北宋の包拯は朝廷の命を奉じ、飢きんの陳州に食糧を施すために赴くこととなった。出発に際して、包拯の甥の包勉が不正をはたらいたことが発覚、包は親戚の情を捨てて勉を処刑した。勉の母で包の育ての親でもある呉妙貞は知らせを聞いて、赤桑鎮で一行に追い付き、包の忘恩不義を責めて泣き騒ぐ。包は呉を遠回しに説得し、大義を明らかにした。呉は道理を悟り、二人は仲を元にもどす。
- 秦腔より改変。もとは王延齢の説得や宋帝が呉を淑慧夫人に封ずることにより仲をもどす、となっていた。1961年北京京劇院裘盛戎、李多奎演出本より現在の形となる。