕はかの梳粧楼を見に行きたいが、行けるかな。』

潘仁美が奏上するには、

『貴くも天子であらせられれば、富は四海を有しますに、いわんや幽州など。潘龍に詔勅を届けさせ、遼国にしばし城を明け渡させて、陛下が見に参られればよろしいでしょう。』

そのときまろび出たのは、かの開宋金刀閣下の老令公楊業、列を離れて奏上するには、

『行ってはなりませぬ。陛下は万乗の尊にあらせられれば、どうして軽々しく虎狼の城に入ることが出来ましょうや。もしも万一のことがあれば、ただごとでは済みませぬぞ。』

太宗が仰せになるには

『朕が太原を取ったので、遼の者どもは肝を冷やしていよう。差し支えなかろう。』

潘仁美はこの機に乗じて奏上します。

『楊業は僭越にも陛下の御幸を妨げましたので、彼ら親子を牢に下すべきであります。帰還ののち、再び罪を論じなさいませ。』

太宗にはご裁可なさり、楊家の親子を捕らえました。勅命を下して潘龍を遼国に差し向ければ、天慶梁王は詔勅を受け取り軍師撒里馬達と商議します。撒里馬達が奏上するには、

『狼主*1 、これを逆手にとって、七十二島の軍勢、百万を招集して四方に伏兵し、宋太宗が来たならば幽州を取り囲みます。南朝の天下は必ずや狼主のもの。』

梁王は大いに喜び、計に従い行います。潘龍をもてなし、城を明け渡し、恭しく陛下の光臨をお迎えすると伝えました。潘龍が復命しますと、太宗は大臣たちを伴って、五台山を離れて幽州にやってきました。梁王が出迎え城内に入って、まだ席も温まらぬうち、伏兵が一斉におこり、幽州城を水も漏らさず取り囲みました。幸いにも、八百里浄山王の呼必顕*2 が詔を隠して城を出て、天慶梁王に謁見すると、都より玉璽を取って帰り中原を献上すると偽り重囲を通り抜け、雄州に至って楊令公父子九人を召しだして、兵を率いて幽州の囲みを破ります。これこそ『八虎、幽州をさわがす』の段、楊家将の物語でございます。」

ここまでで話は終わりになった。白装束は、財布を取り出して開くと、二錠の銀子を講談師に渡した

「道友*3 、我らは通りすがりの者なので、些少だが許してくれ。」

講談師

「旦那様方、ありがとうございます。」

二人が身を翻して去っていくと、牛皐もついて出ていった。かの講談師は、彼ら三人一緒だと思っていたので、ただ聞きされたとは気づこうはずもない。牛皐は心中また考えた。

「こいつはいったい何考えてやがるんだ。銀子二錠も払うとは。」

赤装束

「兄貴、いましがたの二錠の銀子は、兄貴にとっては大したことではないが、ここ都の人が見たならば、兄貴は田舎者だと言うことだろうよ。」

白装束

「兄弟、聞かかったかい。わが祖先の父子九人、ご先祖様一人一人が、百万の軍中に敵なしと言っただろう。二錠どころか、十錠にも値するさ。」

赤装束

「そうでしたか。」

牛皐はひそかに考えた。

「なんと先祖の話だったのか。もしおいらの祖先のことを話したら、何をあげたらいいだろう。」

すると白装束が言った。

「兄貴、こっちの人混みも見てみよう。」

赤装束

「勿論つきあいますよ。」

二人は人混みに入っていくと、白装束が叫んだ。

「皆様方、我らは遠方から来た者ですので、お譲りください。」

人々はそれを聞くと一本の道を開いて、二人に通らせた。牛皐も先ほどと同じように後について行き、今度は何をする者かと見れば、なんと向かいと同じ講談。この道友は彼ら三人が入ってくるのを見て、やはり一声

「お座り下さい。」

三人が席に着いて講釈を聞けば『興唐伝』*4 だった。

「秦王李世民は、枷鎖山にて五龍会に赴きました。内の一人の大将あり、天下第七番目の好漢、姓は羅、名は成、軍師の将令を奉じ、ただ一人で洛陽王王世充、楚州南陽王朱燦、湘州白御王高談聖、明州夏明王竇建徳、曹州宋義王孟海公を捕らえます。」

そして、

「羅成は一人手柄をたてようと、峠道を守りました。」

というところまで話して、終わりになった。かの赤装束は、懐から四錠の銀子を取り出すと、声をかけた。

「君、我らは通りすがりの者で、持ち合わせが余り多くないのだが、勘弁してくれたまえ。」

講談師は何度も感謝して

「ありがとうございます。」

三人は出ていった。牛皐は考えた。

「また奴の祖先だったのか。」

方々、このしばらくの間、牛皐の目の中では、一人の赤装束、一人の白装束と分かるだけ、名前は張と李とも分からない。しかし、それがしは存じている。かの白装束は、姓を楊、名を再興といい、すなわち山後の楊令公の子孫、かたや赤装束は、唐朝の羅成の子孫、羅延慶である。

楊再興

「兄弟、どうして四錠も銀子をあげたのだ。」

羅延慶

「兄貴、彼が私の祖先の武勇を語るのが聞こえませんでしたか。たった一人で牛口谷にて五龍*5 を捕らえたのですよ。兄上の祖先は九人で一人の皇帝を守りながらも命を全うできなかかった、相手になりませんね。私の祖先の方が、あなたの祖先より手強かったといえましょう。だから二錠多く銀子を与えたのです。」

楊再興

「お前、私の祖先を馬鹿にするのか。」

羅延慶

「兄貴の祖先を馬鹿にするつもりはありませんが、実際に私の祖先の方が手強かったのですよ。」

楊再興

「よかろう。俺とお前、宿に戻ったら鎧を着込んで馬に跨り、小練兵場に行って腕比べをしよう。もしも勝ったらここで状元を奪取する、もしも負けたら帰って次の科挙に再度来ることにしよう。」

羅延慶

「それはいい。」

二人は言い争いながら去っていった。

牛皐

「よかったよ、俺がここで聞いていて。そうでなければ、状元をあの畜生どもに奪われるところだったよ。」

牛皐は急いで宿に戻ると、二階に上った。すると彼らはまだ寝たまま起きていないので、心中考えた。

「彼らに知らせることはない。俺が状元を奪ってきて、兄貴にあげるとしよう。」

そこで双鐧をしのばせ、階下に下りて主人に

「私の馬を引いてきてくれ、水を飲みに連れていくので。鞍もしっかりと準備してくれ。」

主人はそれを聞くと、準備を整え、牽いてきた。牛皐は馬に乗ると前に向かって走らせたが、道がわからない。すると二人の老人が、長椅子にもたれてまがきの門のそばで昔話をしているのが見えた。牛皐は馬上から叫んだ。

「おい、じじい、ちょっと聞くが、小練兵場はどっちだ。」

老人はそれを聞いて、怒りに目を見開き口をぽかんとあけ、ただ牛皐を見据えたまま何も言わなかった。牛皐

「さっさと言え。」

その老人はどうしても答えなかった。牛皐

「ついてないな。おしに出くわしたか。もし家ならば、俺様の気にさわろうものなら、殴り殺してやるのに。」

一人の老人

「この粗忽者。都でそんな無礼が許されるものか。幸いわしら二人が年寄りだったからよかったものを、もし若者に出くわしていたら、お前になど取り合わず、七八回も行ったり来たりすることになっただろう。ここから東に向かい南に曲がれば、小練兵場だ。」

牛皐

「くたばり損ない、さっさと俺様に説明すればいいのに、色々ぬかしやがって。兄貴の顔に免じて、打ち殺すのは勘弁してやろう。」

言うと、馬にむちをくれて走り去った。二人の老人は怒りに腹もはち切れんばかり

「天下のどこにあのような乱暴者がいよう。」

さて牛皐が馬を飛ばして小練兵場の門までやってくると、叫び声が聞こえた。

「たいした槍だ。」

牛皐は焦ってあわてて練兵場に入れば、二人は馬を走らせ槍を舞わせ、まさしく戦いたけなわなのを見て、大声で叫んだ。

「状元は俺の兄貴のものだ。お前ら二人は、ここで奪うつもりか。俺様の鐧を食らえ。」

さっと鐧を一振り、楊再興の脳天めがけて打ちかかった。楊再興が槍で受け止めてみると、なかなかの重さであったので

「兄弟、この乱暴者はいったいどこからやってきたものか。我々はもともと兄弟、何の武芸を比べるというのか。こいつで遊んだ方が面白かろう。」

羅延慶

「その通りだ。」

そこで槍をしごいて、牛皐の鳩尾めがけて突きかかった。牛皐が受け流したところに、楊再興も突きかかってきた。牛皐は二本の鐧で、頭で舞わして脳天を守り、受け止め遮ったが、しばらくすると、次第に防ぎきれなくなってきた。

考えてご覧なさい。牛皐は家を出て以来、まだ好漢にあったことが無いのである。まして楊再興は英雄無敵、その爛銀槍は杯ほどの太さがある。羅延慶は力がはかり知れず、一本の鏨金槍を使い、あたかも天神。牛皐はどうして二人の敵であろう。幸いに京城の中であったので、二人は彼の命を奪おうとせず、彼を追いつめて楽しんでいたのである。すると牛皐が大声で叫んだ。

「兄貴がまだ来ないのならば、状元を他人に奪われてしまうぞ。」

楊・羅の二人はそれを聞いて、おかしくもあり、腹立たしくもあり

「この阿呆は何を兄貴兄貴と叫んでいるのだ。おそらく腕のたつやつがいるのだろう。ひとまずやってくるのを待って、会ってみるとしよう。」

そこでますます牛皐を追いつめて、逃がさなかった。

さて、宿屋の二階で岳飛が眠りから覚めると、三人はみな眠っていたが、牛皐だけが見えなかった。そこで三人を呼び起こし、尋ねた。

「牛兄弟は。」

三人

「みんな寝ていたのだから、分かるわけがないだろう。」

岳飛は三人とともに慌てて階下におりて主人に尋ねた。主人

「牛様は馬を支度して、水を飲ませに行きましたよ。」

岳飛

「どのくらいになりますか。」

宿の主人

「もう一時ほどでしょうか。」

岳飛は叫んだ。

「王兄弟、彼の武器があるか見てきてくれ。」

王貴はそこで二階に上り、見て戻ってきた。

「彼の双鐧は壁に掛けてあったはずだが、見あたらない。」

岳飛はそれを聞くや、驚いて顔面蒼白になり、叫んだ。

「大変だ。主人、急いで我々の馬を準備して下さい。兄弟たち、それぞれ武器をしっかりと持つのだ。もし何事もなければそれまでのこと、もしも禍を引き起こしたなら、逃げる支度をするしかない。」

兄弟たちは二階に上って衣服にしっかりたすきをかけ*6 、武器を持っておりてきた。主人は既に入り口に四頭の馬を準備していた。岳飛はまた主人に尋ねた。

「牛兄弟はどちらに行きましたか。」

主人

「東に行きました。」

兄弟四人は、馬に乗ると東に向かったが、三叉路にたどり着き、彼がどちらに行ったか分からなくなった。ふとまがきの門のそばで、二人の老人が座りながら手足を打ちならしているのが見えたが、何を話しているかは分からなかった。岳飛は馬をおり、近づき拱手した。

「失礼ですが、ご老体にお尋ねいたします。さきほど、色黒の大男が黒馬に跨るのをごらんになりませんでしたか。どちらの方に向かったかご存じでしたら、どうかご教示くださいませ。」

その老人

「その黒い男はあなたの何ですか。」

岳飛

「それがしの弟です。」

その老人

「あなたはこんなにも礼儀正しいのに、あなたの弟さんは、どうしてあんなに乱暴者なのかね。」

そして道を聞かれた様子を話して聞かせ

「幸いにもこの年寄りに会ったからいいようなものを、もしも他人であったら、どんな道を教えられたかわかったものではない。あれは小練兵場に行くといっていましたな。あれをお探しなら、東に向かって南に折れれば、小練兵場が見えるでしょう」

岳飛

「ご教示、ありがとうございます。」

そこで馬に跨って進めば、遠くに見えてきた。すると牛皐があちらで大声で叫んでいるのが聞こえた。

「兄貴がまだ来ないのなら、状元は他人に取られてしまうぞ。」

岳飛が慌てて中に入ると、牛皐が顔色を失い口から白い沫を吹いているのが見えた。また見れば、一人の白装束が白馬に跨り爛銀槍を使い、一人の赤装束が赤馬に跨り鏨金槍を使い、あたかも天神のようであるかのよう。二本の穂先が弧を描いて牛皐にまとわりつけば、牛皐にどうして防ぎきれよう。岳飛はしかと見届けると、叫んだ。

「兄弟たちは控えていろ。愚兄が救って来る。」

言うや、馬に鞭くれ駆け寄って、大音声に呼ばわった。

「わが兄弟に手を出すな。」

楊羅二人はそれを聞き、牛皐を捨てて二本の槍を一斉に突き出す。岳飛が槍を下に向けて振り下ろせば、大音響がとどろき、二人の槍の穂先は地面に着き、左手はほどけ右手は石突きを握っていた。この技は『敗槍』といい、もはや逃げ道は無い。二人は驚き岳飛を見て

「今回の科挙の状元は、この人に決まった。我らは行こう。」

そして馬をたたいて去った。岳飛は後を追いかけて、叫んだ。

「二人の豪傑お待ちあれ。お名前をお聞かせ願いたい。」

二人は振り返ると

「我らは山後の楊再興、湖広の羅延慶だ。今回の科挙の状元は、ひとまずお前に譲ろう。また会おう。」

言うや馬をたたいて去っていった。

岳飛が馬首をめぐらし小練兵場にやって来ると、牛皐はまだ息を切らしていた。岳飛

「お前はどうして彼らと戦い始めたのだ。」

牛皐

「おかしいことを言うなあ。おいらがここで奴らと戦ったのは、兄貴に状元を奪ってあげる為じゃないか。思いがけなく、あいつらとても手強くて、かなわなかった。幸い兄貴がやってきて奴らに勝ったから、状元はきっと兄貴のものだろう。」

岳飛は笑って

「それはありがとう。この状元というものは、天下の英雄と腕比べをして、誰もかなわなかったら、初めて状元になるもの。どうして二三人で勝手に奪えるはずがなかろう。」

牛皐

「それなら、おいらが奴ら二人とこんな長い時間、戦い損したのか。」

兄弟たちは大笑いし、それぞれ馬に乗って宿に戻ったことはさておく。

さて、楊再興と羅延慶の二人は宿に戻ると、荷物をまとめて帰っていった。

話は戻って、岳飛が翌日起きて朝食を食べると、湯懐が張顕・王貴とともに話しかけた。

「私たちは以前から剣を一振り買って腰にさげようと思っていたのですが、昨日、あの二人の奴らを見ればどちらも持っていましたし、牛兄弟にもあります。我々が腰にさげる剣を持っていないのは、どうにも格好がつきません。今日は兄上にご同道願い、各自一振りずつ買おうと思いますが、いかがでしょう。」

岳飛

「それは欠かせないものですが、私はお金に余裕が無いので言い出さなかったのです。」

王貴

「大丈夫です。兄上も一振り買うのなら、私が金を持っていますから。」

岳飛

「それならば、一緒に行こう。」

それぞれ金を持って、宿の主人に部屋をみておくようにいいつけると、一同門を出た。大通りにやってきて歩いてみたが、刀屋に掛けてあるのはどれも平凡な品ばかり、業物が全くない上に通行人で込み合っている。岳飛

「裏通りに行ってみた方がよさそうだ。あるいは良い品があるかも知れない。」

兄弟たちとある横町に入ってみれば、店構えがよいもの、賑やかなもの、さびれたもの様々だった。

ある店の中を覗いてみれば、幾つかの骨董がならべてあり、壁には有名人の書画や五六振りの刀剣が掛けてあった。岳飛が店内に入ると、店主は急いで立ち上がり拱手して

「旦那様がた、お座り下さい。どの様な品物をお探しでしょうか。」

岳飛

「私たちが探しているのは他でもありません、もしも良い刀あるいは剣があれば、お見せください。」

店主

「ありますとも、ありますとも。」

あわてて一振りの剣を取りだし、きれいに拭って持ってきた。岳飛は受け取ると、まず鞘を見て、それから剣を抜いて一目見ると

「このような剣では役に立ちません。良いものがあったら出してください。」

店主はまた一振りの剣を持ってきたが、やはり気に入らなかった。続けざまに何振りか見たが、どれも同じ。岳飛

「もし良いものがあるのなら、持ってきてください。無いのであれば、これにて失礼いたし、もうお手を煩わせません。」

店主は心中不快に感じて

「お客様、この何振りかの剣が、どうして良くないとおっしゃるのですか。ご教示ください。」

岳飛

「王孫や公子、官僚の子弟などに売るのであれば、見栄えがよいものをほしがるもの、良くないことがありましょうか。我らが欲しいのは、戦場で身を守り、国を安んずるためのものですから、どうして役に立ちましょうか。もしも良いものがあれば、言い値で買いましょう。」

牛皐が口を継いで

「おまえが幾らほしいと言っても、値切りはしないよ。持ってきて見せてくれ。こんな貧相なのはだめだよ。」

店主はまた目を挙げて兄弟たちを見渡たすと

「本当に良いものをお求めでしたら、ただ一振り、手前の屋敷にございます。弟を呼んで旦那様方を拙宅までお連れして見ていただきましょう。いかがですか。」

岳飛

「お宅まではどれくらいありますか。」

店主

「遠くはありません。すぐそこです。」

岳飛

「良い剣があるのなら、多少歩いても構いません。」

主人は丁稚に言いつけて

「中に入って、二番目の旦那を呼んできておくれ。」

丁稚が返事をして入っていくと、すぐに中から人が出てきて

「兄上、何のお言いつけですか。」

店主

「この旦那様方が剣をお求めだが、何振り見ても、どれもお気に召さないのだ。おそらく目の利くお方なのだろう。おまえ皆様にお供して家に行き、あの剣をご覧いただいておくれ。」

その人は返事をすると、一同に向かって拱手して

「旦那様方、参りましょう。」

岳飛も一声

「参りましょう。」

店主と別れて一同店を出ていった。岳飛が細かにその人を見ると、 頭に晋陽巾を帯び、面前には羊脂の白玉。身には青い道袍をまとい、足には真紅の靴を履く。手には湘妃の金扇を持ち、風流にして俊雅超然。

行くこと二里余りで、とある屋敷に着いた。門外のあたりは、みなしだれ柳、低い石垣に、まがきの扉であった。その人が軽く門をたたくと、中から一人の童子が出てきて門を開け、一同を草堂に招き入れ、挨拶をして席に着いた。童子がすすめる茶を飲むと、岳飛は言った。

「あなた様は何という名字でしょうか。」

その人

「まず、方々のお名前と、ご出身をお聞かせ下さい。」

岳飛

「それがしは相州湯陰県の出身、姓は岳、名は飛、字は鵬挙です。」

その人

「ご高名はかねがね。」

岳飛

「こちらは大名府内黄県の湯懐、こちらは姓は張、名は顕、こちらは姓は王、名は貴、いずれも同郷の親友です。」

牛皐が口を継いで

「おいらは牛皐といって、陝西の出身だ。自分の口があるのだから、兄貴に代わりに言ってもらうまでもないさ。」

岳飛

「どうかご勘弁のほどを。この兄弟は、短気な性格ですが、つきあいやすい者なのです。」

その人

「それも得難いことです。」

岳飛がその人の姓名を尋ねようとしたところ、その人は立ち上がって

「皆様、ひとまずお座りください。私、剣をとって参りますので、ご教示ください。」

まっすぐ内に向かった。岳飛は頭をもたげて見回すと

「こちらのお宅は骨董がおすきなようだ。だからこのような古い絵が掛けてあるのだろう。」

また両側の対聯を見ると

「あの人は、なんと周という名字であったか。」

湯懐

「一路、兄上と一緒にここまで来て、まだ彼の姓名を聞いてもいないのに、どうして名字が周だと分かるのですか。」

岳飛

「対聯を見れば分かりますよ。」

一同はそろって見ると

「周の字は書いてありませんよ。」

岳飛

「ご覧なさい、上の句は『柳営に春 馬を試み』、下の句は『虎将は夜 兵を談ず』でしょう。今は兵営・部隊を問わず、いずれもこの対句を貼っていますが、これは唐朝の李晋王*7が周徳威に贈ったものだと知りませんか。だから私は彼の名字は周だと言ったのです。」

牛皐

「名字が周であるかどうか、出てくるのを待って聞けばわかるさ。」

話しているところに、その人が一振りの宝剣を持って出てきて、卓に置いた。また席に着くと

「失礼いたしました。」

岳飛

「いえいえ。どうか先生のお名前をお聞かせ下さい。」

その人

「私は姓を周、字を三畏と申します。」

一同は驚いて

「兄上はまことに神仙だ。」

三畏は立ち上がると

「岳様、どうか剣をご覧ください。」

岳飛は立ち上がって剣を受け取ると、左手でしっかりとつかみ右手で剣身を抜き出すこと、ようやく三四寸、寒気が人に迫るのを感じた。更に抜き出して子細に見るや、慌てて鞘に収めて

「周先生、どうかお仕舞いになってください。」

三畏

「岳様はご覧になったのに、なぜお代を下さらないのですか。もしやお気に召しませんか。」

岳飛

「周様、これはお屋敷の宝物で、値はいくつかの城にも匹敵しましょう。若輩者が妄りな考えを抱きましたこと、どうかお笑いにならないで下さい。」

三畏は剣を受け取ると、もと通り卓に置いて

「おかけください。」

岳飛

「いえいえ、おいとまいたします。」

三畏

「岳様にはこの剣がお分かりになったので、お教え願いたいことがあります。どうしてすぐに行ってしまうのですか。」

岳飛は仕方なく座った。

三畏

「私の祖先は、もともと代々の武人でしたので、この剣を遺したのです。いま私どもは武を文に改めてもはや三代、この剣も何の役にも立ちません。祖父は以前私どもに『もし後にこの剣のいわれを知る者が現れたら、この剣を贈り、びた一文受け取ってはならぬ。』と言いつけました。今、岳様は宝剣であるとわかったからには、是非ともお教え頂かねばなりませんし、あるいはこの剣の主であるのかもわかりません。」

岳飛

「私、あの剣だろうと思うのですが、しかし話してみれば間違えていたら、大笑いされてしまうことでしょう。今、先生が是非にもお尋ねになりたいのであれば、もし間違えても、どうか笑わないでください。」

三畏

「幸いにもお教えいただるのでしたら、私、耳を洗って拝聴させていただきます。」

岳飛が二本の指先を重ねて、ひとしきり話せば、

仇に報いる孝子 千秋に仰がれ
節婦の賢名 万古に留む

といったありさま。

いったいこの剣にいかなるいわれがあるのかは、次回のお楽しみ。


*1 異民族王朝の帝王のこと。
*2 通俗物語中の北宋開国の名将・呼延瓚の子。呼延は本来復姓であるが、通俗文学中では、唐の胡敬徳(尉遅恭)と混同され、呼姓と誤解されている(王古魯『明代徽調戯曲散出輯佚』古典文學出版社 1956参照。)
*3 道士に対する二人称代名詞。講談師(「説書的」)は道士として扱われている。
*4 唐朝成立物語のこと。なお、以下に描かれる羅成の物語は、『説唐全伝』とほぼ一致する。
*5 五人の皇帝の意。
*6 仮にたすきと訳すが、実際は、細い紐を用いて衣服の上から胸部を亀甲にしばり、衣服がふくらまないようにするもの。
*7 唐末五代の軍閥、李克用のこと。