陳州が天災にみまわれ、宋王は四国舅に命じて、陳州に食糧放出に行かせたが、国舅は米に砂を混ぜて支給し民草を害した。宋王は人を陳州に派遣して国舅を捕らえさせようとしたが、誰も命に応ぜず、ただ包拯のみが行くことを願った(〈封相〉)。
曹妃は兄が罪に問われるのを恐れて、皇后の御座車を借りて、包拯の行く手を阻む。包拯は三度回り道するが、妃は譲らない。包拯は皇后が乗っていないことを見破り、御座車を打って突破させる(〈打鑾駕〉)。
包拯は途中、韓鋪で、官僚たちの餞別を受けるが、その甥の包勉が曹妃の死霊にとりつかれ、自ら県令をしたときに賄を受けたことを言い、包拯は怒って彼を鍘する(〈鍘包勉〉)。
知らせを聞いた、包拯の兄嫁の呉月英が韓鋪に駆けつけ、その昔、父母に棄てられた包拯を連れ帰り、親しく乳を与えて育てたことを細かに話し、包勉を鍘したことを責めたてる。包拯は兄嫁に母のようにつかえていたので、跪いて詫び、君命を帯びているにもかかわらず、立ち上がろうとしなかった。兄嫁はその誠に感じて、陳州に行くことを許す(〈跪韓鋪〉)。
太康の書生・劉秀生は、都に科挙受験に上ろうとしたが、路銀がなかった。焦三は劉の妻の柳氏をうらやんでいたが、家に援助する銀があると偽り、秀生を牌坊の下におびき出して殺し、死体をドブに棄てた。包拯は陳州への途中、太康を通りかかると、旋風が道を阻んだので、王朝・馬漢に後を追わせるたところ、牌坊の前で風は止まった。そこで牌坊を縛り上げて取り調べ、鞭で八十叩きに処した。見物に来た焦三を、牌坊の幽霊が鎖で縛り留めたため、包拯は疑い、きびしく取り調べて自白に追い込み、打ち殺させる(〈審牌坊〉)。
包拯が陳州に到着すると、四国舅は厳しく防備を固めており、城に入り難かった。ちょうど妓女たちが国舅府に誕生祝いに行くのと出会い、包拯は頭にやりてばばの帽子をかぶり、手に太鼓を持ち、城に紛れ込む。街角でひそかに護衛する楊文角と出会うが、国舅に見破られ、ともに水牢に下される。王朝・馬漢は将兵を動員して、国舅府を捜索し、包・楊を救いだし、四国舅を鍘する(〈下陳州〉)。
- 物語は元曲《陳州糶米》・小説《七狭五義》などに見えるが、それぞれ異同が多い。