#author("2017-05-11T07:02:57+09:00","saisyu","saisyu")
*蘇州AVポスター事件を読む&br;――インターネットと現代中国の文化・社会―― [#r90b9761]
RIGHT:千田 大介
*発端 [#bbf5090d]
二〇〇六年一〇月末、蘇州でWHOの第二回世界健康都市連盟大会が開催された。折しも次期WHO事務局長に香港出身の陳馮富珍氏が内定したところであり、中国のWHO事業への貢献を内外に示す恰好のイベントとなるはずであった。
しかし、同大会はまったく思いがけない事件によって注目を集めることになった。十一月一日、広州の人気紙『南方都市報』など複数の新聞に問題の記事が掲載された。「国際会議がポルノ女優を“イメージキャラクター”に」、蘇州の街角に貼られた同大会の巨大な宣伝ポスターに、あろうことか日本のアダルトビデオのパッケージ写真が使われていたことが発覚したのだ。このニュースは中国の各メディアに相次いで報道されたばかりでなく、日本でも、中国系ブログ・2ちゃんねるなどで話題となったほか、『週刊アスキー』でも紹介されるなど、関心を呼んだ。
しかしなぜ、AVのパッケージ写真が国際会議のポスターに使われてしまったのか?またどうしてそのことがバレたのか?その鍵はインターネットにある。『南方都市報』の記事を拾い読みしながら、インターネットが現代中国の文化と社会にもたらしたさまざまな影響を、解読してみよう。
*マオさんとエロチック・ジャパン [#lc301c9a]
>一〇月二二日、蘇州局第1チャンネルの「ニュース深夜便」……の報道によると、蘇州市民のマオさんが労働路の広告が何かおかしいことに気づき、友人と話し合った結果、日本のAV女優に似ているような気がしたので、インターネットで検索してみたところ、はたしてアダルトビデオ『ぶっとい注射がスキなのよ』の宣伝写真であった。……翌日、江蘇テレビ局の「1860ニュース・アイ」もこのニュースを報道するとともに、サイナ・ストリーミングにアップした。(『南方都市報』)
#ref(http://news.tom.com/uimg/2006/11/1/wangjun/tuav01b_33815.jpg,,蘇州市の宣伝ポスター。)
#ref(http://news.tom.com/uimg/2006/11/1/chenhong/49_40425.jpg)
#ref(http://news.tom.com/uimg/2006/11/1/chenhong/200611010423_118568_71774.jpg)
『ぶっとい注射がスキなのよ』、主演は葵みのり、二〇〇〇年一月一五日、宇宙企画発売(ウィキペディアによる)。図をご覧いただければパクリであることは一目瞭然だ((中国のBBS情報によると、ポスターに使われたのは、雑誌に掲載された、ロゴの入っていないピンナップであるという。))。なぜこんな事になってしまったのか、蘇州市の担当者によると、
>ポスターは蘇州市衛生局があるデザイン会社に委託してデザインしたものである。同社のデザイナーがネット上に、看護婦の写真募集を書き込み、ある人がトリミングしたこの画像を送ったもので、デザイナーは気に入って採用したが、AVギャルだとは思いよらなかった。(『南方都市報』)
>ポスターは蘇州市衛生局があるデザイン会社に委託してデザインしたものである。同社のデザイナーがネット上に、看護婦の写真募集を書き込み、ある人がトリミングしたこの画像を送ったもので、デザイナーは気に入って採用したが、AVギャルだとは思いもよらなかった。(『南方都市報』)
あのぶっとい注射器を見て本当にAVだと気づかなかったのか?という、中国のネットワーカーのツッコミは、もっともである。このようなパクリが横行する理由は、上海の夕刊紙『新民晩報』十一月一日付けの記事に詳しい。
>もしも国内の人物の画像素材を使ったら、すぐに肖像権問題が発生してしまうし、制作コストが高くなる。しかし国外の写真を使えば、こういった心配は無いし、特にアジア系の人の写真は、見た目も中国人と変わらない。
そもそも「人治の国」といわれる中国では、法律を超越した権力がさまざま場面で作用するので、法令遵守意識が育ちにくい。だから、著作権者に訴えられる直接の危険性がないのに、自ら進んで著作権法を守るようなことはしないのである。この事件では、そんな中国ならではの法律意識が、政府のメンツを大いに傷つけたわけである。
**エロ文化としての日本文化 [#r6f09f75]
江蘇テレビ局のニュースのストリーミングは、今でも中国三大ポータルサイトの筆頭、サイナ(新浪)に公開されている((http://news.sina.com.cn/s/2006-10-23/201611312197.shtml ))。要するにユーチューブの後追いサービスだが、そのお陰で日本に居ながらにして、「いや~、何か見覚えあると思ったんだよね~」と嬉々として語るマオさんの姿を拝することができる。
#ref(MrMao.jpg,,マオさん。)
それにしても、ポスターを見てピピっときて元ネタを見つけた、マオさんと仲間たちのAVへの造詣の深さには恐れ入る。教室でのキスを監視カメラに写された学生カップルが退学になるほどお堅いタテマエを貫く中国のこと((『中国文化総覧』第三巻二一一頁【非法性行为(拥吻)】参照。))、AVはもちろん正式販売されていない。しかし、現実には海賊版が大量に流通しているのであり、マオさんがそんな海賊版AVヲタクであることは、論を俟たない。
もっとも、AVにハマっているのはマオさんに限らない。都市から農村まで、中国で広くAVが見られているのは、モハヤ公然の秘密である。「&lang(zh-cn){A片}」なんていう専用の訳語もできているし、二〇〇二年八月には延安で、夜、家でコッソリとAVを鑑賞していた夫婦を、通報を受けた警官隊が突入して逮捕、公権による私権の侵害だとして論議を呼ぶ、なんて事件も起きている((『中国文化総覧』第二巻二〇九頁【&lang(zh-cn){A片}】、同第一巻三〇三頁【&lang(zh-cn){夫妻看黄碟}】参照。))。
また、中国を代表する婦人雑誌『知音』。婦人雑誌にちょっとカゲキな夫婦生活記事が掲載されるのは中国も日本と何ら変わるところがないのだが、その記事をいくつか眺めれば、「A片みたいに激しいのが良いわけではない」とか「女性にもポルノは必要」とか、AVの中国における影響力をはっきりと見て取ることができる。AVの出現以降、日本人の夜の営みがガラリと変わったことはつとに指摘されているが、同様の事態は中国でも発生していると見てよかろう。AVは、中国文化を密かにかつ大胆に改造しているのである。
それにしても、近年の日本文化の中国への影響はエロに偏重している。二〇〇四年には中国系日本人が雲南に開いた女体盛りレストランが折からの反日ムードに大いに油を注いだし、二〇〇六年にはアダルトゲーム『ピアノ~紅楼館の隷嬢達~』のネット配布無料お試し版が中国で大流行、「隷嬢」の一人に『紅楼夢』のヒロイン・林黛玉の名前が使われていたことから非難の嵐が吹き荒れ、ついには古典名作の改竄許さじ!とて、エロゲーとしてはたぶん史上初めて、中国共産党中央の機関紙たる『人民日報』で名指し非難される、なんて事件もおきている((詳しくは筆者のブログ「中華・電脳マキシマリズム」(http://www.wagang.jp/blog/)エントリー97・87参照。))。
日本のマンガやアニメも、主に海賊版を通じて幅広く受容されているが、「萌え」がポルノグラフィーに起源し、マンガ・アニメには性産業としての側面があるという大塚英志の説に従えば((『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるのか』角川oneテーマ21、二〇〇五))、やはりエロの一種であることになる。現代中国における日本の文化的イメージ、それはクール・ジャパンと表裏一体のエロチック・ジャパンでもあるのだ。蘇州AVポスター事件は、はからずもそんな文化図式を露わにしている。
>【&lang(zh-cn){同人志}】 ''同人誌'' “同人誌”なる言葉は日本語からの借用で、……このような文化的借用現象は一九二〇~三〇年代にも出現しており、現代中国語における“革命・書記・科学・文芸復興(ルネサンス)”といった語彙は、すべて日本語からの借用である。……現在の“同人誌”の時代における日本舶来の語彙は“AV・女優・案内人・援助交際……”などで、そこに先述の語彙のような“上部構造”的味わいは全くない。(『中国文化総覧』第二巻 二八〇頁)
*BTとD版と [#s3316a07]
>(マオさんによれば)このAVは今でもネット上で見られるとのことである。(「1860ニュース・アイ」)
テレビインタビューでマオさんは、パソコンでアダルトビデオのパッケージ写真を検索してみせるとともに、それがネット上で見られるとしている。となれば、彼はBTで海賊版AVを落としまくっているのに相違あるまい。
BT、すなわちビットトレント、日本で数々の情報漏洩事件を起こしたウィニーと同種のファイル交換ソフトである。二〇〇一年に公開されるや世界中で多くのユーザーを獲得したが、とりわけ中国ではネットユーザーの27.8%、実に三千万人以上がBTを使ったことがあるという((中国インターネット情報センター(http://www.cnnic.com.cn/)「第一七次中国インターネット発展状況統計レポート」(二〇〇六年一月)。))。日本のウィニーユーザーが一〇〇万人前後とされるのと比べれば、その普及ぶりがよくわかろう。
今や中国BTネットワーク上のコンテンツは、海賊版ディスクよりも遥かに充実している 。内容もAVや映画にとどまらず、あらゆるジャンルに及んでいる。
例えば、中国のゲーマーは、PSなどのゲーム専用機のエミュレータをパソコンで動かし、BTで落としたゲームソフトをプレイするのが一般的だ。また、日本のドラマ・アニメは、テレビ放映後、ただちに「字幕組」と呼ばれるグループによって中国語字幕を付けられてBTに流され、約一週間後には海賊版DVDに焼かれて闇市場に並ぶ。日本ドラマ・アニメの大半は中国に正規に翻訳・輸入されることはないので、台湾版DVDの海賊版とならんで、簡体字の字幕組版が定着するケースが多い。それらの字幕には往々にして語学力や文化理解の不足に起因する誤訳が少なからず見られ、コンテンツと同時に文化誤解まで広めていることもある。
そもそも、国外のサブカル系コンテンツを受容する過程では、さまざまな誤解やズレが生まれることは避けられない。例えば、『クレヨンしんちゃん』の主人公、野原しんのすけは、大人たちの既存の価値体系を、怒りではなくファニーなギャグによって転覆させるが、それが中国人の目にクールに見えたようで、「理想のキャラはしんちゃんだね」と大の大人が語ることもしばしばだ((『中国文化総覧』第一巻三〇七頁【&lang(zh-cn){蜡笔小新}】参照。))。AVにしても、芝居であることがどれだけ理解されているのか疑わしく、日本女性がヘンな色眼鏡で見られているようなフシもある。
中国における日本サブカル受容に見られるこの種のズレは、しかし、日中の庶民レベルのカルチャーギャップを具体的かつストレートに反映したものである。だから、比較文化研究の対象として、また日中相互の差異を認識するための材料として、もっと注目されていいと思う。
**D版文化 [#u366379b]
ところで、BTによって加速する「&lang(zh-cn){D版}」(海賊版)は、著作権を無視した違法な存在であるのと同時に、政府が独占する情報・文化流通制度の埒外にあって、人々に海外の文化・思想を伝えるチャンネルとしての機能も果たしている。その影響は、当然のことながら夜の生活にとどまるものではない。
例えば、大陸の中国語は近年、急速に台湾系語彙を増やしているが、これは海賊版が大量に流通した結果としか考えられない。音楽ではロック。その反権力的な色彩ゆえに、中国当局はロックの輸入を制限しており、九〇年代には工業原料名目で欧米レコード店の不良在庫を輸入し違法転売する「&lang(zh-cn){打口版}」、最近はソウルシーク((『中国文化総覧』第二巻二一七頁【SLSK】参照。))などのファイル交換ソフトを通じて、人々はロックを学んできた。有名ロッカーの左小祖呪に至っては、打口版密売人の出身だ。D版なくして、中国ロックはなかったのである。
映画でも、正式に輸入されていない海外の名作文芸映画をD版によって受容することで、映画人は大いに映画の教養を深めており、それが海外フィルムコンペでの好成績につながっている面もある。
筆者は、違法な存在であるD版の肩を持つつもりはサラサラ無い。しかし、現実としてD版が大きな影響力を持っている以上、現代中国の社会・文化を考える際に、もはやD版を避けて通ることはできないのは事実であり、その製造・流通の実態解明が待望される。
>【&lang(zh-cn){BT下载}】 ''BTダウンロード'' ピアツーピア(P2P)ファイル交換ソフト・ビット‐トレント(BitTorrent)の略称。……ネットワーカーたちは、……話題の映画やドラマであろうと古典的名作であろうと、また正規版であろうと海賊版であろうと、なにもかもe網打尽……BTは海賊版をブロードバンドの高速道路に載せたのである。(『中国文化総覧』第二巻 二一〇頁)
*ネットを駆ける情報 [#i458fe1f]
>まもなく、中国科学アカデミー大学院生の科苑星空BBSで大いに議論が盛り上がった……。十月三〇日、世界健康都市連盟大会の最終日、猫撲・天涯などの大手BBSに『蘇州市がAV女優を使って第二回世界健康都市連盟大会を宣伝』という書き込みがあった。……この書き込みは瞬く間にネット中を駆けめぐった。(『南方都市報』)
一〇月二二日の蘇州のローカルニュースは、翌日、ストリーミング映像としてメジャー・ポータルサイトにアップされたが、全国的話題となるまでに、一週間ほどの時間を要した。なにせ、省市区級有力テレビチャンネルだけで一二〇以上、全国のチャンネル総数は四〇〇〇を越えるという中国のこと、映像やネタの数もハンパでないから、これくらいの時間は必要なのである。
蘇州のローカルニュースに最初に反応したのは、遥か彼方、北京の中国科学アカデミー院生BBS「科苑星空BBS」((http://bbs.gucas.ac.cn/ ))であった。中国の大学は全寮制であるため、二十四時間いつでも素早くアクセスできる学内コミュニティが歓迎されるようで、どの大学もBBSサービスを提供している。その種のBBSでは、学術や国家政策に関する議論、大学周辺の美味い店情報、ネタ雑談、猥談などの板があり、レポート・宿題の「教えて君」が出現するのはもちろん、試験代理受験や卒論代作の「ガンマン」募集が書き込まれることさえある。管理は一般に甘い。
その科苑星空BBSにスレが立ったのは、レジャー・娯楽カテゴリのジョーク板、マオさんが帰宅後、奥さんにきつーくお灸をすえられたのではないかという雑談ネタにされたものである。
**インターネットがもたらした革命 [#ye57a550]
十月三〇日、蘇州AVポスター事件は複数のメジャーBBSに再投下され、ネットを席巻した。昨今の日本のBBSは、2ちゃんねるの天下であるが、中国のBBSサイトは郷党主義的な拡散性にその特色があり、ポータルサイト系のサイナ((新浪、http://www.sina.com/ ))・((搜狐、http://www.sohu.com.cn/ )) ・ネットイース((163・网易、http://www.163.com/ ))、BBS専門サイトの天涯((http://www.tianya.cn/ )) ・西祠胡同((http://www.xici.net/ ))・西陸((http://www.xilu.com/ ))・凱迪((http://www.cat898.com/ ))といったメジャーBBSが林立している。とはいえ、一部を除いて、大半は似たり寄ったりの趣味雑談やコピペである。
ところで、ローカルニュースがマイナーBBSによって発掘され、メジャーBBSに転載されてブレイクするというのは、ここ数年、スキャンダルや社会的話題がたどる典型的なパターンとなっている。国家ではなくネットワーカーの手によって、情報が発掘されたり、ボトムアップ的に伝播・拡散したりしているのであり、ここにインターネットとBBSが中国にもたらした革新性がある。
中国では、あらゆるメディアと文化が、共産党のプロパガンダ・ツールとして位置づけられており、情報は基本的にトップダウンで伝えられる。ところが、一九九〇年代後半に共産党の管理が完全には及ばない新メディアとしてインターネットが出現したことで、草の根の人々が直接に情報を発信する、ボトムアップの情報ルートが開けた。そのルートに乗って、国家に認定されたプロでなくても、個々人が見解や批評、さらには文学・音楽・映像などの作品を発表することが可能になった。それに加えて、BTなどによる海外コンテンツの流入をも引き起こしたのであるから、中国におけるインターネットの衝撃は、日本や欧米のそれとは比較にならないほど巨大だったのである。
とりわけBBSは、人々のナマの声が反映されることから、世論を映す鏡であると位置づけられるようになった。近頃の中国政府は世論の動向に神経を尖らせるようになったと言われるが、その世論とは、とりもなおさずBBS世論のことを指している。
その一方で、政府のネットやBBSに対する締め付けは年々強化されている。例えば、BBSには「&lang(zh-cn){敏感语}」(NGワード)のフィルタリングが義務づけられており((『中国文化総覧』第三巻二三七頁【&lang(zh-cn){敏感词}】参照。))、蘇州AVポスター事件に際しても、一部BBSで「&lang(zh-cn){葵实野理}」「&lang(zh-cn){我爱大针筒}」などの語が使えなくなるなどの影響が見られた。また、人口の七割を占める農民の大半は、インターネットとは縁のない生活を送っている。だから、昨今の中国のBBS世論は、都市のプチブルと学生らが政府の許容する枠内で異議をとなえるだけのものに過ぎないことも事実である。
それでも、ボトムアップ的な言論チャンネルとしてのBBSの革新性と影響力に疑問の余地はない。メジャーBBSでAVポスター事件が弾けた翌十月三一日、新聞報道を待たずに蘇州市当局が問題のポスターを撤去したことは、BBSの社会的影響力の大きさを端的に示している。
>【BBS】 ……電子掲示板の意。……開放的な空間とネチズンの言論発表の場を……提供する。……とりわけ思想・文化的な内容に適していることから、紙媒体の制約を超えた自由かつ比較的高度な討論を実現するものとして、学術界の注目を集めた……。(『中国文化総覧』第一巻 二四〇頁)
*蘇州市さん、お金払ってね♥ [#md26f331]
>''日本のAV女優・葵みのり、蘇州に版権料請求 マネージャーが記者会見''&br;
十一月五日、葵みのりのマネージャーが記者会見を開いた。……日本の報道によると、葵みのりはマネージャーを通じてコメントを発表した。「中国の方々が私の作品を楽しんでくださっているそうで、嬉しく思います。蘇州市には版権料を支払っていただけるように、法的措置をとることに致しました。」
十一月五日頃、こんなニュースが各BBSを駆けめぐった。これを見て、日本のAV女優ごときが、宣伝してもらっておきながら訴訟とはなにごとだ!と憤慨する青年があれば、本当に訴えられたら蘇州市はメンツ丸潰れだとOTZなネットワーカーもあり、ともあれ燃料投下を受けてBBSは盛り上がりを見せた。
しかし、このニュース、日本で報道されているというが、出所が明記されていないし、どこをどう探しても見あたらない。そもそも、葵みのり嬢は二〇〇一年三月を最後にAV業界から足を洗っているハズだ。そう、これはニセニュースなのである。
中国では、しばしばこの手のニセニュースがメディアを駆けめぐる。ニセニュースには、他者の足を引っ張るダークな手段として、あるいは権力に対する抵抗の一つのスタイルとして生み出されるもののほかに、宣伝工作(&lang(zh-cn){炒作・恶炒})やスタンドプレー(&lang(zh-cn){做秀})の手段としてでっち上げられるものも多い。
宣伝のためのでっち上げは、文化・社会のあらゆる領域に見られる。文学界でもこの種の事件は多発しており、二〇〇三年には女性作家・貝拉の作品がハリウッドで映画化されるという情報が出版社のでっち上げであることが発覚したし((『中国文化総覧』第二巻二八頁参照。))、二〇〇五年に春天文学賞を受賞した少年作家・彭揚は、早大生の友人が日本語に訳してくれた自作小説で、日本の「少年村上春樹文学賞」を受賞したと自称している((『中国文化総覧』第三巻二〇五頁【&lang(zh-cn){春天文学奖}】参照。))。
ニセニュースは、現代中国のモラルハザードや拝金主義を如実に反映した現象である。ネットは、一方ではその流通に力を与えているが、しかし、ニュースのウソを暴くのも、往々にしてネットワーカーの執念やひらめきである。
もっとも、ネットに流布した葵みのり記者会見ニュースのウソは、未だに暴かれていないようだ。それは、このニセニュースの眼目が蘇州市政府という権力に対する反抗という点にあるので、ネットワーカーがウソを暴く必要が無い上に、被害者である政府もヘタに騒いで事件を大きくするわけにいかないからであろう。
>いわゆる“目を引きつける”ことが、いまやメディアのキーワードとなっており、一部の道徳性が怪しい知恵者は、“目”……の数を追い求めるために手段を選ばず、ウソやペテンをも厭わないが、これは流行のタームで“スタンドプレー”と呼ばれている。……こうした厚顔無恥な傾向は……目下最も破壊的な“文化ウイルス”となっている。(『中国文化総覧』第一巻 五頁)
*おわりに [#tb20d90c]
ニセニュース以後、あらたな燃料が供給されなかったことから、騒動は終息に向かった。ネタを探し求めては群がり大騒ぎする、そんな日々に明け暮れる中国のネットワーカーたち((『中国文化総覧』第四巻&lang(zh-cn){【哄客】}参照。))にとって、「祭り」と呼べるまでには盛り上がらなかったこの事件は既に忘却の彼方かもしれない。中国のネット上において、ニュースはもはや音楽や映画・小説、さらにはAVなどと同様に、一時の楽しみのための消費物に過ぎなくなっており、蘇州AVポスター事件も、そのように消費されたのである。
以上に概説してきたように、現代中国の文化と社会は、政府による伝統的な統制システムの外に、インターネットを媒介とする民間のシステムが形成され、混沌とした様相を呈している。今やあらゆる文化事象は、政府システムと民間システムのせめぎ合いを背景としているのであり、ネットメディアを縦横に駆使しなくては実情を見定めることが困難になっている。蘇州AVポスター事件は、そんな中国のネット時代のありようを映し出した、極端ではあるが、特殊ではない事件であると言えよう。
*参考文献 [#vf078e7e]
朱大可・張閎編 高屋亜希・千田大介監訳『チャイニーズ・カルチャー・レビュー~中国文化総覧』 好文出版
>第一巻 二〇〇五年十月&br;
第二巻 二〇〇五年十月&br;
第三巻 二〇〇六年七月&br;
第四巻 近刊
>※『アジア遊学』97「特集 現代中国のポピュラーカルチャー」(勉誠出版、2007.3)掲載。タイトルは、雑誌掲載時には文字数の都合で改題されたため、原題に戻しています。