中国伝統劇解説/京劇『法門寺』

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明代、世襲指揮使﹒傅朋は、成年に達したが未だ結婚しておらず、その母は玉鐲を一対贈り、それを約束の品に、自分で相手を捜すように言いつけた。ある日、傅朋はぶらりと出かけ、孫玉姣が門前に一人座っているのと出会い、互いにひかれあう。そこで玉鐲を一つ故意に落として拾わせ、婚約のしるしに与えた。孫玉姣は玉鐲を拾って驚きかつ喜んだ。それを見た劉媒婆は、孫玉姣を詰問して真実を吐かせ、孫玉姣が刺繍した靴の片方をしるしに、婚儀を取り持つことになった。

媒婆は戻って、息子の劉彪にそのことを話す。劉彪は刺繍の靴を得て、傅朋を偽るが、町内世話役の劉公道にたしなめられ、傅朋と劉公道への怨みを懐く。劉彪は、帰途孫家の前を通り過ぎ、門が開いているのを見て孫玉姣を騙そうと押し入り、その叔父夫婦を、傅朋と孫玉姣が同衾していると誤解して殺害し、片方の首を切断すると、劉公道の裏庭に投げ込んだ。下男﹒宋興児はそれを見つけ知らせるが、劉公道は驚いて首を枯れ井戸に投げ込むと、口封じのため宋興児をも井戸に突き落とす。

翌朝、訴えを聞いた県知事の趙廉は、孫玉姣を取り調べて玉鐲の事を知り、傅朋を拷問にかけ、罪を認めさせる。しかし、首の行方は分からなかった。劉公道は、罪を逃れるため宋興児が盗みを働いて逃走したと訴え、知事は本件との関連を疑い、宋家の父娘を捕らえる。二人はお白州で弁明したものの、劉公道に弁償する金が無く、娘の宋巧姣は収監される。獄中、傅朋は孫玉姣﹒宋巧姣と出会い、事情を説明しあう。宋巧姣は彪が下手人であると看破して、二人のために冤罪を訴えることを承知し、傅朋はその徳に感じて、もう一つの玉鐲を与え、また家人に代わりに弁償金を払ってやるように言いつけた。牢獄を出た宋巧姣は、傅朋の母に目通ると、母は喜んで嫁に迎える。そして相談して、法門寺に権臣﹒劉瑾が参詣に来た機会に、宋巧姣が冤罪を直訴することにする。

九千歳﹒劉瑾は皇太后に従い、法門寺を参詣に訪れるが、宋巧姣に冤罪を訴えられ、県知事・趙廉に再調査を命じる。趙廉は再調査の結果、死体﹒首を発見して真実を明らかにする。劉瑾は事件を再審し、劉彪﹒劉公道を死罪に処し、皇太后の旨を奉じて、孫玉姣﹒宋巧姣と傅朋とをめあわせる。

  • 物語は陝西の伝承に基づき、梆子腔系劇種に広く見られる。明正徳年間、眉県での事件とされるが、主要人物は実在せず、史的記載も無い。劉瑾も実際には皇太后の義子“九千歳”になってはいない。尚、眉県には五〇年代まで“宋巧姣の訴状”が伝わっていたという。
  • 冒頭部《拾玉鐲》では、孫玉姣(小旦)と劉媒婆(丑旦)との掛け合いが、後半《法門寺》では、劉瑾(浄)と賈桂(丑)二人の宦官の掛け合いと念(セリフ)、趙廉(老生)の唱と念とが、見所。