『説岳全伝』/13 のバックアップソース(No.1)

*第十三回 [#pfcae241]

**昭豊鎮((未詳。)) [#iffa5237]
に王貴 病に染まり&br;&ruby(むだこう){牟駝岡};((開封城西北の要衝。))
に宗沢 &ruby(じん){営};を&ruby(ふ){踹};む


詩に曰く

>旅邸に相い依り 故人に頼る&br;新たな&ruby(とも){知};も亦た賓を遠く留むを&ruby(がえ){肯};んず&br;若し王貴の&ruby(とど){淹留};まり住むに非ざれば&br;宗沢 &ruby(いづく){安};んぞ&ruby(よ){能};く独り&ruby(じん){営};を&ruby(ふ){踹};まんや

さて、岳飛兄弟五人は練兵場から逃げ出し、まっすぐ留守衙門にやってくると、そろって馬を下りて轅門に向かってひとしきり大泣きし四拝すると、守衛の巡捕官((巡査くらいの官。))
に言った。

「お手数おかけいたしますが、閣下によろしくお伝え下さい。『私、岳飛等は今生で恩返しすることが出来ませんでしたので、生まれ変わって犬馬の力を尽くしたいと思います』と申し上げて下さい。」

言い終わると、馬に乗って寓所に戻った。荷物をまとめて馬にくくりつけ、主人に勘定を済ませると、別れを告げて門を出て、馬に跨り故郷に帰ったことはさておく。

さて、役人たちは武生が散り散りになったのを見ると、梁王の郎党に死体を片付けさせ、それからそろって午門にやってきた。早くも張邦昌が奏上するには

「今回の武挙は、宗沢の門生岳飛が梁王を突き殺したがために、武生どもが散じてしまいました。」

全ての責任を宗沢にかぶせた。幸いにも宗沢は先帝からの老臣であったので、陛下は不愉快に思し召されたとはいえ、罪を定めるわけにいかず、ただ宗沢の官職を削って蟄居を御下命になっただけだった。試験官たちは恩に感謝して退出した。

宗沢が衙門に戻ると、早くも守衛の巡捕が跪いて言上した。

「さきほど岳飛ら五人が轅門で泣きながら拝礼し、『来世で閣下の洪恩に報いるしかありません』と申しておりました。ご報告いたします。」

宗沢はそれを聞いて、ため息しきり

「残念だ、残念だ。」

郎党に命じた。

「急いで奥に行き、わが衣装箱を持ってこい。一緒に追いかけるぞ。」

郎党

「彼らはもう遠くまで行っているでしょうに、閣下はなにゆえ追いかけるのでしょうか。」

宗沢

「おまえごときには分かるまいが、その昔、蕭何は月下に賢人を追って漢朝四百年の天下を築き上げた。今、岳飛の才は韓信に劣るものではない。まして国家が人材を必要としているとき、どうしてこの柱石を失うことができよう。それゆえ、わしは彼を追いかけて、いささか言い含めておきたいのだ。」

そのとき郎党が急いで衣装箱を運んでくると、宗沢はまた些かの金銭をもち、従者を率いて一路追いかけたことはさておく。

さて、岳飛たちは城門を出ると、馬に鞭くれ道を急いだ。牛皐

「ここまで来たら、やつらがどうする心配もなかろうに、なぜこんなに急いで走るんだ。」

岳飛

「兄弟、おまえには分かるまいが、奸臣どもが先ほどなぜ我らを易々と逃がしたと思う。恩師が取りなしてくださり、また人々が騒いで不測の事態になるのを恐れたから、我らを逃がしたのだ。我ら急いで行かなくては、もしあの奸賊がまた別の手を打ってきて不測のことがあったら、後悔先に立たずだ。」

一同声をそろえて

「兄上の言うとおりだ。我々急ぐのがよい。」

話しながら道を急ぎ、しばらくすると&ruby(ひ){金烏};が西に落ち、&ruby(つき){玉兎};が東から昇ってきた。

一同が月明かりに乗じ、城からまもなく二十余里ほどになるころ、突然、後ろから馬の嘶きと人の叫び声とが、風を追うかのごとく迫ってくるのが聞こえてきた。岳飛

「どうだ。あれは梁王の郎党たちが、追いかけてきたのに相違あるまい。」

王貴

「兄貴、我ら進むのはやめにしよう。奴らを待ち受けて、思い切って根こそぎにしてしまおう。」

牛皐は大声で叫んだ。

「兄貴たち慌てることはないよ。俺たちとって返して城内に攻め込み、先ず奸臣を殺して汴京を奪い、岳兄貴が皇帝になって、俺たち四人が大将軍になれるってえのはどうだい。この上まだ、奴らにいやな思いをさせられようというのかい。まだ武状元とやらを目指そうというのかい。」

岳飛は激怒して叱りつけた。

「馬鹿を言うな。気が狂ったのか。口を閉じろ。」

牛皐はぶつぶつと

「口を開かないよ。奴らの軍勢が追いついても、手も動かさず首を差し出して斬られればいいんだろ。」

湯懐

「牛兄弟、なにを慌てているのかい。我らしばらく馬を止めて、しばらく待ってみよう。奴らがやってきて、出方が穏やかなら穏やかに返す、力ずくなら力ずくで防ごう。いずれにせよ、奴らを恐れることはなかろう。」

話しているところに、一騎の馬が飛ぶように駆けてきて、大声で叫んだ。

「岳様お待ち下さい。宗閣下が参りました。」

岳飛

「なんと恩師が追いかけておいでになったとは。何故だろう。」

間もなく、宗沢が従者を引き連れて追いついてきた。兄弟一同は慌てて馬を下り、馬前に進み出ると地に跪いて拝礼した。宗沢は慌てて馬を下りると、両手で助け起こした。岳飛

「弟子どもは恩師の命のご恩を受けながらも、まだご恩返しいたしておりませんでしたが、命大事と心がせいたために、お目にかかってお暇することも致しませんでした。恩師が追いかけていらっしゃったのは、いったいどのようなお言いつけでしょうか。」

宗沢

「おまえたちのことで張邦昌に弾劾されて、陛下の詔が下り、それがしは官職を削られ蟄居となった。そこで会いに来たのじゃ。」

一同はそれを聞くと、再三謝罪し、非常に不安を感じた。宗沢

「あなた方が気にすることはない。ただ陛下がみどもを放っておいてくださらないかも知れぬが。もしも引退できたら、悠々自適になれるのだがのう。」

郎党に尋ねた。

「ここにはどこか、一夜の宿を借りられる場所はないか。」

郎党が言上するには

「半里もしないところに、諌議の李閣下の庭園がございますので、宿に借りられましょう。」

宗沢はそれを聞くと、一同と馬に乗った。

ほどなく庭園に着くと、園丁が出迎えて跪いた。宗沢と兄弟たちはそろって馬を下りて、庭園に入り、東屋で席に着いた。そして園丁に尋ねて

「われら腹が空いているのだが、このあたりに酒肴を用意する所はあるかな。」

園丁

「ここから一里ほど行きますと、昭豊鎮です。有名な大きな市場町ですから、何でもお好きなものが手に入りますし、料理してくれる板前もおります。」

宗沢は近習に、金銭を帯びてただちに町まで行って酒肴を買い整え、板前を連れてきて調理させるように命じた。一方で、人に衣装箱を運んでこさせて、岳飛に与えた。

「みどもは大したものをもっていないのだが、一揃いの鎧兜と衣服をそちに贈り、みどもの気持ちとしたい。」

岳飛はちょうど鎧兜が足りなかったところなので、思わず大喜び、叩頭して感謝した。宗沢はまた

「そちたちは、目下のところ功名を遂げられなかったとはいえ、後に自ずと出世することであろうから、この度の失敗で失望してはいけない。もし、奸臣の悪事が発覚したならば、みどもは必ずや陛下に上奏して、そちたちを重用するようにお勧めしよう。その時はまさに水を得た魚、日に日に陛下に近づけられることであろう。いまは忠の字を得られなかったが、ひとまず家に帰って父母に仕え、孝の字を尽くすがよかろう。文章と武芸とは、折に触れ論じあわねばならぬ。不遇であるからと荒んでしまえば、一生の大事を誤ってしまうであろう。」

兄弟一同は声に応じて

「閣下にこのようにご教訓賜りまして、我々どうして努力しないことがありましょうや。」

言葉も終わらぬところ、酒宴の用意が整い、六席がならべられた。一同が挨拶をして席に着くと、自ずと従者が給仕について酌をし、ともに時事を語たらい兵法を論じた。

かの王貴・牛皐は下座に座っていたが、明け方に食事してから練兵場で一日中警戒し今に至ったので、腹がとても空いていた。この酒肴を見るや、彼らが天を談じ地を論じているのに耳も貸さず、あたかも渇いた龍が水に出会ったよう、狼や虎のようにきれいさっぱり平らげて、ようやく手を休めた。はからずも、かの板前は夜遅かったために手元が狂い、料理に塩を入れすぎていた。二人は食べ終わるとのどが渇き、しきりに茶をもらって飲んだ。お茶くみが言いつけるに

「給仕、上座の方々は行儀良いというのに、こちらの席のお二方はとてもがさつ、茶を味わって飲むような人ではないしょう。おまえ小さな茶碗に熱い茶を出してばかりいては、喜ばれませんよ。大きな茶碗に冷たい茶を入れて出してみれば、歓迎されること請けあいですよ。」

その人はそれを聞くと、本当に冷たい茶を大きな茶碗に入れて出した。王貴は大喜び、続けざまに五六杯飲むと

「さっぱりした。」

ようやく手を止め、あらためて酒を飲み始めた。談笑していると、覚えず早くも明け方近く。岳飛らは宗沢に拝礼して別れを告げ、宗沢はまた従者に命じた。

「乗ってきた馬を一頭岳殿に譲り、衣装箱を担わせなさい。」

岳飛はまた感謝して、別れを告げて旅路に就いた。これぞまさしく、

>暢飲すること通宵 五更に至る&br;忽然として紅日 また東昇す&br;路上に花あり 兼ねて酒あり&br;一程を分けて両程と&ruby(な){作};し行く

こちら宗沢も従者を率いて城に戻った。このことはさておく。

さて岳飛等五人は、道行きしながら、馬上で宗沢の恩義について話しはじめた。

「まことに有り難いことだ。我らのために、逆に官職を削られてしまわれたが、いったい何時ご恩に報いることができるだろうか。」

話の最中、突然王貴が馬上で一声おめいて馬から転げ落ち、瞬く間に顔面蒼白になり、歯を堅くかみしめた。一同は驚いて慌てて馬を下り、助け起こすものは助け起こし、叫ぶ者は叫び、岳飛は驚いて泣きながら、叫んだ。

「賢弟よ。やめてくれ、早く目覚めてくれ。」

続けざまに何度か呼びかけたが、こたえはなかった。岳飛は泣きながら

「賢弟よ、功名を成し遂げられずに手ぶらで帰郷するだけでも不幸なことなのに、この上何か間違いでもあったら、わたしは帰ってから、あなたのご両親に合わせる顔がないではないか。」

言うとまた痛哭してやまず、一同もそれぞれ慌てふためいた。牛皐

「みんな、まあ泣かないで、俺に考えがある。もし泣かれたら、俺の考えもどこかに行ってしまうよ。」

岳飛はそこで泣くのをやめて

「賢弟、考えがあるのなら、早く言って下さい。」

牛皐

「みんなは知らないだろうが、王兄貴はもともと病気じゃなかった。多分夕べ食事をしてから、何杯か冷たいお茶を飲んだので、腹が張ってきたのだろう。俺が診てやるとしよう。」

王貴の腹を揉んでやると、しばらくして王貴の腹の中で、ゴロゴロとあたかも雷鳴のよう、しばらく鳴ったかと思うと、突然臭い水が出てきた。更に何回か揉めば大便が出てきて、たまらない臭さだった。王貴はかすかに気がつき、呻吟してやまなかった。みなは急いで服を換えてやった。岳飛

「我々はここでしばらく休もう。湯君は昭豊鎮に行って、落ち着き場所を整えて、療養に備えてくれ。」

湯懐が返事をして馬に跨り鎮にやってくれば、賑やかな人混み、何軒かの宿屋が&ruby(ランタン){灯籠};を下げている。左手の宿屋の主人は、湯懐が馬上できょろきょろしているのを見て、客引きに近寄ってきた。

「お客様、もしや宿のご用ではありませんか。」

湯懐は馬を飛び降り拱手して

「ご主人は何という名字ですか。」

宿の主人

「手前は方という姓です。ここ昭豊鎮では有名な方老実((「老実」は誠実の意。))
、人を欺いたことなどございません。」

湯懐

「われら兄弟五人は武科挙の受験生なのだが、兄弟の一人が風寒を患い動けませんので、何日かお世話になり、病気を治してから出立しようと思いますが、大丈夫でしょうか。」

方老実

「手前が開いているのは宿屋ですから、何の不都合がございましょうや。中は清潔な部屋ばかりですので、是非ともおいで下さいませ。もしも医者をお願いしたいのでしたら、この鎮にも居りますので、城まで頼みに行くことはありません。」

湯懐

「それはよい。呼びに行ってきます。」

馬に乗ってとって返すと、兄弟たちに話した。王貴を助けて馬に乗せるとゆっくりと鎮までやってきて、方家の旅籠に泊まった。その日にうちに方老実に医者を呼んできてもらって診せると、食あたりと若干の風邪にかかっているが、熱を冷まし消化をよくしさえすれば、問題なく治るだろうとのことで、二服の煎じ薬を処方した。岳飛が一銭の銀子を包んで感謝すると、医者は去っていった。兄弟たちがようやく安心して休み、王貴の世話をしたことはさておく。

さて、こちら太行山の金刀王善は、人をやって梁王が岳飛に殺され、聖旨によって宗沢が官職を失い庶民に落され、武科挙が中止になったことを探ると、諸将・軍師と手下どもを召集して、口を開いた。

「目下、奸臣が政道にあたり、将士の心は離れておる。梁王が死んだとは言え、幸いにも宗沢の官職を削り、朝廷には他に才覚のある奴がおらぬ。余はこの機に乗じて兵を興して汴京に攻め入り、宋の天下を奪おうと思うが、卿等の考えはいかがか。」

軍師の田奇が言った。

「ただ今、皇帝は土木を大いに興し、万民は愁い怨み、賢を捨てて奸を用い、文武は不和。この機の乗ずれば防御はゆるんでおり、まさに兵を興すべき時、ゆめ逃してはなりませぬ。」

王善は大いに喜び、ただちに馬保を先鋒に任じ、偏将の何六・何七等とともに兵馬三万を率いて官軍を装わせ、三隊に分けて先発させた。自らは田奇等とともに大軍を率いて、後に続いた。

一路汴京目指して進軍し、さえぎる者はだれもなかった。ようやく南薫門外に到着し、城から五十里のところで号砲を放ち陣地を構えた。こちら城を守備する将士は報告を聞いて慌てふためいた。急いで各城門をきつく閉ざし、兵を増やして防御させ、一方で朝廷に入り奏上した。徽宗は慌てて金鑾大殿にお出ましになると、大臣を集め御下問された。

「今、太行山の山賊が、兵を興して宮闕を犯そうとしておるが、卿らのうち誰が兵を率いて賊を退ける。」

しかし、大臣たちは互いに顔と顔とを見合わせたまま、誰も答えるものがない。陛下はお怒りになられ、張邦昌に

「古より『軍を千日養う、用いるは一朝にあり』という。卿らは国家の禄を食んで長年になるのに、今賊兵が城に臨んでおる時に、一人も兵を退ける策を建てるものがおらぬとは、国家が数百年人物を養ってきた恩に背くのか。」

言葉が絶えぬうち、列の中から一人の諌議大夫がまろびでて、奏上した。

「臣李綱、陛下に申し上げます。王善は、兵は強く将は勇ましく、久しく異心を蓄えておりましたが、宗沢を畏れたがために、猖獗しようとしなかったもの。今、もしも賊軍を退けたいとお考えであれば、再び宗沢を召し出して兵を率いさせてこそ、平安を保てましょう。」

陛下はご裁可なさり、詔を下して、宗沢を朝廷に召して兵を率いて賊を退けさせるよう李綱に命じた。

李綱は詔を受けて朝廷を出ると、宗沢の屋敷にやってきた。早くも公子の宗方が出迎える。李綱

「父君はどちらにおいでかな。なぜ詔をお迎えに来ないのだ。」

公子

「父は病床に臥せっておりまして、詔をお迎えすることができません。罪、万死に値します。」

李綱

「父君はいかなるご病気か。今はどちらに居られる。」

公子

「武科挙の騒ぎで驚き恐れたため、帰ってから動悸の病にかかりました。ただいま、書斎で臥せっております。」

李綱

「それならば、ひとまずこの詔は中の間に供えておこう。お手数だがそれがしを書斎まで案内して、父君を見舞わせて頂けないか。」

公子

「ご足労頂くとは申し訳ございません。」

李綱

「いやいや。」

ただちに公子宗方は、李綱を連れて書斎の戸口まで行くと、内から雷のようないびきが聞こえてきた。李綱

「幸いにも私が来たので良かった。もしも他人であれば、また主君を欺いたと言われたところだ。」

公子

「本当にまことの病です。決して偽りではありません。」

言い終わらぬうちに、宗沢が叫ぶのが聞こえた。

「奸賊め。」

寝返りを打ってまた寝入った。李綱

「父君がまことの病であるからには、私は復命してからまた参上しよう。」

言うと引き返して出ていった。公子は門から送り出した。

李綱が朝廷に戻り平伏して奏上するには

「宗沢は病のため、詔を受け取ることができません。」

徽宗

「宗沢はいかなる病を患っておる。典医を派遣して治療させよう。」

李綱は奏上した。

「宗沢の病は、先頃の武科挙での騒ぎで驚き恐れ、官職を削られ、憤懣が胸に詰まったがために動悸の病を得たもの、恐らく薬石では一時に治すことはできますまい。臣は彼が夢の中で奸臣を痛罵するのを見ましたが、これすなわち心の病、心の薬で治さねばなりません。もしも陛下が詔をお下しになり、奸臣を捕らえたならば、宗沢の病は薬を用いるまでもなく自ずと治りましょう。」

陛下は御下問された。

「誰が奸臣なのだ。」

李綱が奏上しようとしたそのとき、張邦昌が金のきざはしに平伏して先に奏上した。

「兵部尚書の王鐸こそが、奸臣です。」

陛下はご裁可なさり、ただちに詔を下して王鐸を捕らえ、刑部に引き渡し監禁させた。

方々、なぜ張邦昌が逆に王鐸であると奏上して、彼を捕らえさせたとお思いか。奸臣は臨機応変の才が無くてはつとまらないということである。彼は李綱が彼ら三人のことを奏上して一網打尽に捕らえられ、挽回できなくなるのを恐れたのである。今、彼は機先を制して奏上して、王鐸を捕らえて天牢に放り込んだが、機会を見て救い出そうというのである。

李綱は考えた。

「この奸賊め、うまく切り抜けたな。まあよかろう、彼も前非を悔いるであろう。」

そこで陛下に辞して朝廷を出ると、再び宗沢の屋敷にやってきた。

こちら宗沢は李綱が復命するのを見て、慌てて人に様子を探らせたが、早くも陛下が王鐸を牢に下し、また李綱が召しだしに来るとの報があった。仕方なく詔を迎えに出ると大広間に入り、李綱は張邦昌が機先を制して奏上し王鐸を捕らえさせたことを、一々説明した。宗沢

「奸賊にしてやられたわ。」

二人はともに屋敷を出て、朝廷に入り参謁した。陛下はそこで宗沢を元の官職にもどし、兵を率いて城を出て賊を退けるようお命じになった。張邦昌が奏上して

「王善は烏合の衆、陛下には五千の兵を宗沢に与えるだけで、成功いたしましょう。」

陛下はご裁可になり、兵部に五千の兵を宗沢に与え、ただちに賊を撃退するよう命じた。宗沢が再び奏上しようとしたときには、陛下は既に御簾を巻き上げ朝廷を退き、後宮に帰ってしまわれた。仕方なく朝門を退くと、李綱に言った。

「『虎を打ちそこねて逆に傷つけられる』というものだ。どうしたら良かろう。」

李綱

「事ここに至っては、元戎にはひとまず兵を率いてお発ちください。私が明日陛下に奏上して、援軍を送り呼応いたしましょう。」

そして二人は別れて、それぞれ屋敷に戻った。

翌日、宗沢は練兵場に至り兵馬を点呼すると、公子宗方を伴って城を出た。牟駝岡にやってくれば、賊兵がおおよそ四五万いるのが望み見えた。考えるに

「我が兵はわずか五千、どうして敵せようか。」

命令を伝えて軍勢を全て牟駝岡に登らせ陣を構えた。宗方が言上して

「賊兵は多勢、我が兵はわずか。今、父上は岡の上に陣を構えるように命じられましたが、もしも賊兵が岡を取り囲んだら、どうしてうち破れましょうか。」

宗沢は涙を拭って

「せがれよ、父がどうして天の時・地の利を知らないはずがあろう。私は奸臣に陥れられ、おそらくこの五千の兵馬では、この四五万の賊兵を退けられようはずもない。今ここに陣地を構え、おまえは堅く守りを固め、父が単槍匹馬、賊営に斬り込むのを見ておれ。もし幸いに賊兵を敗ることができたなら、おまえは兵を率いて岡を下り加勢せよ。もしも父が勝てずに、陣中に死をもって国恩に報いたなら、おまえは兵を率いて城に戻り、母と家族を守って故郷に帰り、都に留恋してはならぬ。」

言いつけると、ただちに一匹の馬に一本の槍で本営を出て、一人、金刀王善の陣営に斬り込もうとした。

この宗留守は、平素から士官たちをとても慈しんでいたが、人々は彼が単騎賊営に斬り込もうとしているのを見て、従軍の千総・遊撃・百戸・隊長((それぞれ、師団長、大隊長、中隊長、小隊長にあたる。))
らは一斉に馬の前をさえぎって言った。

「閣下、どちらに行かれます。賊兵の勢いは大きく、どうして軽々しく自ら虎穴に踏み込めるでしょうか。どうしても行かれるのであれば、我々も勿論命を捨てて従います。どうして閣下一人で行かせることができましょう。」

宗沢

「みどもが賊兵の強大を知らぬことがあろうか。おまえたちを連れて行っても、どのみちただでは済むまい。我が一命を捨て、おまえたちを保つのに越したことはない。」

士官達は再三説得したが、宗沢はどうして聞き入れよう。ついに単騎賊営に突撃すると、大声で叫んだ。

「賊兵、わしに当たるものは死に、わしを避けるものは生きながらえよう。宗留守が斬り込みに来たぞ。」

山賊の手下どもがそれを聞いて、頭をもたげて見れば、宗沢の様子は、

>頭に鉄の&ruby(ずきん){幞頭};をかぶり、身には&ruby(くろびかりの){烏油};鎧を着ける。内には&ruby(しっこく){皂羅};の袍をまとい、騎乗するは烏騅馬。手には鉄杆槍を持ち、面は鍋底のよう。一揃いの白い髭で、あたかも天神の降臨。

宗沢は槍を揮って陣地に斬り込んだ。人に会えば人は倒れ、馬にあえば馬は傷つき、賊兵はどうして防ぎ得よう。あわてて本営に報告した。

「大王様に申し上げます。大変です。宗沢が単騎斬り込んで来ましたが、とても手強く、防ぎうるものがおりません。どうか大王様、御命令を。」

王善は心中考えて

「宗沢は宋朝の名将であり、忠臣でもある。今単身斬り込んできたのは、奸臣に謀られてやむを得ず命を賭けているのに相違あるまい。余がこの人を帰順させることができたら、天下を手にできぬ心配があろうか。」

そこで五営((前後左右中の陣営。))
の大小三軍に命じた。

「ただちに迎撃に向かえ。必ず生け捕りにせよ。命を傷つけることは許さん。」

諸将は一声返事をした。

「了解。」

そして宗沢を十重二十重に取り囲み、叫んだ。

「宗沢、今馬を下りずに、いつまで待つ気だ。」

これぞまさしく

>英雄 志を失いて 人の欺きを受け&br;白刃に光無く 戦馬は疲る&br;意を得たる狐狸 強きこと虎に似&br;&ruby(はね){翎};敗れし鸚鵡 鶏に如かず

というもの。

いったい宗沢の命がいかがあいなるかは、次回のお楽しみ。