中国伝統劇解説/京劇『趙氏孤児』 のバックアップの現在との差分(No.1)


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*京劇『趙氏孤児』 [#xd1c538c]
春秋時代、晋の霊公は無道で、桃園を造り遊びに耽り、通行人を弾丸で撃って楽しみとしていた。趙盾は桃園に乱入して諌めるが、霊公と屠岸賈は勇士・鉏麑を刺客に放つ。鉏麑は趙盾が忠臣であるのを知り、手を下せず、槐に頭をぶつけて自殺する。屠岸賈は、獒犬に趙盾を噛み殺させようとするが、趙の門客が犬を殺し、趙盾は危機を脱する。趙穿はそのことを知ると、兵を率いて桃園に攻め込み、霊公は自殺する。
戦国時代、秦は趙に十五城と和氏の璧との交換を申し入れる。藺相如は自薦して、陰謀と知りつつ璧を携え秦に赴き、油の釜ゆでの脅迫を恐れずに、大義を以て秦王を責め、完璧帰趙を果たす。秦王は、晋王を招いて澠池会を催し、再び陰謀をめぐらすが、またも藺により破られる。藺は帰国後、相に封じられ、位は将軍廉頗の上にあった。功を誇る廉は不服で、道に待ち伏せ藺を辱めようとするが、藺は何度も道を変えて避けた。廉は、将相の不和により秦の侵略を受けるのを恐れて恥を忍んだ藺の深慮を知り、藺の屋敷に赴いて荊を背負って罪を請い、二人は和解する。
-物語は《史記》列伝に見える。
-《完璧帰趙》《澠池会》《廉頗負荊》により1950年に改編。多く《負荊》のみが演じられる。

あとを継いだ景公は、屠岸賈の言葉を信じ、趙氏一族を皆殺しにさせる。趙朔の妻は宮中に逃れ男児を生むが、屠岸賈はそれを察知し、校尉を率いて宮内を捜査する。幸いに趙朔の門客程嬰が変装して宮に入って孤児を救い出し、連れ帰って育てる。屠岸賈が国中に孤児を捜して捕らえるよう命令を下すと、程嬰は公孫杵臼と相談し、自分の子を孤児にすり替えて公孫に連れ帰らせた上で、屠岸賈に訴え出る。公孫杵臼と偽の孤児は殺されるが、本当の孤児は、屠岸賈の養子として成長する。

悼公が晋を継いだある日、魏絳が帰朝し、怒って程嬰を打つ。程嬰は魏絳に真実を告げ、帰宅して絵を描く。孤児の趙武は絵を見て真実を知り、計略を定めて屠岸賈を殺し、趙氏の恨みをはらす。
-北京京劇院の台本。1960初演。《捜孤救孤》《八義図》などから、王雁の改編。
-物語は元の紀君祥《趙氏孤児》雑劇、小説《列国志》等に見える。